大家さんちの朝ごはんは簡単な和食だ。あと要らないと言っても出てきた。
味噌汁と焼き鮭と白米、それから大家さんが真新しい急須で入れてくれた熱いお茶をご馳走になる。せっかくなら新しいのにする前のときにご馳走になればよかったな、なんて思いつつも。
「まったく、世話が焼けるよホント」
眉間に皺を寄せた、それでも機嫌が悪くはなさそうな顔で、大家さんは愚痴った。
わたしはその様子を見て、ほっとしているの半分に笑う。
「まあ丸く収まってよかった」
けど、途中でローエンの狼藉を思い出して尻尾を靴下越しにつつく。
「うちの猫は余計なちょっかい掛けましたけど〜」
すると、ローエンは涼しい顔をして言う。
「先代の魔女と似てるからついイラっとしてね」
先代。つまり予定帖を残したあの魔女のことだ。わたしは魔女との僅かな交流を思い出しながら反論しようとして……いや反論できないなこれ、と言う結論を出す。
「確かに、なんかコミュ障っぽいとこは似てた気がする」
わたしと魔女は本当の本当に短い付き合いで、大抵のことは、あの人が出会ったばかりのわたしのために消滅してしまったあとから知った。それでも魔女のコミュ障っぷりだけは、短すぎた付き合いの中で既にわかっていた部分だ。
もう少し話ができたら違ったんじゃないか、なんて、何度目かわからない思考が巡りそうになって、わたしはそれを止める。
今考えることじゃないし……何より、あいつのことでウジウジしないというのもわたしが決めたことだ。
「それより、あの事故で死んじまった小娘とあの小僧はどんな感じだったんだい」
わたしの思考の流れに気づいているんじゃないかってくらいジャストなタイミングで大家さんが言った。
わたしはどこをどうかいつまんで話そうか迷って、時間稼ぎに質問する。
「えぇーっと……大家さんってもどかしい系の少女漫画イケる? イライラする?」
すると、大家さんは大きく口を開けて気持ちよく笑った。こういうのを呵呵大笑というらしい。
「はははっ! それで十分わかったよ!」
わたしもつられて笑う。ローエンは呆れた目で見ている。
そのあとは、二人のことを話しながらゆっくりと残りの朝食とお茶をいただいた。
そして、日が高くなり始める頃になって、わたしはやっと腰を上げた。
普段通りの怠惰もあるけど、もう滅多なことじゃここに来ないと思うと、少しだけ名残惜しくて。
「ごちそうさまでした。大家さん、元気でね」
わたしが玄関で靴を履きながら言うと、大家さんは一度部屋の奥に行ってからバタバタと追いかけてくる。
「こら待ちな。ほら、駄賃だよ」
大家さんのしわの多い手に、小さくて可愛いポチ袋。
「受け取れないよ」
「い〜や、うちも部屋が空いて助かったんだ。魔女には受け取る義理があるはずさ」
わたしの断りに大家さんが反論する。確かに正しい。でも、
「それは正式な魔女のときだけ。見習いは報酬を受け取れないんだよ。いただく必要があるのは対価だけ。対価も十分だったよ」
わたしはしっかりとそう説明して、ポチ袋を差し出してくれた大家さんの手を握った。
「元気で。長生きしてくれ」
帰りの箒の上。
「しっかし、よかったねぇ、あいつらも」
「まったくだ」
曇り空のお陰で昼に飛んでても余裕のあるローエンがしみじみ言って、わたしも首肯した。
二人には言わなかったけれど、本来あの魔法には反動じみたものがあるはずだった。
青年に説明した通りの魔法を掛ける対価は、確かに間違いなく『あのレトロゲームの山』だけで足りていた。但し、落とし穴はそのままで。
青年たちが用意できるあの対価だけだった場合、二人が誓いを破って破局なんかしようものなら、男に酷いしっぺ返しが降りかかるはずだったのだ。
だけど、それは回避された。
『若いモンが身動き取れないのが、いっちばんダメなのさ』
そんな大家さんの信念によって。
前回、青年と喫茶店で話したあとのわたしは、アパート前で大家さんに呼び止められた。そして今回みたいに家にお邪魔して、青年が引っ越したがらない事情について話をしていた。……といっても答え合わせに近かったが。
何せ、大家さん、結構勘づいてたのだ。
事情を確認した大家さんは、流れるように魔法とそのリスクについても確認を入れてきた。『魔女がここまで減る前に若者だった世代だよ、私は』と。
そしてわたしがしっぺ返しについて説明すると、大家さんは迷わずに使い込まれた急須を差し出した。
『ずっと大事に使ってきた急須さ。追加の対価には足りるはずだよ』
『足りるっていうか…………お釣りを出せない身でこれを受け取るのは心苦しいんだが』
見習いのわたしがちょっと見ただけでもわかるほど、その急須には年月と思い入れがあふれていて、手入れも行き届いていた。本来ならもっと大きなことの対価にも使えるくらいだ。依頼人である青年本人からの対価を省略できないことを考えると、余計にこう、勿体ない。
ローエンも対価としての価値を推し量ってわたしの評価に太鼓判を押していた。それでも大家さんは譲らなかったのだ。
「若いモンが身動き取れないのが、いっちばんダメなのさ。だからウチは金がない学生や天涯孤独の若者に部屋を貸すし、出ていけなくなった若者は追い出してでも動けるようにしてやるんだ」
「永遠の愛を信じてやる、って考え方はしないのかい?」
ローエンが確認を重ねたときは、こう言っていた。
「そんなもん、あったらあったでそれが一番いいに決まってるだろう。誓った愛が一生モノだなんて、うちの旦那みたいに最高さ。でもね、それが『そうするしかできないから』なんて一本道であるのは、若いモンたちには相応しくないだろ? 逃げてもいいのにそこにいるってのが、理想じゃないかい。せっかくの、自由の時代なんだから」
時代の年輪を感じる言葉の重みを受けて、わたしは丁重に使い込まれた急須を受け取った。
青年とお隣さんは、当然このことを知らない。知ってしまえば重荷になると大家さんに口止めされたのだ。
わたしもそう思う。あのテの律儀人間は無限に気にする。そういうのは。
……でも、口止めされなかったらぺろっと言っちゃってたかも、とも思う。何せわたしは未熟なもので。
忘れっぽくて依頼を先送りにしていた先代魔女に、若者のためを想ってくれる優しい大家さんに、その大家さんとちゃんと話す程度のコミュ力はある見習い魔女のわたし――――運と周囲に恵まれた青年とお隣さんは、現代の普通の夫婦のように、別れても大丈夫な上で、一緒にやっていくことになる。
とはいえ、わたし個人は勝手に願った。
お祓いの依頼とか、他の対象へのとり憑け替えの依頼とかは、一生来ませんように。
なんてね。