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第二話 『お隣さんが自宅ピッキング』その2

「しかもスカかよぉ……」

 わたしは依頼人が住んでいるという(今も住んでいるかは正直あやしいが)アパートの部屋の前で、ずるずると座り込んだ。

 そのアパートは、壁こそ白塗りが保たれているものの、外階段や支柱が錆びたややレトロな建物だ。アパートというだけあって、二階建て。

 坂の上にあるでかい大学の、その坂のふもと、大通りからちょっと入ったところに建っている。

 ここでわたしは、さっきまでインターフォンを鳴らしていた。

 最初は気分も軽かった。アパートの外階段はバッチリ日陰だったし、依頼人が住んでいるという部屋は二階だったから、地面から遠ざかったおかげか少し涼しい気さえしたし。

 しかし、

「いますかー? 魔女ですけどー!」

 などと何度も声を張り上げたあとにここがゴールでないと気づくと、一気にもう、気力がダメだった。

 予定通りすぐ近くの大学に飛べばいいのはわかってる。でもここは日陰、さっき見た感じ大学に向かう坂道は全部日なた。大声出して余計な汗をかいた今、シンプルに日陰を出たくない。

 ローエンは無言で外廊下に体を擦りつけ回って、自分だけ猫の利便性を駆使しやがっている。わたしは猫連れだからファーストフード店諦めたってのによぉ、このいけずキャットめ。アスファルトで焼いて食っちゃるぞ。

「はー……」

 こんなどうでもいいところで腹を立てていても仕方がない。

 わたしはちょっとした現実逃避に廊下にしゃがみ込んで、魔女帽子で顔を扇ぐ。やっぱり風はぬるい。蝉の声すらしない。

「夜来ればよかった」

 思わず口をつく。

 魔女の予定帖に記されていた内容からすると、相談者のお隣さんが自宅をピッキングするのは土曜日の夜だ。今日は丁度土曜だし、その時間を狙えばよかったのだ。

 何故そうしなかったのかというと、万が一別人が住んでいた場合のことを考えてのことだ。いきなり夜分に知らん魔女が来たら何事かと思うだろうって。

 でも、そんな気遣いめいたことしなくてよかった気がしてきている。いやぁだって別人だったら「ごめんなさい」で退散、ちゃんと話すのは本人だったときだけだし。

 わたしは怠惰に任せて無駄に考えを続ける。……早いところ立ち上がった方がいいのはわかってるんだけどね。

 そのとき、下から声がしてきた。

「二階の住人は昼はいないよー」

 ふぅん。

「おぉい、今は留守だよー」

 そっかぁ。

「聞いてんのかい、魔女の嬢ちゃん!」

「わあ!?」

 隣から大声を出されて、わたしは飛び上がる。

 え、わたし? わたしか。わたしに言ってたのか今のやつ全部。

 ていうか下にいた人が上がって来るまでずっとぼーっとしてたのか、危ないなわたし。

「ごめんなさい、暑くてぼうっとしてた」

 わたしは慌てて立ち上がると、声の主である花柄のシャツを着た老婆に向き直る。

「仕方ない子だねぇ、麦茶出してやるから、うちに来なさい」

「マジ!?」

 わたしはにわかに元気になって、自分より低く丸まった背中にいそいそとついていく。

「あ」

 ローエンのことを置き去りにしかけて、一度戻る羽目になった。


 そして、わたしとローエンはアパートの一階にある老婆の部屋に通されて、口約通りに麦茶を奢られる。

 テキパキと準備する老婆に聞いたところによると、彼女は大家さんらしい。

「ありがとうございます。死ぬかと思ったぁ……」

 氷入りの麦茶を飲みほして、わたしは大家さんに頭を下げる。

 平皿から麦茶を飲んでいるローエンも、猫語だけどおそらくお礼を言っている。

「いい、いい。若いのに野垂れ死にされた方が気分悪い」

 大家さんはそう言いながら、使い込まれた急須から注がれた熱い緑茶を、ずずっと飲んだ。部屋は涼しいが、よく熱いものが飲めるなあと感心する。

 すると視線で気づいたのか、大家さんがふふっとクールに笑った。

「歳取ると、そう冷たいものばかり飲んでられないのさ」

 銀縁のお洒落な老眼鏡がきらりと光る。気難しそうな顔つきも相俟って、笑うとなんだかカッコいい。

 急須の使い込み具合といい、わたしには五、六十年くらい早いカッコよさだ。

「ところで、あの部屋に何の用だい?」

 大家さんの質問に、わたしはローエンと軽く目を見合わせてから、先代魔女の古い依頼を見て訪ねてきたことを話す。

 そして、わたしたちは大家さんにも現状のことを聞いてみる。

 すると、重大なことが二つわかった。

 一つ目は、あの部屋の住人はもう六年以上は入れ替わっていないということ。

 二つ目は、あの部屋の住人が基本的に夜になるまで仕事から戻って来ないということだ。しかも、出掛けている日は大抵仕事。

 だからわたしたちは一旦諦めて帰り、夜を待った。

 今夜なら、きっと依頼人のお隣さんにも会える。……成仏してなければだけど。



 夜。わたしとローエンは件のアパートにやってくる。

 今回のわたしは、箒の高度を上げる練習がてら、建物の二階くらいの高さを飛ばしてきた。

 本当はこの高さを飛ばすのはまだ怖かったんだけど……だって、夕食後スマホゲーやってるうちに立ち上がるのが嫌になってきて、家出るときには八時過ぎちゃってたから……飛ばさなきゃ遅くなりすぎるし……。

 いやあ、急いでれば案外飛べちゃうもんだなあ!

 と、いうことでわたしは視線が高い状態で目的のアパートに到着した。だから、二階にうっすらぼんやり光る人物を見つけるのもすぐだった。角部屋のドアの前にしゃがみこんでいる。

 わたしは階段を使わず、アパート二階の外廊下に直接箒で乗り入れる。

「こんばんは」

 光る人物に声を掛けると、その人物――髪を後ろで雑なお団子に結んだ若い女は、絵に描いたように飛び上がって驚いた。

「わ、あ、あっ、違うんです! あやしいものではないです! あたしここの住人で、か、鍵なくしちゃったみたいで……!」

 あわあわしながら言い訳する女の身振り手振りはやたらとやかましい。わたしが警官か何かに見えているんだろうか。

「いや、あんた……」

 わたしが『あんた幽霊だよ』って言っていいのか迷って途中で言葉を止めると、女ははたと気づいてやかましい手振りをやめる。

「あ…………」

 そして、恥ずかしそうに目を潤ませて、頭を掻く。

「あたし、バイクで事故ったんだったわぁ……。開かないのも、そういうことよね……鍵も交換しただろうし……あはは、恥ずかしい……」

 消え入りそうに三角座りをする女の手には、乱雑に曲げられたヘアピンが一本。

 話と持ち物からすると、自宅をピッキングしている。つまりこの若い女が、予定帖に書いてあった『お隣さん』なのだろう。

 わたしは素朴な疑問をぶつける。

「ピッキングって、ヘアピン一本で出来たっけ……?」

「はる來、お前ねえ、言ってやるでないよ」

 お隣さんより先にローエンが答えた。お隣さんの方はというと、なんというか、羞恥に耐えかねたのか膝に顔を埋めてしまった。

「ごめん」

 わたしが謝ると。お隣さんは余計恥ずかしそうに呻いたあと、恥ずかし紛れなのか、自分の事情を開陳してくれる。

「事故に遭った土曜の夜になると、いつもそのことを忘れて帰ろうとしちゃうの。それで鍵が開かないことに焦ってるうちに、段々鍵が合わないんじゃなくて鍵を落として帰ってきたような気持ちになってきて、じゃあそれしかないって思ってピッキングに挑戦しちゃうのよ。今の状態になればこれまでのこと全部覚えてるんだけど、土曜日の夜に出てくるときは毎回ぜんぶ、ぜーんぶ、忘れて……うぅ……恥ずかしい、恥ずかしい……」

 説明が大変懇切丁寧で、わたしは思わず唸る。恥ずかし紛れの早口なのにここまでしっかり説明できているとは、やりおる。

 しっかし、

「変なねーちゃんだなあ……」

「お前に言われたくもないでしょうけどね、変って」

 ローエンに突っ込まれる。何おう。お前の元の主の方が変な女だったぞ。

 さておき、お隣さんが落ち着いたらちゃんと話を聞かなくては。

 わたしは彼女が顔を上げてくれるまで静かに待っていることにする。変につついても可哀想だ。

 暇な視線を階段の方にやると、丁度足音がカンカン聞こえてきた。

「お隣さぁん、遅くなってごめん!」

 純朴そうなスーツの青年が、息を切らして俯いたまま階段を上ってくる。

 わたしとローエンは目を見合わせた。この人だ。

 青年は下ばっか見てて気づかない。

「まず落ち着いて聞いてほしいんだけど、君は事故で…………あれ?」

 話の途中で、青年はやっと顔を上げた。

「えぇと……どなた?」

 見事にキョトンとしている。そりゃそうだ。わたしとは初対面だものな。

 わたしは頭に乗っけたままだった魔女帽子を取って胸に当てて言う。

「ご依頼承った魔女…………の、後継者、魔女見習いのはる來です」

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