「んー…………。お話は伺わせていただきましたが、自覚されたというのがつい昨日のこととなりますと……。もしかすれば、何か体調がよくなかったから、偶々その日だけ。ということもありますし…………」
「そう……ですか」
「お顔も見たところ、ここ最近あまりお休みになられてないのでは? ご職業柄、多くの人の目に触れるということ自体が、人によっては大きなストレスとなるケースもありますからね。ここらで少し、休養を取られることもお勧めします」
「え、えぇ…………」
「ちょっとした滋養強壮の効果もある漢方薬を渡しておきますので、どうぞそちらを服用されながら、御自愛ください」
異変に気が付いたその翌日。
結局、あれから一睡もできなかった天下は、いてもたってもいられずに自室から飛び出すと、すぐに実家から一番近い病院へと駆け込んでいった。
初めに軽い問診を受けた際に、彼は自分の身に起きたことをありのままに伝えたのだが。
「(気に……しすぎなのか、な…………)」
昨日からのことは偶然だと。医者から言われた言葉を反芻する天下だったが、それでも心の中に渦巻く悩みは己から解き放たれることはなく。
「(まぁ……確かにここ最近は特に、モデルの仕事も忙しかったしな)」
きっと自分でも知らないうちに、疲れが溜まっていたのかもしれない。
今日はこのまま帰って、貰った薬を飲んで早く寝よう。そして、明日か明後日になればきっと、この異変もすぐに治ってくれるだろうと。
そう、不安に囚われる自らの心に強く言い聞かせるように、天下は何度も念じながら、足取り重く帰路を歩いていった。
それでも――。
「(…………ダメだ、全然変わらねぇ)」
一日、二日。一週間、二週間と。
病院からの処方箋を受けたあの日から、あっという間に時は過ぎ。
彼の心体を蝕むそれは、全く以って改善する兆しが見られず。
一時的にモデルの仕事量を減らしても、睡眠の質が上がるようなことを試してみても、一向に良くなる気配はなく。
「(なんでだよ……どうしてなんだよ…………!)」
もし、これの原因がストレスから来ているものならば。
天下は、その要因になりそうな物事を、心当たりのあるものから一つ一つ、己から遠ざけていくようにしていったのだが、逆にそれが余計に彼を徐々に神経質にさせてしまうハメとなってしまい――。
「(あぁ…………何やっても、ダメだ……)」
ついには、丸一か月以上が経過しても。
彼の容態は回復せず。
ただただ、過ぎ去った時間の量だけが、彼のプライドと尊厳を傷つけることとなり。
ガールフレンドとのデート中でも。
「(ダメだ……全っ然楽しめねぇ)」
道場での稽古中であっても。
「(あの子らの視線が気になって……練習どころじゃねぇっ!)」
目の前のことに集中することすら、全くできず。
今まで大層心地よく感じていた、女性達からの声援ですらも、いよいよ鬱陶しく思い始めて。
「ねぇ、つよしー。最近ウチのこと、なんか避けてない?」
ついには。
「はっ? いやっ、そんなことねーよ……?」
交際していた相手との関係も、崩れはじめ。
「ウソよっ! だってこの前もウチが誘っても断ったじゃんっ!」
「ちがっ……! それはっ!」
「最近のつよし全然つまんないし。そんなにウチのこと気に入らないんだったら、もう付き合えないから」
「そ……そんな…………」
他の男に取られたわけでもないのに。
彼は突然にして独り身となってしまうのであった。
* * *
「(あぁ……なんもやる気しねぇ)」
心と身体の状態が一致しない。
「(オレ、今さっき振られちまったのに……)」
自分の元から去っていく女の子を追いかけようという気持ちはあったのに。
「(身体が……それを求めていないんだよ…………)」
どうしてか。
手だけは、遠のいていく彼女の背中に向かって伸びていたのに。足だけが、その場から一歩たりとも動こうとはしなかった。
「(もう、ずっとだ…………)」
あの日、初めて異変を感じた時から。
ずっと、何も感じなくなってしまった己の身体。
好きな女性と並んで歩き、目を見てきちんと言葉を交わしている時でさえ。
指と指が、触れ合って。
お互いの吐息を感じあい。
傍に、隣り合っているというのに。
何も、一切感じない。
今まで感じていた胸の高鳴りも、高揚も。
何一つとして、彼の中に生まれることがない。
いくつもの病院を駆けまわり。
治して欲しいと嘆願して。精密検査も、血液検査も受けれるものは全て受けたが結果は全て、正常と。
ありとあらゆる方法を試してみても、解決されることはない。
それは、いよいよ彼のこれまで積み上げてきた自信を失い始めるものとなり。
「…………ん? おい、つよし。お前、今日稽古は」
「ごめん親父、今日も行けねぇわ」
幼き頃から鍛錬し続けてきた剣道も、習慣として取り組んでいた朝の日課でさえも、気持ちが乗らずに休む日は増え。
「きゃあーっ! つよしさぁーんっ!」
道端で、ファンからの声援が彼の耳へと届いたとしても。
「…………ごめん、今日は忙しいからまたね」
彼は愛想笑いをするだけで、それ以上コミュニケーションを取ることは極力避けるようになっていき。
「ここ最近、つよし元気ないわね」
「どうせまた女に振られたかとか、下らん悩みで落ち込んでいるだけだろ」
両親はもちろん、誰にもこの悩みは言えるわけがない。
今までと、これまでと。めざし、培ってきた理想の男性像が。
こんな理由で、全ての人から幻滅されてしまうと。
それだけは決して、彼のプライドが許すわけがなく。
「(絶対に…………)」
絶対に、この秘密だけは。
「(誰にも言ってたまるもんか……)」
生涯にわたって、何がなんでも。
「(絶対に…………)」
絶対、に――。
* * *
「こうして、人生の底に叩き落とされたツヨヨだったわけだけどー。ある日エレマ部隊の専属広告モデルとしてスカウトされちゃってー、そこで手に入れたエレマ体の力で異世界へと行くとなんとぉっ! そこではツヨヨのちょータイプな女騎士ちゃんが現れてっ! あまりの衝撃を受けたその時っ! たちまちツヨヨのツヨヨがツヨヨになって全部解決しちゃったってお話おはなし~っ!」
空間から召喚した小鏡を地面へと置き、ここまで天下烈志の過去を物語ったコクマ―が、目の前で唖然とする天下のことなどお構いなく、さぞ楽しそうな表情で、軽く手を叩きながら宙へと浮いては。
「…………全部言うじゃん」
己の全てを赤裸々に。
語られ明かされた天下は。
「…………え。全部言うじゃん」
目の前で華麗に宙を舞うコクマ―の姿を茫然と眺めては、耳を赤くして、今までの、己の歩んだ道のり一つ一つを鮮明に思い出し、恥ずかしさに声を震わせる。
君の全部を知っているからと。
まさかそこまで言われるとは微塵も想像していなかった天下。
「へっへーん、これで少しはあーしのこと、信じてもらえたかなー?」
そんな天下に対してコクマ―は、宙高いところから急降下すれば、己の顔を天下の鼻先にまで近づけて。
「いやっ……だからって、お前っ……!」
今すぐにでも、子どものように辺り構わず叫び散らしたい。
誰にも言わず、今日に至るまでずっと隠し通してきたものを、こんな訳のわからない存在に全てを明かされるなんて。
「ん~? もしかして……まだこれでも納得してない感じぃ? それじゃあ次はぁ、ツヨヨがお部屋に隠している歴代トップシークレッt」
「だぁぁぁぁぁっ!!!! わかったっ! もう信じるからっ!!!!」
もうこれ以上、己の痴態を眼前で晒されるのはまっぴらだと。
地面に落ちた小鏡を拾い上げ、またしても天下の過去詳細を明るみにしようとするコクマ―に、とうとう観念した天下が口角泡を飛ばしながら。今この瞬間が、コクマ―も含めて全て、夢幻などではないことを認める。
「ぜぇ…………はぁ…………」
「んもー、せっかく面白くなってきたっていうのに、ツヨヨノリわるぅー」
「うるせぇ…………ノリとか、そういう話じゃ……ないんだよ…………」
「まぁ実際ぃ~。ツヨヨ、あの女騎士ちゃんに出会うまで、エレマ部隊に入ってからもずーっと無理していたもんねぇー。いっぱいの女の子たちに囲まれても、愛想笑いで誤魔化しちゃってさぁー」
「しょうが……ないだろ……。幻滅されるの嫌に決まってんだから……ぜぇ、はぁ……。隠し通せるんなら、見栄なりなんなり通せるもんは全部通すわ……」
「ふーん…………」
「てか、そんなことまで知ってんのかよ……」
「まあねーっ」
天下との問答を楽しむコクマ―。
彼の様子を見て、ようやく自分の言うことが嘘偽りでないと認知してくれたと思っては、どこか安堵した表情を露わにして、嬉しそうに宙を一回転し――。
そうして、暫くしたのちに。
「…………ふぅ。んで、そのオレのことを何でも知ってるコクマ―さんは、いったいオレに何の御用で……?」
落ち着きを取り戻した天下が、改めてコクマ―へと向かってと、彼女の目的を尋ねるわけなのだが。
「あっ、そのことなんだけどー」
「………………ん?」
天下からの問いを聞いたコクマ―は、突然今まで以上に真面目な表情を見せたらば。
「実はいま、ツヨヨの仲間たちが二度と地球に帰ってこれなくなるかもしれない感じになっててー」
「…………は?」
彼女は間髪入れず、天下にとって衝撃的な事態を直球に伝えて――。
「は……? あいつらが?」
「そっ。いまねー、魔族の奴らがフィヨーツに侵入して、生命の樹を滅ぼそうとしててねー。あいつらの術で、ツヨヨの仲間もちょーピンチになっちゃって。マジやばたにえんって感じなんだよねぇ」
いつの間に、知らないうちにそんな大事が起きていたのかと。
「う、嘘だろそんなの……も、もしホントだったら、もう誰も助けようが」
コクマーからの話に驚愕し、慌てた様子で緋色の亜空間内を行ったり来たりする天下。
「オレなんて今、やらかしたせいで謹慎処分受けているわけだし……」
どうにかして、フィヨーツにいる彼らを助ける方法はないのかと。
この話をすぐにでも井後に知らせたほうが。否、こんな話を今の自分がしたところで誰が信じてくれるだろうか、など。
どうしたらいい、どうしたらいい――。
何をしても、どれをとっても彼らの助けへとまで繋がらない。
焦り、それでも今出来ることはないかと、彼なりに考えを巡らせていると。
「ほんとうに?」
その時、唐突に。
「…………え?」
彼の守護者が。
「ほんとに、もう誰もいない?」
一体、彼は何を悩んでいるのだろうかと。
そう言いたげな表情で横から天下の顔を覗けば。
「いや、だって……総隊長は基地からぜってー離れるわけにはいかないし、他に向かえる戦力なんか」
そんなコクマーに対し、天下は事情を話そうとするが。
「いるじゃん、ツヨヨが」
なんとコクマーは。
「…………はい?」
そんな天下を指差して。
「ツヨヨがいるじゃん」
君が、みんなを助けにいけばいいんだよと。
さも、初めから決まっていたことを、何をいまさらというような口調で言葉を繰り返し。
「え、は? い、いや、だから……さっきのオレの話聞いてた!? オレはもう」
もちろん天下は、そんなことは無理に決まっているとして。
自分はもう専用エレマ体を没収され、自室すらも出てはならないと命令を受けている身であることを再度強調しようとするが。
「うん、でも関係あるの?」
そんな天下が抱える事情などどうでも良いと。
「………………えぇ?」
「そんなの、関係あるの?」
「い、いや……お前、そんなのって」
あっけらかんとした態度を貫いて。
コクマーの持つ、煌めく翡翠の両の眼が。天下の黒の眼をじっと見つめる。
「みーんな、いなくなっちゃうよ?」
言い返す言葉が見つからない。
「ツヨヨは、それでもいい?」
どうして、彼女はそこまで自分にみんなを助けるように言ってくるのだろうか。
「お……オレ、は…………」
考えが、まとまらない――。
今の自分に、他の皆を助ける資格などあるのだろうか。
いいや。人の命が危ういというときに、果たしてそんな資格などといった考えすら関係はないのでは、と。
今すぐに。
自分が助けに行ったほうが良いのだろうか。
わからない、わからない――。
いよいよ、どうしたらいいのかわからずに。
天下の脳内が、その場で思考停止を選択しようとした。
その時だった。
「ツヨヨ」
「――っ!」
苦悩する天下に、再びコクマーが彼の名を呼んだ時。
ふと、彼女の呼び声に顔を上げた天下の。
その目の前で。
「ツヨヨ」
彼女が見せていた表情は。
とてもとても、優しい笑顔。
それはまるで、沢山悩んでもいいんだよと伝えているかのような。
でも、大丈夫。きっと、キミにならできるからと。
キミが生まれた時から見守ってきたコクマーだからこそ、できる最大限の伝え方で。
「ツヨヨ」
悩み、苦しむ今世の受者へ。
「漢、オニ見せてこーぜ」
智恵と道理を司る第二のセフィラが。
誰よりも繊細で、誰よりも。
目的の為ならば、努力を怠らない彼の背中を。
力いっぱいに、後押しする。