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第八話 『花嫁の通夜』その1

『すず子の嫁入りに食器を届けに行く。』

 魔女の予定帖に書かれていたそれは明らかに古い字で、だから覚悟はしていた。

 けど、流石にここまでとは思わなかった。

 わたしは白黒の幕――鯨幕というんだったか、それが張られた和室で、棺桶の向こう側にある写真を見据える。

 いい笑顔だ。

 食器、というか皿のセットを受け取るはずのすず子さんが、大往生の末そこに収まっていた。



 七月ももう終わり。暑さは更に増す……はずではあったが、自宅ピッキングを試みるお隣さんと青年がいた土地と比べれば、ここは涼しい。

 都道府県の緯度経度とかもあるかもしれないけど、そもそも山だし。

 ここは日差しも木々に阻まれていることが多く、風も平地と比べればまだ冷たさを含んでいた。たまにウィッチハットをずらして風を入れるだけでも、随分気持ちがいい。魔女のお下がりの黒い膝丈ワンピースを着てきてみたが、日差しで熱を持って困っちゃうなんてこともなかった。

 だけどわたしのしんどさ自体はそんな変わらん気もする。

「あああぁー……坂道が、つらい……とかっ、聞いてなーい!!」

 坂道と坂道の間、にわかになだらかになったところをすいーっと飛びながらわたしは愚痴った。

 後ろに乗ったローエンは涼しい声(ホントに涼しいんだと思う)で言う。

「がんばれがんばれ」

 がんばってる!

 高度を上げる練習をしていたはずのわたしが何故坂道でつらい思いをしているのか。

 箒で来なかったわけではない。その飛び方が問題だ。

 今日の上空は、思ったより風が強かった。そのせいで山の更に高いところを飛ぶなんて芸当はわたしにはまだできず、道の上を低空飛行することになった。坂がギュインギュインしている道の上を、だ。

 すると、高さの繊細な操作か、地面との距離を基準とした飛び方のどちらかが要求される。

 それらは下手に高く飛ぶよりもしんどいのだ。

 わかりやすい例を挙げると自転車だろうか。ギアを上げたときの重たいペダル、あれに体重を乗せてギューンと登り坂を進んでいいのが高空飛行。ちゃんとサドルに尻をつけてゆーっくり漕いで登り坂を進んでいかなければならないのが低空飛行だ。

 それでも自転車で来るよりは絶対にマシだったという事実を胸に、わたしは綺麗に舗装された山道の歩道を進む。ところどころ錆びた白いガードレールに、ご苦労さんと眺められている気さえした。車通りは少なく、鳥とか蝶とか狸っぽい影とかの方が見かける率が高い。

 と、そこでブモォという低い音がした。

「ん?」

 一瞬動物の鳴き声だと思ったのか、後ろのローエンが反応した。

「……わたしだよ」

 恥を忍んで申告する。わたしの腹の虫だ。

「また朝抜いたのかい」

 ローエンが呆れを隠さず言った。だからわたしは拗ねた心持ちで言い返す。

「起き抜けって空腹感すら鈍ってるから食べ忘れるんだよ。今日わりと遠いから一応早起きしたしっ」

 ああ、でも、こんな田舎だと食べ物の確保はできないかもしれない。無人販売所があってそのままで食べられる野菜もあればその場で買って食べられるけど……それがなければ多分下山まで我慢だ。スマホで見た感じ、この辺、道の駅すらないから。

 わたしは空腹を誤魔化すためにも、斜めがけにした鞄の中からペットボトルを取り出して、スポーツドリンクをごくごく飲む。飛びながらだからちょっと顎に溢したけど、汗でべたつくせいで逆にあまり気にならなかった。


 そうしてえっちらおっちら進み、日もてっぺんにやってきて暑さが無視できなくなってきた頃。

 わたしは無事、目指していた大きなお屋敷に到着した。お隣の家までかなり距離あるけど、一応この辺りのことは村だか町だか集落だかと扱われていそうだ。

「……ローエン、これ、何に見える?」

「通夜と葬式の案内看板に見えるね」

「だよね……」

 わたしとローエンの目の前、お屋敷の門の脇には、通夜と告別式が併記された看板が立っていた。

 しかも、わたしの見間違いでなければ『故 花城すず子』と書いてあるように見える。達筆ながら現代っ子のわたしにも読みやすい塩梅のすごく綺麗な字だけど、見間違いであってくれないだろうか。

「この場合、このお使いどうなるの?」

 わたしが突っ立ったままローエンに尋ねると、ローエンは金色の目でわたしを見上げて言う。

「棺桶に突っ込むか、遺族に渡すか……何にせよ、お前自身が定めなさい」

 ローエンの言葉は予想通りで、そして厳しい。

「何か魔女から聞いてることとかないの? いや、自分で考えるけど、それはそれとして手掛かりで」

「いやぁ……? 前も言ったけど、意外と私に共有されてない予定が多いんだ。勝手に約束して帰ってくることもあれば、今回のみたいに友達相手の予定だってこともあるから」

「なるほど」

 一応聞いたものへの返事も概ね予想と記憶通りで、とりあえず一度深呼吸をして、自分の中の常識と照らし合わせた考えを口に出す。

「まあ、すず子さんのものを相続する誰かしらに渡せれば、それがいいだろ」

 ひとまずわたしは、お屋敷の迫力に押されながらもインターフォンを探す。門についてた。が、上から『本日は直接中へお入りください』と紙が貼ってあって押せそうにない状態だ。宅配屋とか来たらどうすんだろうとも思うが、ともかく、直接入るしかなさそうだ。

 わたしは脱帽すると、皿の入った風呂敷を吊るした箒を手に門の内側へと足を踏み出す。

 綺麗な庭が広がる敷地内を、砂利の中にある石――確か飛び石っていうんだったか、を頼りに玄関を目指す。歴史ある家ってなんか緊張するんだよなぁ。小中学校で行った寺社ですらなんか緊張したし、わたしは意外と歴史に圧倒されやすいところがあるのかもしれない。

 ぴょん、ぴょん、ぴょんと玄関まで辿り着くと、丁度五十代くらいの喪服のおばちゃんが出てきた。見るからに分厚い和装姿なのに、凛とした立ち方のせいか涼しげだ。

 おばちゃんは警戒心ゼロの態度でわたしに軽く笑いかける。

「あら、こんにちは。この辺の子じゃないね」

「あ、どうも、こんにちは。わたしは物を届けに来た魔女で、こっちは使い魔」

 えぇと……ここのうちの人? とでも聞けばいいんだろうか。赤べこかなんかみたいに出鱈目に首を下げつつわたしが考えていると、おばちゃんが先に教えてくれる。

「私が家の者ですよ。誰に何のお届け物?」

「あの、すず子さんに………………けっこんいわいのしょっき」

 わたしは質問に答えるところまでシャキシャキと、補足をつけるときはもんにょりと口を動かした。

「すず子は亡くなった私の母だけど……ん? えぇと? 最後の方、なんて?」

 おばちゃんの言葉に、ああやっぱりと思いながらつい顔に走る皺や質感に目を走らせてしまう。うーんやっぱり五十代くらいに見える。いつの祝いだよあのバカ。

 わたしは気まずい思いをつぶすように息を大きく吸って、もう一度言い直す。

「すず子さん宛の、結婚祝いの食器を届けに来ました!」

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