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95.儚き恋


「はぁ…………はぁ……」



 怪物の、巨躯の躰は崩れ去り。

 板造りの広間に聴こえてくるは、天下烈志の息遣い。



「はっ……ふっ…………ひゅぅ……………」



 灰と為りて消える寸前の、エーイーリーと目を合わせた後において。

 いま、彼の目の前にあるのは、空っぽとなったメーターが映し出された青色のパネルと。


 怪物亡きいま此の時もなお、ショスタ・ペーラの剣を握り、仁王立つローミッド・アハヴァン・ゲシュテインの姿が。


「ツヨヨ…………ツヨヨッ!」


 横一閃に振り抜かれた赫刀は輝きを失って。

 天下の掌から零れるようにゆっくりと、床板の上へと落とされ。


「…………ァ、コクマッ……ち?」


 闘い終え暫時過ぎる頃合い、背後から守護者であるコクマーが、座り込み続ける天下へと声を掛けたらば。

 緊張からの解放に堪らず呆けていた天下は、微かに掠れた声でたどたどしく返事をしながら、おもむろに後ろを振り返って彼女の顔を見る。


「だい、じょうぶだ…………」


 そして、心配そうに見つめるコクマーに、すぐに天下は微笑を浮かべて無事であることを伝えると。


「…………よかった」


 そんな天下からの反応に、思わずコクマーも眼を微睡ませ、吐息混じりに安堵の言葉を口にする。


「たいちょうっ……!!」


「「――っ!」」


 その、時。


「――っ! おっさんっ!!」


 静寂切り裂き、遠くからペーラの叫び声が聞こえてきた瞬間と、ほぼ同時。


 エーイーリーの身体が完全に崩れ去り、闘いが終焉を迎えたことを悟ったかのよう。

 ずっと、彼らの前で立ち続けていたローミッドの身体が、糸の切れた人形のように力無く、膝から崩れ落ちては前のめりに倒れ伏してしまう。


「隊長っ……! たいちょうっ!!」


 その様子を目撃し、急いで駆け寄ってきたペーラは。


「たいちょうっ……!! どうか、どうかしっかりっ……!!」


 冷たく、ボロボロとなった床板の上で寝転がるローミッドの身体を起こし抱きかかえて。涙声に、何度も何度も彼の肩を揺さぶりながら呼び続ける。


「…………ァ」


 そうして。


「…………ァ、ァァ。ペーラ、か……」


 彼女の声に醒まされたローミッドは、閉じていた両目を少しずつ開け、ペーラのクシャクシャとなった顔を見つめる。


「よかっ……た…………。無事、だったん……だな…………」


 両腕で、己を大事に抱える彼女の様相を見たローミッドは、この世で最も大事な部下が、こうして何事もなく生き残っていることを喜ぶと。


「あの……化け物、は…………」


「えぇっ、えぇ…………ヤツはもう、この場にはいませんよっ……!」


「…………そう、か」


 エーイーリーの生死について尋ね、そうして彼女からの返答を受けたその瞬間。

 ようやく自分の役割を終えたと言わんばかりに、握り続けていた剣を手放して、床板の上へと落とす。


「アァ…………そんなっ、たいちょう…………!」


 死力を果たして燃え尽きてしまったローミッドの姿は、あまりにも無惨なもので。

 大きく裂け、開かれた胸の傷を中心に、身体中は禁技による影響を諸に受け青々と深い痣を作らされて。


 顔の血の気も、誰が見てもハッキリとわかるほどに引ききっては真っ白となり、いまも、こうして生きて、意識があることすら奇跡と思わされるほどに。


 彼の生命の灯は、ひと風吹かれたらば途端に消えてなくなってしまう、それほどまでに弱弱しいものとなってしまっていた。


「いやっ……いやですっ…………! わたし、はっ……」


 もう、彼の容態では助かる見込みはない。

 その現実は、ペーラの頭の中では認識として強く強く刻まれてはいたが。


「わたしは、まだ…………」


 それでも、なお。

 一抹の望みを賭けようとして。


「神さま…………どうか、どうかっ……」


 徐々に冷たくなっていくローミッドの手を握りしめ、己の額に押し当てながら。

 目に見えぬ存在に向け、心の奥底から嘆願し、どうか救ってほしいと縋りゆく。


「…………おっさん」


 刹那。


 抱き寄せ合う二人のもとへと、天下は白の袴姿のまま近づいてきて。


「あぁ…………君、か……」


 天下の気配に気づいたローミッドは、彼が見せる表情を目にすると。


「あり、がとう…………。君が来てくれなかったら、いま頃…………ここにいる皆、あの化け物によって殺されていたはず、だから…………」


 先ほど、コクマーに呼ばれた際に天下が彼女へと見せた笑顔と同じように。

 今度は、ローミッドが同じ表情を天下へと見せて。


「おっさん、オレは…………」


「いいんだ…………君自身の手で、皆を救ってくれたんだから…………。それは…………君の中で、誇っていいことなんだ…………」


「ちがう……オレは、オレはそうじゃなくて…………」


「アマシタ・ツヨシ」


「――っ!」


「もう、いいんだ…………」


「………………ちき、しょう」


 彼が。天下が言いかけようとする言葉の、その言葉に含まれた意図を。


 ローミッドは全てを理解しているように。

 下を俯く彼へと向けて、優しく穏やかな声色で応えてあげ――。


「ほんとうに、ありがとう…………」


 生まれも育ちも。

 星も環境も何もかもが違う世界の人族同士。


 お互いの価値観を、理解し合うことなど無理にも近しいものかと感じていたが。


 それでも、こうしていま――。


 彼が。異世界からきた異国の者が。

 同じ、命を賭けるという土俵の上で、共に闘い守り紡いでくれたということ、そのものが。


 ただただ、感謝しかないと。


 ローミッドは、目の前に立つ青年へ向けて。

 心からの感謝と礼を述べる。


「………………」


 そんな、ローミッドからの言葉を静かに受け止める天下は。


「…………ツ、ツヨヨ?」


 何を思ったか、唐突に。


「…………コクマっち。ごめん、まだ少しだけ付き合ってもらえるか?」


 後ろを振り返れば、ローミッドとペーラ。両者の元から離れていき。


「まだ、敵がどっから出てくるかもしんねぇから、この辺全部、オレに見張らせてくれ」


 床に転げ落ちる赫刀を再び拾い上げ、彼らに背を向けたまま、静まり返る板造りの広間を見渡していく。


「…………すまない、な」


 そんな、天下の取った行動に、ローミッドは謝りを入れたらば。


「…………ペーラ」


 大粒の涙を流し、己を抱き寄せ続ける彼女の顔へと視線を移し、そして。彼女の美しく煌めく紅の瞳を真っすぐに見つめる。


「たい、ちょう…………」


 残された時間が、もうほとんどないことは。

 両者共々に、感じ理解していて。


 今生の別れとなる前にと。


「なぁ、ペーラ…………」


「……………………はい」


「覚えて、いるか…………」


 彼は、ローミッドは。彼女へと、初めて。

 己の胸の内に秘め、込めてきた想いを吐露する――。



「君が、この部隊へと所属してから……初めて、俺の下へときた日のこと…………」


「…………はい、もちろんです」


「あの日から、いままでも……君は、本当に…………真っすぐで、純粋で……。直向きに、皆の模範となるような……剣の道を歩んできてくれた…………」


「それは…………それはっ、隊長がわたしを……! 正しく……導いてくださった、から」


「君はずっと……。俺の背中を追い続けてくれて…………気づけばいつの日にか、君は……。こんな、愚直な俺の傍で、共に歩き、寄り添い支えてくれるようにまでなってくれて…………」


「そんな……そんなこと、は…………」


「ずっと、ずっと……。いままで俺は、一人で……多くの民の想いを背負い続けてきてしまっていた…………それが、時には己の心を押しつぶそうとするほどに…………耐えられないほど膨れ上がってしまいそうになることもあった…………」


「……………………」


「だが、君という存在が…………。そんな俺の心をいつも、いつでも奮い立たせてくれて…………こうして、この時まで……。誰かを守るための剣を振るい続け、剣を愛し続けることができた…………」


「たい、ちょう…………」


「………………ペーラ」


「…………はい」


「ほんとうに…………君が傍にいてくれて……。ほんとうに、心からよかった…………」


「…………はいっ…………はいっ……!」


「……………………ペーラ」


「はいっ…………!」


「…………愛して、いるよ」


「…………はいっ。わたしも、ですっ……!」


「……………………あぁ」



 ――――ありが…………と……う




 いま、この時も。


 誰も、気づかない。

 誰も、知る由もない。


 異世界という、次元の異なる惑星の。

 誰も知らない国の、知らない場所において。


 人の生き死には絶えず、激しい流動の中で行われていて。

 人知れず、大切な何かを守るためにと闘う者が存在する。


 いつ死ぬか、いつ消えてしまうか定かじゃない苛烈極める世界においても。


 お互いに愛し、愛されては。

 その想いが成る者成らざる者と、それもまた様々と在りて。


 だからこそ、今を大切に生き抜き。

 必死に、明日へと紡ぐ、その為にと。


 一つ一つを、懸命に、直向きに歩もうとする。


 そんな、尊き想いを剣へと乗せ。

 剣に生きてきた一人の男。


 ローミッド・アハヴァン・ゲシュテイン。


 儚き恋という意味を持つ、彼の者は。

 最期まで、大切な者を守るべく闘い抜いたのち。

 生涯、唯一愛した女性の抱きかかえる腕の下で。


 全ての生き物への安寧を願い。

 穏やかに、その生涯を閉じるのであった。



 異世界アレット

 レグノ王国軍剣士部隊部隊長

 ローミッド・アハヴァン・ゲシュテイン


 生命の樹内、“流出の間”にて

 クリフォトが一体、巨躯の怪物エーイーリーとの戦闘によりーー



 戦死



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