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92.折られた心、その傍で


ペーラ視点



 一体、何が起きたというの……?



「剣技っ! “ עמוד האשアムドアッシュ ”ッ!! ― 火柱 ―」


 さっきまで、あんなにボロボロになっていたあの男が。


「でやァァァァァッ!!!!!!」


 化け物の…………あんな理不尽なまでの暴力に。


「だっしゃァァァァァァッ!!!!」 


 とっくに、死んでいてもおかしくないほどの攻撃を受けていたというのに。


 壁際に追い詰められていた彼が。

 また、奴の拳に潰されそうになったとき。


 突然、目の前が真っ赤な光で見えなくなったと思ったら。


 気づいた時には、その光の中に…………彼の姿があった。


 何か……小さな宝石を手に握りしめていたみたいで…………。でも、次にはもう。


 今のような……よくは分からない。けれども、何かの儀式の正装のような、質素な姿に変化していて。


 化け物が持つあの大きな刃物と似たような、思わず目が向いてしまいそうになる赫い刃も……。


「シィッ! はぁぁっ!!」


 彼がここに来たときに持っていた代物とは全く別の武器と変わり果てていて。


 それに……。


「すぅーーーー、だぁぁっ!!」


 化け物へと迫る、彼の剣のその太刀筋。

 今まで見てきたような……まるで、曲芸師が見世物として道化ているような派手な動きではなく。


 それこそ、わたしが……。初めて剣を握った日から今までに欠かしたことのない、基本の素振りと同じ動き、剣捌きのみで。


 挙動が少なく、最も効率的な動き方。

 隊長が、ずっと。隊の皆々に伝え続けていたそのもの。


 …………わたしも闘わなければ。


「わ……わたし、も」


 今すぐ加勢に行かなければ。


 あの瞬間。

 彼とあの怪物が静かに対峙した時。


 明らかに、“誰も手を出すことは許さない”と言っているかのような。

 彼も、化け物も……そんな尋常じゃない気配を放っていた。


 彼のことは、初めて出会った時から心底嫌な印象しかなかった。

 わたし達の世界の……わたし達の国の事情など、決して何も分かってなさそうな。どこの世界から渡ってきたかも眉唾な、信用ならない国の人族が…………。


 だけど、そんなことは今関係ない。

 彼は、たった一人で闘っている。


 わたしを助けただけではなく。まるで、今この時も。

 生き残っているエルフ国兵らも含めて、誰一人としてこの闘いに巻き込まないように。


 全神経を化け物へとぶつけて。化け物の意識を完全に自分だけへと仕向けるように。


「お願い……動い、て…………」


 今すぐに、この脚で立たなければ。


 わたしの心臓は動いている。

 わたしには、五体満足に動ける躰がある。

 剣を振るえる両の手腕がしっかりとある。


 隊長が、命を賭けて、こんなに必死となってしまうまで。

 この世界から、絶対に滅ぼすと誓ったように。あの魔族を相手に闘い、あそこまで追い詰めようとしていたのに。


「お願い、だから……」


 だから、わたしも……わたしがレグノ王国の誇れる剣士として、隊長の想いを塵にはさせないよう。


 わたしが……わたしが…………!


「どう、して……」


 それなのに。


 腕が、上がらない。

 脚も、剣を握る手にも力が入らない。


「目の前に……魔族がいるのに…………」


 なぜ立ち上がることをしない、ショスタ・ペーラ。


 まだ、闘いは続いている。

 いつまでも、こうして下を向いている場合ではないんだ。


 せめて、せめて。

 わたしもあの化け物へ、一太刀を浴びせ。この手でその命を狩り取らなければ。


「なのに…………」


 どうしてよ。


「…………斬れる気が、しない」


 わたしの剣が、あの化け物の躰を刻み込む想像ができない。

 今までの研鑽、その全てをどんな技へと叩き込んだとしても。


 わたしの刃では…………敵わない。


 どんなに洗練とされた動きを、頭の中で思い描こうとしても。

 いくら反芻しても、あの巨躯の躰を断つ太刀筋が浮かばない。


 ここまで剣が重く感じたことはない。

わたしの手が、この瞬間に。赤子の手になってしまったのかと勘違いしてしまうほどに。


全く以って。握った手へと、力を加えることができない。


「動けっ……立てっ…………斬れっ……!!」


 何をしている。


「だぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」


 闘っているんだぞ。


「ぐへぁっ!? なんのぉっ!!!!」


 目の前で、異界の者が。


「動け…………」


 動け動け動けうごけうごけうごけうごけっ…………!


「ぐぅっ……、くっ…………うぅ……!」


 目の前で隊長がやられる姿を見て。

 その瞬間、わたしの中の何かが崩れ落ちてしまった。


 どんな時も、どんな状況でも。

 わたしはずっと、貴方の傍に居続けたいと。その背中を、いつまでも追い続けて、貴方の描くその先の景色に、わたしも共にありたいと想い続けていた。


 そんな、心から。一時も想い忘れたことのない御方を、目の前で失って……。

 届けることも、貴方が大切にしてくださったわたしの剣の姿を、もう見せることができないのかと考えてしまうと。


 国の為、民の為という大義はあったとしても。

 わたしという、わたしとしての意義はもう。


 わたしの握る剣へと紡ぐことは叶えられなくなって――。


「たい、ちょう…………」


 わたしは、こんなにも弱いのか。


「たいちょう……わたし、はっ…………」


 一度心を折られたからといって。

 一度、己の剣が全く通用しないと分からされたからといって。


 もう一度、立ち上がることすら出来ないなんて。


「だれ、か…………」


 誰か、どうか…………。


「あの男を……」


 彼を、助け……………………



「…………………え?」


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