魔女から相続した隠れ家は、本人の趣味により『森の中』にある。
といっても鎮守の森なんて渋いもんではない。それどころか外から見たらただの藪だ。勾配すらない狭い範囲のお陰で山登らなくていいのは助かるけど。
じゃあ『森の中』ってなんだよっていうと、魔法で生み出された周囲環境のことだ。
藪の中で魔女から引き継いだ箒を鍵にしてそこを開く(上手く説明できないが、本当に開くとしか言いようがない)と、そこには光をほどよく通す緑の森が現れる。絵に描いたような西洋ファンタジーの景色で、植物の分布も藪とは完全に違っているそこは、魔女が拘って作った場所とのことだった。ローエンが教えてくれた。
そこに建てられているログハウスは、シンプルな間取りだ。作業部屋とユニットバスとベランダくらい。水や電気も、わたしが魔法動力さえ動かせるようになれば使えるようになるみたい。今のところは何も動かしてないけど。
「昼寝にうってつけ……」
わたしは魔女の作業部屋の仮眠ベッドでごろごろしながら呟く。家に持って帰って洗濯したばかりのシーツはつるつるで気持ちがいい。
ログハウスの中は、家具もレトロな木製ばかり。窓から差し込む日差しも、外の世界のような凶悪な暑さじゃない。最高の隠れ家。そんな場所に自分一人だと思うと、大あくび連発もやむなしだろう。
今日はローエンもいない。ローエンは予告通り近所の猫好き小学生の群れに投げ込んできた。ちゃんと相手してやらなかったと聞いたらもう一回投げ込むとも伝えてあるから、多分しばらく子守をしてから帰ってくるはずだ。何なら寄り道して帰ってこないかもしれない。あいつ雌猫にモテるし。
「ふああ……」
何度目かのでかいあくびをしたわたしは、うつらうつらと目を閉じる。今日は洗濯以外何もしないと決めているので、もうすべてのタスクは完了しているのだ。
まぶたの裏の光の模様が溶けて、わたしの意識を眠りの中に漂わせる。
わたしは、自分の名前が好きではない。
『
小さなイラっと要素に溢れている。
その上、わたしの名前は大人たちの事情とわがままだけで出来ていた。『來』の字は戦時中にひいじいちゃんが約束してきた内容を反映させるために入れられ、『はる』は生まれた季節を入れたいという父のわがままとひらがなを使いたいという母のわがままを反映させるために入れられたのだ。
……本当にそれだけ。幸せを願って字画をどうこうとか、埋もれないように個性をつけようとか、そういうものは一切ない。伯父は『ちょっと不便じゃないか?』と反対してくれたそうなのだが、両親はそれも無視をした。
そこまででも充分鬱陶しいが、更にうちの親どもは面倒な名前を押し付けておいて自分たちは『はる』と略したがるし、誤字に遭っていても訂正の申し出をしないし、何なら自分たちでもたまに書き間違えるのだ。
それで、わたしは自分の名前が好きではない。純粋にただ、好きになる要素がない。
両親に対してあまりいい感情を持ってないのも、それが主な理由だ。
今はもう、反発という名の関わりを求める気持ちすらなくなっている。反抗期の入り口に下手くそな反抗をしすぎたわたしは、彼らに向ける感情について、弓折れ矢尽きてしまったのだ。
『わたしの秘密基地もあんたにあげるわ。親と折り合い悪いなら丁度いいでしょ』
魔女の声がした気がして飛び起きる。
誰もいない。魔女の隠れ家にはわたし一人だ。ローエンすらまだ帰ってきていない。いつの間にか傾いていた陽が赤い顔でわたしを見ているだけだった。照れんな照れんな。
ここの景色の殆どは外の世界と異なるが、時間帯だけはピッタリ合わせに来ているのだ。
「はぁー……帰るかぁ」
独り言を呟いて、わたしはベッドから起き上がる。
明日からまた予定帖に書かれた予定の消化の続きをしなければ。まだまだ予定は沢山あるし、待たせているものが多すぎるのだ。
けど。
わたしは作業机に放っていた自分の斜め掛け鞄から魔女の予定帖を取り出して開く。あの大学生の依頼のページには、わたしの字で『消化済み』と書かれていた。
引き継いだ予定にも、いつかは終わりが来る。そのときは本当の意味で自分の人生に戻らなくてはいけない。
「この『おつかい』が終わったら、どうしようかなぁ」
誰も答えない部屋で、わたしは呟いた。
……と締めたいところではあったが、まあ、そんな先のことばかり考えていられるわけでもない。魔女の予定帖に記された内容は、基本的にロクでもないのだ。
たとえば、『何十年も前の祝いの品をまだ届けてない』とか。