光陰流水。
歳月の流れは小瓶の中に入った砂時計のように。
小さき戯れ男、天下烈志はそれからも。
いつ、どのような時でも、彼は彼なりの道を闊歩していった。
あれほど無邪気で、周りからも大いに可愛がられてきた少年は。中等学校、高等学校を経て、あれよあれよといううちに、非常に端麗な青年へと成長し。
幼き頃から父の姿を見て追いかけて。続けてきた剣道の道も早十年近く。
鍛え上げられたその肉体には、見惚れるような引き締まった筋肉が携えられ、そのスタイルの良さに、大きくなった彼の周りには、小さき頃よりもより多くの女性が集い、そして、誘われる存在となっていた。
己が描き、求める理想の“魅力的な男性像”を追い続け、一度射止めた女を他所へと取られたらすぐさまに、他所の男にはあって己には無いものを身に着けんと研究し、懸命に精進を重ね。
再び取り戻さんと挑んだ後は、勝てば良し、負けたら再起へ向けと。
彼なりに、幾度も幾度も尽力し続けていった。
「ねぇねぇっ! ちょっと君っ!」
たとえ、動機はどうあれど。
「…………え? オレっすか?」
これまでの、彼なりの努力の甲斐もあり。
「………………モデルぅ?」
偶然か、必然か。
ある日、街中を歩いていた彼は、企業広告用のモデリストとして声をかけられ。
それからも――。
「――っ! ねぇ、あの人もしかして…………」
「えっ! この前VIVO雑誌の表紙に載ってた人!?」
「どうしよっ、サインもらえないかなっ……?」
モデルの活動を始めて以降。
徐々に有名となりつつあった天下は、日を追うごとに、すれ違う女性達から積極的に声を掛けられ、寄られるようになっていった。
――――ごめんね、つよし君
歳を重ねるごとに。
――――あたし、他に好きな人ができたの
あの時のような。
激しく転げ落ちていくような大失恋に遭うことも、めっきりと無くなり。
「「「きゃぁーっ!! つよしさーんっ!!!!」」」
さらには。
「おいごらぁっ!! つよしぃっ!!!!」
実家の道場での稽古中であっても。
「何度言ったら分かるんだっ! 弟子らの稽古中にっ……! しかも道場の中にまで関係のない女を連れ込んでくるんじゃないと、散々注意しただろうっ!!!!」
父の指導の手伝いだと。弟子らの打ち合い稽古に混ざっていた天下だったが。
「えぇー!? 親父ぃー、オレ誰も何にも誘ってないってぇーっ」
そんな彼を追ってまで、その姿を一目見ようとして。道場の中は押しかける女性達で溢れ返る事態にまで発展し。
「ねーっ、可愛い子ちゃーんっ」
「「「きゃぁーーっ!!!!」」」
いつ、どこであっても。
彼が一声発するたびに、彼を追う女性達からは黄色い歓声が飛び交って。
あぁ、いよいよ以ってして――。
とうとう、天下烈志という男は。
自分がいま、描き求めてきた理想の魅力的な男性像として存在していることに、確固たる自信を抱き。
いままでも、これからも。
この高揚が、この胸の高鳴りが。道を歩み続ける己の足を、背中を。盛大に後押ししてくれるような人生を、謳歌していくのだと。
彼のなかには、そんな思いが巡りめぐっていた。
その、はずだった――。
「…………うーん」
ところがある時。
「どしたの? つよしー?」
彼が、ある女性と交際していた際のこと。
「いや、なんつーか…………んー」
その日も相変わらずに、彼はガールフレンドとのデートを楽しもうと、足取り軽く家を出ては、街中のあちこちを仲睦まじく一緒に散策していたのだが。
「(なんだろ。 いつもと何かが……)」
ガールフレンドとのデートを始めて暫しの頃合いにて。
何を思ったか、突然彼女の前で思案顔になっては、街中で急に立ち止まると。
「(あれ……? オレ……)」
身に覚えのない違和感に襲われ、途端に湧き上がってくる謎の感情に困惑して。
「…………? つよし、大丈夫?」
無言のまま、その場からじっと動かなくなった天下の様子が心配になった彼女も、どこか彼の具合が悪くなったのかと、横から天下の顔を覗き込み、何度も名前を呼び続けるが。
「………………」
天下は一向に彼女へ見向くことなく、変わらず顔をしかめながら、己の胸の中に覆いかぶさる心当たりのない靄の正体を探ろうとする。
そして。
「…………ごめん」
漸くにして、天下が彼女のほうを振り向いたかと思えば。
「オレ…………ちょっと今日は帰るね」
なんと急に、彼は彼女へデートの中断を申し入れ。
「えっ……? あ、ちょっとっ!!」
「ごめんっ! 今度ちゃんと埋め合わせするからっ!!」
そうして、突然帰ると言われ動揺する彼女をその場に残し、彼は慌てて背後の彼女へと手を振りながら、自宅へと向かって走り去っていってしまい――。
その後。
「なんでなんだ……? オレ、どうしちまったんだ……?」
自宅へと戻り、自室で茫然と座りこんでしまう天下は。
「何が……どうなって…………?」
デートの途中に彼女を置いて帰るという自分の先ほどの行動に困惑しながら、未だこの時も違和感となって襲い掛かる胸の奥に潜む黒い靄について苦悩して。
どうしてあんなことを言ってしまったのか。
なぜ、家を出た時から彼女に会うその瞬間まで、あれだけ楽しみにしていたデートを途中で放り投げてしまったのか。
自分の行動が、自分でも理解できないことに、彼の思考回路はさらに底なし沼へと沈んでいく。
何十分、何時間。幾ら悩んでも、違和感の正体に辿り着くことができない。
そんな、不毛な状態がずっと続くことに、彼は段々と苛立ちはじめ。
「つよしー? 帰ってきてるのー? 晩御飯できてるけど、食べるー?」
部屋の外から聴こえてくる母の声にも、返事をすることなく。
ただただ彼は、己の異変に振り回され。ついには、夕方に帰ってきたはずが、気づけばとっくに時計の針が深夜を回る頃になるまで、彼はずっと苛み続けた。
そして、時刻は深夜三時を過ぎた頃。
「………………」
灯り一つない部屋の中。
ベッドの上で寝転がる天下は、それからも。己を襲う違和感の正体を掴もうと、考え、向き合い続けてきた。
腹が空くことも、眠気が来ることもなく、ただ何もない真っ白な天井を見つめ、どうにかしてこの答えに辿り着こうと藻掻き続けた。
そうして――。
「………………あぁ、そっか」
まる一晩中寝ずに考え込み、とうとう閉じたカーテンの隙間から朝陽が差し込んだ時。
遂に、彼は。
「オレ…………」
己を襲う、この違和感の正体に。
「なんにも…………感じなくなったのか」
気付き、大きな衝撃を受けてしまうのだった。