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98.ファトゥナ・セレネ家


「…………お父様、お父様っ」



 それは――。



「――――おや」



 それは、惑星アレットにて――。



「起きてますかっ。お父様っ」


 魔族がまだ、人族との間に結ばれた「人魔間不可侵条約」を破り、侵攻を行う少し前の。


「…………あぁ、おはよう。フィローゼ」



 とある、貴族のお話です――――。




「おはようございます、お父様」


「おはよう、フィローゼ。今日は愛娘が起こしに来てくれるとは、あぁ。なんて素敵な一日の始まりなのだろう」


「ふふっ。今日はいつもより少しだけ早く目が覚めましたので、せっかくだからと思い」


「嬉しいよ、フィローゼ。さぁ、一緒に朝ごはんへと向かおう」



 ここ、惑星アレットにおきまして、まだ人族に平穏の日々が訪れていた頃のことでした。


 レグノ王国王都から、少し離れた辺り。

 森林に囲われ、綺麗な湖が広がる静かな土地に、ポツリと。そこには、小さな御屋敷を構えた一つの貴族がおられました。


 貴族。

 えぇ。そう、貴族でございます。


 とは申しましたものの、その貴族様が持つ勲の位は如何ほどに高いものではなく。

 建てられた御屋敷の中には、当主に夫人。その間に生まれた一人の娘に、あとは一、二名の侍女が勤められていただけの。ほんとうに、ほんとうに小さな貴族でありました。


 当主の方につきましては…………ふむ。

 もう五代目になられるのでしょうか。


 かつて、人族と魔族が「人魔間不可侵条約」を結ぶ前のことでございます。


 「人魔間不可侵条約」、これが結ばれる前は当然にして、各地で人族と魔族が互いの領土を奪い合おうと、血を血で洗う壮絶な闘いが繰り広げられました。


 もちろん、その際にも。今と同じように多くの命が奪われては、想い虚しく道半ばにしてこの世を去っていく者が、多々。多々にして溢れ返りまして。


 どこを振り向いてもその先には。

 泣き叫び、絶望の淵へと顔を埋める姿が目に映り。


 もう、それはそれは。あぁ、哀しきか。本当に目も当てられないほどに酷い光景でございました。


 ですが、その戦乱の最中にて。この貴族当主のご先祖様は、並外れた勇姿を捧げて民を守り、戦場においても多くの魔族を天へと葬りさったことにより、特段多くの武勲を上げ国に評価された、とのことで。


 元々、この貴族の一族は平民出身の者であったのですが、のちに褒美として国から貴族の爵位を与えられることとなり。

 そうしていまも、小さきながら与えられた土地を守りながら、代々受け継がれているというわけです。


 それでも、事はそう簡単に邁進するわけではございません。

 一度長きに渡る平穏が訪れてしまえば。闘う力も失えば、武勲を上げる機会すらも当然になくなるわけであり。


 公爵や、侯爵などといった高位の方々のように、世に胸を張り、声高々に唱えるほどの高い爵位があるわけではない。

 高級貴族のような、豪華絢爛な装飾や広々とした玄関。様々な花をふんだんに植えられるような御庭に、夕食会に芸者を連れ込むような贅沢で洒落た御金が湧き出てくることもございません。


 目立たず、静かに。

 上の者から見てしまえば、それこそ不自由で窮屈な暮らしとして。様相が、その目に映るかと、思えるかもしれません。


 ですが、その貴族は決して。

 そのような不便さに、界が向ける視線に対して不満を露わにすることも、腹を立てることもなく。


 今ある享受を大切に。感謝を込めて日々を送る。


 当主と夫人。その間に生まれし一人娘の三人家族は。

 それはそれは大変に、幸せそうな日々をお送りになられておりました。



 ”Guardare dentro e proiettare i ricordi”。


 記憶を覗き、映しましょう――。



 貴族の家名は。

 ファトゥナ・セレネ家。


 人に優しく、誠実な。

 大変愛に溢れた、小さき貴族でございました。


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