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第四話 『お隣さんが自宅ピッキング』その4

 翌日。わたしは三度あのアパートを訪れていた。青年と合流してから大学内の喫茶店に行くのだ。

 何故わざわざ一度ここで合流するかというと、大学の敷地がでかすぎるからだった。坂と建物群による高低を除いた純粋な面積でも東京ドーム二~三個分ある。喫茶店も三つある。そんなに要る?

 ちなみに、ローエンは置いてきた。奴がいるだけで行き帰りの寄り道全部封じられるのは厳しい。

 わたしがアパートの階段を上がり始める前に、二階から足音が下りてくる。

「やあ、魔女さん」

 ウィッチハットのでかいつばを上げると、予想通り依頼人の青年だった。

 昨夜はスーツだったけど、今日はゴルフが似合いそうなポロシャツルック。爽やかだ。

「ああ、こんちゃす」

 あ、喋ったら顎に汗垂れた。わたしは拳で汗を拭う。

「じゃあ行きましょうか。……あれ、猫さんは?」

 歩き出そうとした青年が日陰から出る前に立ち止まり、わたしも倣う。

「置いてきた」

「だったら大学内に拘らなくてもいいかぁ。坂のぼると暑いし。行きがかりに気になった店とかありますか?」

「特にないけどアイスかパフェかかき氷かフローズンプリンかジェラートかソフトクリームかサンデーかクリームソーダがある店がいい」

「暑くてたまらないことだけはわかった」

 微笑ましそうに笑われてしまったが、死活問題だった。まあ顔を顰められるよりは百倍マシだろう。

 青年は明らかに相好を崩して、わたしへの態度を年の差相応に改める。

「じゃあ、駅前にしとこっか。チェーン店だけど、クリームソーダとかき氷と……あとソフトクリームなら確実にあるよ」

「やったー対戦よろしくお願いします」

「いくらでも」

 そうして日陰を出ようとしたそのとき、立ち話が長かったからか、大家さんがひょっこり顔を出した。

「あ、大家さん」

 わたしの声に、青年が過剰に反応する。というか、半ば固まる。

「出かけるなら気をつけるんだよ」

「はぁい」

 わたしたちのやり取りにも青年は入ってこない。ただ無闇にキレのいい所作で大家さんに頭を下げた。

 そしてわたしを急かして、シャカシャカ歩き出す。

「………………」

 大人しく歩いてはみているものの、流石に気になるのが人情だろう。

 わたしはしばらく歩いてから、青年に訊ねてみる。

「何、今の」

「あー……」

 青年は気まずそうに頬を掻いた。

「彼女とも関係するんだけどさ、『ここは学生向けに安く貸してんだからとっとと出て行きな』って言われるんだよね、いつも」

「……なるほど?」

 学生さん用に用意した枠を埋め続けてしまっているのか。だったらいつまでもあのアパートに住んでいるわけにはいかないだろうな。……やっぱり、お隣さんの前で話していい内容ではなかったか。

 勝手に納得しだすわたしの横で、青年が小さな身振り手振りと共に言い訳のような言葉を紡ぎだす。

「一応、後輩たちが快適に過ごす手伝いだけでもして罪を薄めようかなって、管理費をちょっと多めに渡して許してもらってるんだけど……」

 その言葉も、途中で勢いを失った。

「でも、やっぱりキツいよなぁ……誰か一人住めるんだもんな……」

 律儀なのか図太いのかわからないことになっている青年に、わたしは笑う。

「まあ、そういうのも含めての『魔女』への相談だろ。これから解決すればいいじゃん?」

 歩いているうちに、有名チェーン店が見えてくる。確かにクリームソーダもかき氷もソフトクリームもある。というかメニューに載ってる写真で想像したよりでかいもんばっか出てくることで有名なところだった。冷たいものも当然でかい。

 わたしは内心舌なめずりをして、勝手にちょっとだけ歩調を早めた。



 さて、わたしがメロンソーダとでっかいパフェ(自分の財布だったら頼んでないサイズと値段)を半分くらいいただき終わり、青年がデニッシュパンとソフトクリームを組み合わせたスイーツを食べ終わる頃、やっと本題が出てくる。

 青年はホットコーヒーに口をつけて言う。

「実は、俺は彼女と過ごす時間を大切に思っている。だから一時期は、依頼を取り消したいと思ってたんだ」

 実はも何もねえだろと思いながら、わたしは一旦黙って頷いておく。

「でも、大学を卒業してみたら大家さんに言われてるような問題もあったし、今は会社の出張の話を断るのも限界で、そんなことも言ってられなくてね。だからホント、依頼後すぐに詳しく相談できなかったのはよかったんだ」

「まあ、環境の変化ってそんときにならないとわからんって言うもんね。怪我の功名だ」

 わたしが実体験の伴わない薄っぺらいフォローを入れると、青年は少し困った顔のまま薄く笑ってみせる。

 それから小さくため息をついて目を伏せた。

「成仏させないと、彼女を一人で取り残してしまう。でも本音を言うと……あー……こんな風に言うのは、摂理か何かに反してよくないことかもしれないけど、でも、行ってほしくはないんだ」

「ふぅん、好きなんだ」

 わたしはニヤっと口元を歪めて青年のその気持ちをつついた。すると青年は伏せていた目をぎょろぎょろ泳がせる。

「う……うん、ああ、まあ」

「『まあ』って程度の気持ちと見ていいのか?」

 わたしは、半端に誤魔化そうとする青年にパフェ用のスプーンを向けて、またそれをパフェに突っ込んでシリアルとヨーグルトを掬って口に入れる。甘味の中の酸味はかくも最高である。

「……それって、魔女としての質問? それとも恋バナしたい女子としての質問?」

 青年の絞り出したような質問に、わたしは口の中のものを飲み込んでメロンソーダで流してから答える。

「どっちもあるけど、魔女としては確実に聞いておくべき質問だな」

 しばらく、二人とも黙った。ああ、パフェがなくなっちゃう。パフェって食べるとなくなっちゃうんだなあ。

 青年はゆっくり、ゆっくりとコーヒーを飲み干してから、観念したように笑った。

「どう言ったらいいかわからないや。でも、確実なことは二つあるよ」

「ほうほう?」

 わたしがくわえスプーンで促すと、青年はわたしの顔がおかしかったのか声を出して笑って、それからややあって、しっかりした顔つきになる。

「まず、行ってほしくはないけど、お隣さんに無理強いはしたくないってこと。それから……この世の摂理とかそんなでかすぎてよくわからんものにとってよくないことだったことしても、そんなの無視していいくらいの気持ちではあるってこと」

 青年は、こっちが照れるくらいの告白を聞かせてくれた。主人公みたいな人だ。

 わたしは改めて、ローエンに教わったことと、魔女が遺した情報を頭に浮かべる。

 ……うん、できるし、大丈夫なはずだ。

 だからわたしはパフェの最後の一口を飲み込んでから、しっかりと問う。

「それって、何を手放してもやりたい?」

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