わたしの発言を聞いて、おばちゃんは少し考えて、それから納得して笑い出した。
「そういえば母さん言ってたわ。魔女が結婚祝いのお皿を届けに来る予定だったとか。今になって来るなんて、聞いてた通りのんびりしているのね」
おばちゃんの言葉に、わたしは苦笑する。
「あー……いや、わたしはそののんびりしすぎてた魔女の、次の、魔女なんだ」
それからわたしは名前も名乗ることにする。
「見習いのはる來っていいます。こっちの黒いのはローエン。こいつは先代の使い魔でもあったから、こっちの方が魔女のことは詳しいかも」
「そうだったの。私はすず子の娘のはつ江よ。折角だから上がってって」
おばちゃん――はつ江さんも自分を指して名乗った流れでそのまま誘ってくれるが、わたしとしてはここで渡して終わりでもよかったので、遠慮する。
「いや、わたしは届け物に来ただけだ。娘さんってことはあなたがすず子さんのものは相続したりするでしょう。なら、受け取っていただけたらそれで……」
しかし、はつ江さんは言う。
「通夜振る舞いのお寿司、要らない? 年寄りばっかだと食べきれなくって困ってるんだけど」
途端、タイミングを計ったようにわたしの腹の虫が鳴った。
しかも、絵に描いたような『グゥゥ』という音だ。二秒以上鳴らないでほしい。
「お腹すいてるなら、やっぱり要るわね」
はつ江さんは微笑ましそうに言った。
さて、ここで見え見えの嘘をつくのと、偽らないの、どちらが恥か。それは人によって判断が分かれるだろう。
「……要ります」
わたしの場合は、嘘をつく方が恥ずかしいと判断するタイプだった。
わたしは通夜を営んでいる部屋で焼香だけ上げさせてもらって、控室のように使われている隣の和室で寿司をご馳走になっていた。
黒いワンピースで来てよかった。お陰でそこまで浮かずに済んだし、今は一人でいる控室に誰か来ても眉を顰められることはないだろう。
わたしはでかい寿司桶に並べられた美味しい寿司をつまみながら、弔問客の相手をしているはつ江さんを待つ。勝手にいなくなるのもアレだし、はつ江さんが戻って来たら挨拶して帰ろう。
と、急にちょっと気になって、わたしはローエンに耳打ちする。
「なあ、こういうのって山間部でも寿司出るのが普通なの?」
そう、この土地は海が遠い。何なら都道府県単位で見ても海なし県だ。それなのに寿司が出てきたので、ふと疑問に思ったのだ。
ローエンは、土下座一歩手前の姿勢で顔を寄せるわたしにそっと教える。
「逆に山間部だからだろうね。未だに寿司に高級品のイメージがあるんだろう。冠婚葬祭含め何かと寿司が出るところがあるよ」
「へぇ……」
知らなかった。でもそうなのかも。昔の人からしたら山で海の幸とか贅沢だったろうし。一つ勉強になった。
わたしが姿勢を戻して寿司の続きを食べようと顔を上げると、知らないうちに三十路前くらいの男性が座っていた。
「わっ!」
誰もいないと思っていたわたしはどこの筋肉を使ったのか尻で跳ね上がる。
「えっ何」
呑気にガリを摘んでいた男性が、わたしの挙動に驚いて目を見開いた。
男性が座っているのは長めの四角をしたテーブルの向こう岸の真正面。あまり遠くはないが、すぐ近くでもない位置だ。しかも襖から入ってきてすぐの席。
つまり、わたしが気づかなかっただけで、普通に入ってきて普通に座っていたのだろう。ぼんやりしていて人に気付かなかったのはこの夏二回目だ。気をつけなきゃ。
わたしはわざとらしいことを承知で咳ばらいをして、状況を伝える。
「……猫と喋ってるうちに人がいたから、びっくりして」
「猫と…………ああ、貴女が魔女さんですか?」
男性は温和そうな雰囲気をそのままに、わたしに聞いた。
「そう。といってもわたしは先代が残したお使いとして皿を届けに来ただけの見習いだけど」
わたしが答えると、へえ、と男性が感心してみせる。
「見たところ随分若い見習いさんですが、こんなところまで遥々よく来ましたね」
移動距離まで労われてしまった。普通に人間の子供に対する態度を感じる。
一応、人間社会の僅か外を並走する魔女の一員として来ているはずなので、落ち着かない。
「箒で来たから、ひとっ飛びだったよ」
玄関に立て掛けさせてもらってある箒を手で持つようなジェスチャーを見せながら、わたしはしれっと嘘をつく。気持ち的な問題にはなるが、苦労して飛んできたとは話したくなかった。
そして会話の絶対量を減らす意味でも、まだ食べてなかった海老の寿司を口にする。肉厚でいい茹で加減で、ぷりっぷりの海老だ。
「そうですか」
男性は一旦納得したようで、大きめに握られたいくらの軍艦をぺろりと一口で食べる。口がでかい人だな。
それからわたしと男性とローエンはそれぞれぎこちなく名乗って、また寿司に戻る。男性は
と、泰樹さんの背後の襖が開いた。
「おや泰樹、こんなところにいたのね」
はつ江さんだ。弔問客が途切れたようで、背後の部屋に何人かいたはずのお年寄りたちはいなくなっている。
「丁度いい、このまま話ししちまおう」
「ああ、それがいい」
その代わり、はつ江さんのすぐそばにははつ江さんと同年代くらいに見える男性が二人いた。色黒で筋肉質なおじちゃんと、色白で細身のおじちゃんだ。
「魔女さんも居てくれない? 今ね、あなたが届けてくれたお皿をどうしようかって話し合うところなのよ」
そうして、わたしは自然とすず子さんに贈られた皿の行方に付き合うことになった。
おじちゃんたちはぞろぞろと思い思いに座って、はつ江さんが全員分の麦茶を運んで来る。泰樹さんが寿司桶に一旦蓋をしてどこかへ持って行った。
あ、おじちゃんたちもう寿司食べないの? マジか。山とはいえ夏だし変に遠慮して玉子とか食ってないでなまものから減らしておいた方がよかったんだろうか。美味そうだったし。
泰樹さんが戻ってきて空席だったわたしの隣に座ったところで、わたしに向けた軽い自己紹介のあとで話し合いが始まる。
「母さんねえ、ホンット全っっっ然、形見の類を残さなかったのよね」
とははつ江さんの弁だ。
何でも、すず子さんは『私のものは私のものだ』という志向が強い人だったらしい。夫が他の女を見たら絶対にゆるさないとかそういうのは勿論のこと、本すら人に貸さない性格だったと。
そしてそれは死後に関しても一貫していて、形見分けの対象になりそうなものは、先に処分されたり遺言で処分をきつく言いつけられたりしていたのだと言う。
「車と家くらいだなあ、母さんが遺すことを許したのは。着物も先に全部処分しちまって、何も残ってねえ」
腕組みをしてそう言ったのは、色黒で筋肉質なおじちゃん――すず子さんの息子の
「そうよねぇ、ほとんどないわ。何も残らないのも寂しいし、このお皿、分けられそうなら分けちゃわない?」
はつ江さんはそう言いながら、わたしが持ってきた包みを解いて桐の箱の蓋を開ける。上からみた感じだけど、結構きっちり枚数がそろったセットっぽい。柄も綺麗だしたぶんいいものだ。
しかし、はつ江さんを制す人もいた。
「勝手にそんな、よくないんじゃないか? お義母さんの性格なら、決して譲らなかっただろう?」
色白で細身のおじちゃん――はつ江さんの旦那さんの
「しっかしなあ……誰も使わないまま処分するには、モノが良すぎやしないか」
孝さんが腕組みをしたまま言った。
えっと、孝さんがすず子さんの息子で、はつ江さんがすず子さんの娘で……? ってことは、兄妹の意見は完全に一致しているみたいだ。今のところ反対意見は娘婿だけ。
そこにもう一人が小さく挙手をしながら入っていく。勿論、わたしではない。
「父さんに言う通りだと思うよ。ばあちゃんはこういうの絶対人に譲らない。勝手に貰うのはよくないんじゃないかな」
先程わたしの正面でいつの間にかガリをつまんでいた男性にしてすず子さんの孫、つまり泰樹さんだ。
意見は二対二。別の親類が更に乱入でもしてこない限り、多数決では決まりそうもない。
しかし、膠着は始まらなかった。きっとこうなることを見越していたんだろう、はつ江さんは迷わずわたしに水を向ける。
「魔女さんの意見が聞きたいわ。贈り主は魔女さんの先代さんだもの」