「はぁ…………はぁ……」
怪物の、巨躯の躰は崩れ去り。
板造りの広間に聴こえてくるは、天下烈志の息遣い。
「はっ……ふっ…………ひゅぅ……………」
灰と為りて消える寸前の、エーイーリーと目を合わせた後において。
いま、彼の目の前にあるのは、空っぽとなったメーターが映し出された青色のパネルと。
怪物亡きいま此の時もなお、ショスタ・ペーラの剣を握り、仁王立つローミッド・アハヴァン・ゲシュテインの姿が。
「ツヨヨ…………ツヨヨッ!」
横一閃に振り抜かれた赫刀は輝きを失って。
天下の掌から零れるようにゆっくりと、床板の上へと落とされ。
「…………ァ、コクマッ……ち?」
闘い終え暫時過ぎる頃合い、背後から守護者であるコクマーが、座り込み続ける天下へと声を掛けたらば。
緊張からの解放に堪らず呆けていた天下は、微かに掠れた声でたどたどしく返事をしながら、おもむろに後ろを振り返って彼女の顔を見る。
「だい、じょうぶだ…………」
そして、心配そうに見つめるコクマーに、すぐに天下は微笑を浮かべて無事であることを伝えると。
「…………よかった」
そんな天下からの反応に、思わずコクマーも眼を微睡ませ、吐息混じりに安堵の言葉を口にする。
「たいちょうっ……!!」
「「――っ!」」
その、時。
「――っ! おっさんっ!!」
静寂切り裂き、遠くからペーラの叫び声が聞こえてきた瞬間と、ほぼ同時。
エーイーリーの身体が完全に崩れ去り、闘いが終焉を迎えたことを悟ったかのよう。
ずっと、彼らの前で立ち続けていたローミッドの身体が、糸の切れた人形のように力無く、膝から崩れ落ちては前のめりに倒れ伏してしまう。
「隊長っ……! たいちょうっ!!」
その様子を目撃し、急いで駆け寄ってきたペーラは。
「たいちょうっ……!! どうか、どうかしっかりっ……!!」
冷たく、ボロボロとなった床板の上で寝転がるローミッドの身体を起こし抱きかかえて。涙声に、何度も何度も彼の肩を揺さぶりながら呼び続ける。
「…………ァ」
そうして。
「…………ァ、ァァ。ペーラ、か……」
彼女の声に醒まされたローミッドは、閉じていた両目を少しずつ開け、ペーラのクシャクシャとなった顔を見つめる。
「よかっ……た…………。無事、だったん……だな…………」
両腕で、己を大事に抱える彼女の様相を見たローミッドは、この世で最も大事な部下が、こうして何事もなく生き残っていることを喜ぶと。
「あの……化け物、は…………」
「えぇっ、えぇ…………ヤツはもう、この場にはいませんよっ……!」
「…………そう、か」
エーイーリーの生死について尋ね、そうして彼女からの返答を受けたその瞬間。
ようやく自分の役割を終えたと言わんばかりに、握り続けていた剣を手放して、床板の上へと落とす。
「アァ…………そんなっ、たいちょう…………!」
死力を果たして燃え尽きてしまったローミッドの姿は、あまりにも無惨なもので。
大きく裂け、開かれた胸の傷を中心に、身体中は禁技による影響を諸に受け青々と深い痣を作らされて。
顔の血の気も、誰が見てもハッキリとわかるほどに引ききっては真っ白となり、いまも、こうして生きて、意識があることすら奇跡と思わされるほどに。
彼の生命の灯は、ひと風吹かれたらば途端に消えてなくなってしまう、それほどまでに弱弱しいものとなってしまっていた。
「いやっ……いやですっ…………! わたし、はっ……」
もう、彼の容態では助かる見込みはない。
その現実は、ペーラの頭の中では認識として強く強く刻まれてはいたが。
「わたしは、まだ…………」
それでも、なお。
一抹の望みを賭けようとして。
「神さま…………どうか、どうかっ……」
徐々に冷たくなっていくローミッドの手を握りしめ、己の額に押し当てながら。
目に見えぬ存在に向け、心の奥底から嘆願し、どうか救ってほしいと縋りゆく。
「…………おっさん」
刹那。
抱き寄せ合う二人のもとへと、天下は白の袴姿のまま近づいてきて。
「あぁ…………君、か……」
天下の気配に気づいたローミッドは、彼が見せる表情を目にすると。
「あり、がとう…………。君が来てくれなかったら、いま頃…………ここにいる皆、あの化け物によって殺されていたはず、だから…………」
先ほど、コクマーに呼ばれた際に天下が彼女へと見せた笑顔と同じように。
今度は、ローミッドが同じ表情を天下へと見せて。
「おっさん、オレは…………」
「いいんだ…………君自身の手で、皆を救ってくれたんだから…………。それは…………君の中で、誇っていいことなんだ…………」
「ちがう……オレは、オレはそうじゃなくて…………」
「アマシタ・ツヨシ」
「――っ!」
「もう、いいんだ…………」
「………………ちき、しょう」
彼が。天下が言いかけようとする言葉の、その言葉に含まれた意図を。
ローミッドは全てを理解しているように。
下を俯く彼へと向けて、優しく穏やかな声色で応えてあげ――。
「ほんとうに、ありがとう…………」
生まれも育ちも。
星も環境も何もかもが違う世界の人族同士。
お互いの価値観を、理解し合うことなど無理にも近しいものかと感じていたが。
それでも、こうしていま――。
彼が。異世界からきた異国の者が。
同じ、命を賭けるという土俵の上で、共に闘い守り紡いでくれたということ、そのものが。
ただただ、感謝しかないと。
ローミッドは、目の前に立つ青年へ向けて。
心からの感謝と礼を述べる。
「………………」
そんな、ローミッドからの言葉を静かに受け止める天下は。
「…………ツ、ツヨヨ?」
何を思ったか、唐突に。
「…………コクマっち。ごめん、まだ少しだけ付き合ってもらえるか?」
後ろを振り返れば、ローミッドとペーラ。両者の元から離れていき。
「まだ、敵がどっから出てくるかもしんねぇから、この辺全部、オレに見張らせてくれ」
床に転げ落ちる赫刀を再び拾い上げ、彼らに背を向けたまま、静まり返る板造りの広間を見渡していく。
「…………すまない、な」
そんな、天下の取った行動に、ローミッドは謝りを入れたらば。
「…………ペーラ」
大粒の涙を流し、己を抱き寄せ続ける彼女の顔へと視線を移し、そして。彼女の美しく煌めく紅の瞳を真っすぐに見つめる。
「たい、ちょう…………」
残された時間が、もうほとんどないことは。
両者共々に、感じ理解していて。
今生の別れとなる前にと。
「なぁ、ペーラ…………」
「……………………はい」
「覚えて、いるか…………」
彼は、ローミッドは。彼女へと、初めて。
己の胸の内に秘め、込めてきた想いを吐露する――。
「君が、この部隊へと所属してから……初めて、俺の下へときた日のこと…………」
「…………はい、もちろんです」
「あの日から、いままでも……君は、本当に…………真っすぐで、純粋で……。直向きに、皆の模範となるような……剣の道を歩んできてくれた…………」
「それは…………それはっ、隊長がわたしを……! 正しく……導いてくださった、から」
「君はずっと……。俺の背中を追い続けてくれて…………気づけばいつの日にか、君は……。こんな、愚直な俺の傍で、共に歩き、寄り添い支えてくれるようにまでなってくれて…………」
「そんな……そんなこと、は…………」
「ずっと、ずっと……。いままで俺は、一人で……多くの民の想いを背負い続けてきてしまっていた…………それが、時には己の心を押しつぶそうとするほどに…………耐えられないほど膨れ上がってしまいそうになることもあった…………」
「……………………」
「だが、君という存在が…………。そんな俺の心をいつも、いつでも奮い立たせてくれて…………こうして、この時まで……。誰かを守るための剣を振るい続け、剣を愛し続けることができた…………」
「たい、ちょう…………」
「………………ペーラ」
「…………はい」
「ほんとうに…………君が傍にいてくれて……。ほんとうに、心からよかった…………」
「…………はいっ…………はいっ……!」
「……………………ペーラ」
「はいっ…………!」
「…………愛して、いるよ」
「…………はいっ。わたしも、ですっ……!」
「……………………あぁ」
――――ありが…………と……う
いま、この時も。
誰も、気づかない。
誰も、知る由もない。
異世界という、次元の異なる惑星の。
誰も知らない国の、知らない場所において。
人の生き死には絶えず、激しい流動の中で行われていて。
人知れず、大切な何かを守るためにと闘う者が存在する。
いつ死ぬか、いつ消えてしまうか定かじゃない苛烈極める世界においても。
お互いに愛し、愛されては。
その想いが成る者成らざる者と、それもまた様々と在りて。
だからこそ、今を大切に生き抜き。
必死に、明日へと紡ぐ、その為にと。
一つ一つを、懸命に、直向きに歩もうとする。
そんな、尊き想いを剣へと乗せ。
剣に生きてきた一人の男。
ローミッド・アハヴァン・ゲシュテイン。
儚き恋という意味を持つ、彼の者は。
最期まで、大切な者を守るべく闘い抜いたのち。
生涯、唯一愛した女性の抱きかかえる腕の下で。
全ての生き物への安寧を願い。
穏やかに、その生涯を閉じるのであった。
異世界アレット
レグノ王国軍剣士部隊部隊長
ローミッド・アハヴァン・ゲシュテイン
生命の樹内、“流出の間”にて
クリフォトが一体、巨躯の怪物エーイーリーとの戦闘によりーー
戦死