小さき眠り姫、フィローゼ嬢様。
彼女には、とても大きな夢がございました。
それはそれは、とても煌びやかで。
一度憧れたらば、永劫にして囚われてしまわれるような。
決して色褪せることのなき、素敵で優美で甘美な夢でございます。
その、きっかけ――。
彼女が心の奥底から抱き、憧れるようになったそのきっかけは。
雨シトシトと降りしきる、晴れ間なくして曇天の空模様が世界を覆い尽くしていた、とある日のことでした。
「ねぇ、お母様」
「ん? なぁに? フィローゼ」
その日もまた、セレネ家当主様は御勤めの為にと屋敷の外へと出かけられ、夫人様とフィローゼ嬢様は御屋敷の中にて御二人のみ。
生憎の天候により乗馬や園芸などは出来ず丸一日中。刺繍や裁縫などの家内業に勤しんでおられていました。
それでもフィローゼ様は、この日も一生懸命に。
夫人様からのご教授に応え、いくつもの裁縫をこなされていたのですが。
その、際に。
「お母様は、お父様とどこで初めてお会いされたのですか?」
唐突に。
「えっ?」
手縫い作業を行っていたフィローゼ嬢様は、唐突に。
「お母さんと、お父さんの出会い?」
「そうなのです」
何を思われたのか、紡ぎ行う手を止められた次の瞬間、己の両親の馴れ初めについて尋ねられたのです。
「そうねぇ…………」
急な娘からの問いかけに、僅かに目を見開いて、面を喰らったかのような素振りを見せた夫人様でしたが。
手に持たれた編み物をそっと絨毯の上に置いたのち、少々考える仕草を見せるよう、暫しの間、天井を見上げますと。
「国王様主催の舞踏会のとき、だったわね」
「舞踏会?」
視線を戻し、にこやかな様相を顔に浮かべては。首を傾げるフィローゼ嬢様を見つめると、優しく返事をいたします。
「えぇ、そうよ」
そうして、相槌打っては言葉をつづけ。
「あれは…………そう。今の国王様が、新しい代の国王様として御戴冠なされた時だったわ」
おもむろに。その時の御様子を、お話くださるのです。
「国中上げてのお祭りでね。全ての貴族が参加するのはもちろんだったけれど、その時だけは、王都の民衆も、遠く離れた村々の人々にも招待状が届いて。他にも、エルフの国や獣人の国の方々も招待され……種族も、地位も関係ない。本当に、自由で素敵なお祭りだったわ」
夫人様が語らい始めてから。
「王都の中はどこも素晴らしい装飾が施されていて…………それこそ、沢山の出店や、数多くの芸者さん達。王国軍中心のパレードや大聖堂での頌歌(しょうか)とか」
フィローゼ嬢がその違和感を覚えるまでに。さほど、お時間はかかりませんでした。
普段よりも、ほんのり微かに饒舌に。
珍しく、夢中になって語らう夫人様は。
「どれもこれも素敵な出し物ばかりで……。夕暮れになれば、魔術士の皆さまが夕空に高々と花火を打ち上げてくださって……」
いま思い返してもなお、あの頃の出来事が。
いつまでも忘れることのない、愉しく夢物語のような世界だったと。
「夜は王都全体での舞踏会。普段は選ばれた貴族だけしか参加できないこの催しも、その日だけは誰でもどなたでも。街中で、お城の中で。流れてくる音楽に身を任せ、手を取り合い気のすむまで踊り明かしたものよ」
まるで、今この瞬間。目の前にあの時の光景が広がっているかのように。
声も次第に大きくなれば、知らず知らずに表情も、少し酔いしれる様相へと変化されていきます。
「それに…………」
さらには。
「お祭りにはみんな、素敵なドレスや化粧、髪飾りやアクセサリーもふんだんに。目いっぱい可愛くしてから出かけたのよ」
のめり込んで聞き入る我が娘の反応を見るや、洒落っ気に片目を閉じ、ご自身の頬に人差し指をトトンッ、と宛がわれるのです。
「踊り……。お化粧…………」
そんな母の悪戯な仕草を見てしまってはもう。
娘も興沸き立つこと間違いございません。
「女の子はみんな、色んなドレスを身に纏って綺麗になってから、舞踏会場の中に立って男性からのお誘いを待つの。そうして、お誘いを受けた方から順番に、流れる音楽に合わせて楽しく踊って、仲良く、意気投合していくものなのよ」
あの瞬間のトキメキを思い出し、微かに目線を落として頬を赤らめる夫人様の。
「お母様は、その……お父様に誘われて?」
「えぇ、そうよ」
さながらそのお姿は、目の前にいるフィローゼ嬢様のような夢見る少女となりて――。
これまでも。
「ねぇお母様、舞踏会ってどんな音楽が流れるのですか?」
これまでも、様々に。
「それはもう、優雅に優美に。夢のようなひと時を堪能させてくれる、そんな旋律がずっと、ずーっと流れてくるのよ」
「ねっ、ねぇっ。お父様からは何と誘われたのですかっ?」
「えーっ? それはねぇー」
様々に、母との会話を交えてきたフィローゼ嬢でありましたが。
これほどまでに、うっとりと。心酔しながら喋る母の様子を見るのは初めてでございました。
もちろん普段も、当主様との会話の際でも夫人様は笑顔を絶やさず仲睦まじい様子で話されておりましたが。
この時だけは、いつもと違って特別に。
今まで誰にも御見せしたことのない格別な雰囲気を醸し出し、丁寧に、とても丁重に。一つひとつ、言葉を紡いでおられました。
「…………お母様」
――――舞踏会
「ワタクシも、いつかその舞踏会に出られますか?」
初めはほんの出来心で尋ねてみた、己が両親の出会い話。
「えぇ、もちろんよ」
ですが、母から聞かされた御言葉は、彼女の中へと新たな憧れを誕生させる贈り物となり返されて。
「女の子なら誰しも憧れる夢の舞台ですもの。我が愛娘も参加してもらわないと、お母さん。もぉ、死ぬに死にきれなくなっちゃうわ」
聴き始めてからここまでずっと。
止むことなかった胸の高鳴りが。
彼女の身体を熱くさせ、果てなき期待へ灯つけて差し上げます。
――――いつか自分も舞踏会で踊り明かしてみたい
フィローゼ嬢様が視る世界は、この日から。
より色鮮やかに、華やかに映し出されることとなるのです。