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99.フィローゼ嬢



 ファトゥナ・セレネ家。


 王都から少しばかり離れた辺りの、豊かな自然に囲われる小さな小さな貴族さま。

 彼らの一日は、窓辺へと寄りかかる可愛らしい黄青の小鳥たちによる、気まぐれで、悪戯なしるべから始まります。



「……んっ、んん…………」


 まだ少しだけ、ほんのりと。

 肌寒さ残る、かの世界にて。


 星屑ちりばめられる、夜空のカーテンに。

 残る月光に照らされた雲は淡く輝きを以って。


 まばらに細長く、ほとんど動かずに漂えば。


 下界に広がる広葉樹林からは、風の音や生きる物の音など何一つとして聴こえてくることございません。


「……すぅ…………すぅ」


 すややかに。

 ただただ、すややかに。


 まだ夜明けぬ世界に全ての存在が。

 安寧の中にて眠りを求めて参ります。



「んんっ、くぅ…………」


 お次は未明より、暁へと移ろいで――。


 夜を彩る藍色のカーテンは、この日もお役目を終えられて。

 下手しもてに去り際、今度は上手かみてより。


 儚げに白む朝焼け色が、新たな一日のお告げを背負いて悠々と。

 顕れ、世界を明るく新たに彩ります。


「…………ん、ぅあ?」


 天より降り注ぐ、和らげな日差しは暖かく。

 朝露煌めく森林全てを包み込み。


 ブナの樹で造られた御屋敷をも明るく照らしたらば。

 今度はとある一室へ。白の格子に囲われた窓からその中へと差し込まれていきまして。


 淡い柏陽の光の流れへと乗っては興じるよう。

 小鳥たちの囀りが、部屋中をクルリと回ります。


 そうして、妖精が戯れるように美しく響き渡れば。


「ふぁ、ぁ………………」


 それは、未だ目覚めぬ眠り姫の。

 横髪を、耳を。


 そっと、優しく撫でて差し上げるのです。



 なんと素敵な朝なのでしょう。


「ぅう、んん~~? 朝、ですの……?」


 その、ひと時。

 その一瞬は、まるで世界を。御伽噺の絵本に描かれた一頁へと書き換え導くかのように。


「起きなきゃ…………」


 嫌な思い出、全てを過去へ置いていき。

 心躍らす新たな場面へと、魔法をかけて皆々様をご案内いたしま…………ん?


「すぅ…………すぅ……」


 …………おやおや。


 美しき光景その移りを、思わず夢中になって語らいでいましたら……なんと、まぁ。



「お父様……お母様…………」


 長閑のどかなベールに包まれたその部屋の。

 中央奥には一つの寝台がございますが。


 小さき可愛い眠り姫さま。

 ようやく起きたかと思えばまた、お眠りになられたのですか?


 いけません、いけません。

 ほぉら、世界は貴方をお迎えに上がりましたよ。


 さぁ、早く起きなければ今度は小鳥たちが嘴でお顔を今にも突っつk…………。


 あぁ…………。

 なんて、なんて愛くるしい御姿か。


 暖かな羽毛にその身をくるまれては、細いリボンで縁を結ばれたフワフワの枕を細い両腕で大事にだいじに抱きしめて。

 薄い桃色のヨレたパジャマを愛らしく着こなすも、惚ける寝ぐせは艶やかに靡くブロンズの髪からチロリと跳ね返り――。


 どんな……どのような夢を見ていたのでしょう。

 触らなくともわかります、えぇ。


 きっと、そうなのでしょう。

 見ているだけでもわかります。


 黄金色に煌めく瞳を持つその眼は心地良さげに微睡んで。

 雲よりも柔らかな頬は、楽しそうにニンマリと。


 えぇ、えぇ…………気を少しでも許してしまえば、釣られてこちらも笑顔となってしまいそうになるほどに。


 儚げに、純情に。


 こんな小さな天使様が、この世に、目の前にいるその幸福と有難みを。

 忘れず私もこの胸に、しかと大事に嚙み締めましょう。


 さぞかし幸せでありましょう。

 ファトゥナ・セレネ家の当主と夫人は、毎日が微笑ましい限りでしょう。


 こんなにも、愛らしい娘に恵まれるとは。

 とても、あぁとても。羨ましい限りでございます。


 おっと。


 こうしている間にも、耳を澄ませば部屋の外からは。

 どうやら、貴方様を起こしに何方どなたかの足音が近づいてきているようですね。



 さぁ。


「…………フィローゼ様」


 さぁ、朝です。


「フィローゼ様、おはようございます」


 どうぞ、朝でございます。


「う、ううん…………あと、ちょっと……」


 愛しく儚げな眠り姫。

 ファトゥナ・セレネ・フィローゼ嬢。


 今日も貴方は、世界に歓迎されるのです。


* * *


「はっはっ! 昨日はあんなに早起きしたというのに、今日はまたお寝坊さんとは本当に我が可愛い愛娘だ」


「むぅ~~。そんなイジワルを言わないでくださいませっ、お父様っ!」


「ふふっ、明日も起こしにいくって、寝る前あんなに大はしゃぎでいたのにねっ」


「もぉっ! お母さまもっ! みんなしてワタクシを揶揄わないでくださいっ!」


 目覚めを迎えたファトゥナ・セレネ家は、必ず皆さま揃ってからより食卓を囲います。


 同じ場所で、同じ食事を。

 弾む会話の中にてお互いに、今日も一日家族が健やかであることを祈りながら。


「ねぇお父様っ! 今日も王都のお話聴かせ願えますかっ?」


「今日は、そうだなぁ……。仕事が片付けば、かなぁ」


「いいではありませんかっ! ねぇお父様っ、お父様っ」


「どうしたものか……愛娘フィローゼからの頼み、だが…………。いかんせん、今日は急ぎでやらなければいけないものが……」


「ほんの少しだけでも良いですのっ! ですから、ですからっ!」


 団欒と、この素晴らしい朝のひと時を心行くまで楽しみます。



「こら、フィローゼ~? お父様はいつも手が空いているわけではないのよ? あまり困らせることは言わないであげて」


「えぇ~っ!!」


「す、すまない……フィローゼ。今日だけはちょっとだな……」



 …………少々賑わいすぎるところもございますが。


「…………ほんとうに」


 それもご愛嬌となりましょう。


「ほんとうに、ダメなのですか……?」


「うっ…………」


 これほどまでに素敵な家族は。


「…………ちょっと、あなた?」


「………………分かった」


「…………えっ!」


 世界でも一番に違いありません。


「分かった……なるべく早く終わらせて、夜寝る前には必ず話をしてあげるから」


「~~~~~~っ! やったぁ~~っ!!」


 あぁ。なんと当主様。

 わかります、とても分かりますとも。


 あれほど愛くるしく嘆願する天使様を見てしまっては。

 頼みを断ることなどできましょうか。


「はぁ……全くあなたったら…………」


「ふふっ、旦那様も相変わらずフィローゼ様には甘いのですね」


 観念する当主様を見ては、夫人様も少々呆れる様相を見せますが。

 隣に立つ侍女の笑う声を聴いてしまえば夫人様もまた。


 愛娘と当主のやり取りを、自然と許してしまうものです。


 笑顔に溢れる空間は。

 いつの世も、有ってほしいと願うもの。


「ありがとうございますっ! お父様っ!」


 フィローゼ嬢、貴方様にはきっと。


「大好きっ!」


 きっと、神様からの多大なご加護が。


 見る者全てを虜にし、人々を笑顔にさせる素晴らしき才があったのでしょう。



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