「なぁ……。水の音がしねぇか?」
一人のエルフ国兵が。
「は……? お前、なに言って」
「いや、ほら…………そうだよ。やっぱり……こっちからっ!」
唐突に、顔を豹変とさせて飛び起きれば、耳を澄ませながらある一点を指差して。
「お、おい待てっ!!」
傍にいた別のエルフ国兵は、勢いそのままに指を差した方向へと駆け出していく仲間を見て、慌てて呼び止めようと手を伸ばし、思わず大声を上げる。
「な、なんだあいつ……?」
「急にどうしたってんだ……?」
その騒ぎに次々と、他のエルフ国兵達も起き上がり。
「な、なぁ! そこに何かあったのかっ!?」
「お、おいっ! 置いていくなっ!」
一心不乱に奥へ奥へと突き進んでいく仲間の姿に釣られて、一人、また一人と急いで後を追いかけ始める。
「(水……? そんなの、いまさっきまではどこからも)」
そんなエルフ国兵達の行動に、ローミッドも思わず動揺しては。
「おいっ! そんな闇雲に突っ込んでいったらっ……!」
これまでのようにお互いで警戒網を敷くことなく、雪崩れるように畳間の部屋を移動するエルフ国兵らを引き留めようと大声を上げるも。
「出口かっ……!? 出口があったのか!?」
「ま、待ってくれっ! 置いていかないでくれっ!!」
誰も、ローミッドの言葉に耳を貸す者はおらず。
「くそっ!」
いまこの隊列を乱した状況でもし、どこかから敵の奇襲を受けてしまえば――。
そんな最悪の事態をいの一番に危惧したローミッドも、もたもたしてはいられないとばかり、すぐにエルフ国兵たちの後を追って、滅茶苦茶となった畳間の部屋を駆け抜けていく。
「こっち……こっちのはずっ!!」
一幕の休みのなか、初めに水が流れる音を聞きつけたエルフ国兵が、我を忘れて走り続けて。
「そうだ、そうだっ……! 近いぞっ!!」
そんな彼に、敵と遭遇しようなどといったことは毛頭なく。
この摩訶不思議な空間閉じ込められ、ずっと彷徨い続けては水一滴すらもありつけずに。
いますぐにでも、このノドの渇きを。
少しでも早く、切羽詰まった己の心につかの間の癒しを与えたい。
そのことだけを、且つ防止。
両目をむき出しにして、次々と目の前に阻かる障子戸を斬りつけ、蹴破っていく。
「あと少し……あと少しっ!」
倒れた障子戸を踏み越えるごとに、求める存在が確かに近づいて。
――――そうして
「――っ!?」
突然目の前に、これまでとは違う、見た事もない朱色に染まった障子戸が現れれば。
それをエルフ国兵は、また勢いさながら蹴り飛ばした。
その先。
「はぁ…………はぁ……」
茫然と立ち尽くすエルフ国兵の視界には。
「あ……あった…………」
清らかに、静かにせせらぐ一本の細い川が流れていて。
「みず…………水だっ!!」
それを見たエルフ国兵はその場で雄叫びを上げると、顔中めいっぱいに笑顔を浮かべ、持っていた剣を地面へと投げ出して、当たり構わず川へ向かって走り出す。
「――っ!! ほ、ほんとだっ……!」
「あった……あったぞっ!!」
すぐに後から追いついた他のエルフ国兵らも、川の存在を目にした途端、ノドを掻きむしりながら、歓喜に舞い、我先にと川へ飛び込んでいく。
「ハァ……ハァ……」
しばらくすれば。
「こんなところに、川だと……?」
エルフ国兵たちを追いかけていたローミッドも、無事にここまで辿り着き――。
「ハッハッハッ! やったぞぉっ!!」
長い長い、まるで永遠の牢獄のような迷宮から抜け出せば。
ローミッドとエルフ国兵たちを待っていたのは、侘びさびた庭園。
渡り廊下によってコの字に囲われたその庭園には、中央に一本の清流を挟み、細かく敷き詰められた綺麗な小石が地面となって、所々には松の木が、和の造形を醸し出し。
赤の漆で染められた一つの橋が川を跨いで、風景に彩を添える。
「(……なんだ、この見たこともない光景は……)」
どれもこれも、彼らにとっては見たことも感じたこともない趣ばかり。
「ここは本当に、生命の樹の中なのか……?」
水を飲むことに夢中となっているエルフ国兵たちとは対照的に、感覚の全てを目の前の光景によって狂わされるローミッドは、襲い掛かる違和感に混乱し、顔を歪ませ、理解し難いといった表情を顕わにして、思わずその場から動けずじまいとなってしまう。
「くはぁっ……! たすかったぁっ!!」
そんなローミッドのことなど気にも留めず。
久方ぶりの水にありつけたエルフ国兵たちは、腹が膨れる勢いで目の前の川の水をがぶ飲みし、身に着けた鎧や衣服がびしょ濡れになるもお構いなく、両手に掬った水で汗ばんだ顔を洗い流すなど、授けられた恵みを堪能していた。
騒ぎ、甲高く響く歓喜の声以外に聴こえてくる物音はなく。
コの字に造られた渡り廊下に囲われた憩いの庭園に、襲来する敵の姿は決して現れない。
ただただ、幸運を享受して。
この朧気な時間を、空間を過ごしていく。
緊張し、息も詰まるような心境をずっと抱え込んでいた兵士達は。
一刻と、時が流れるごとに。
次第にそれも消え去っていき。
みな、闘いの最中であることすらも。
忘却し、身も心も裸となっていく。
「本当に、大丈夫なの、か……?」
現状に戸惑いながらも、暫くしてからすぐに辺りへの警戒を再開していたローミッド。
庭園を囲う渡り廊下をゆっくりと歩きながら、エルフ国兵たちがいる場所からその周辺にかけ慎重に見渡して、敵の気配や、どこかに仕掛けられた罠はないかと一つ一つ確かめていく。
「なにも、ないか……」
そうして粗方の索敵を終えた後。
「……俺も少し、頂戴するか」
短く息を吐けばその瞬間、ローミッドも喉の渇きを覚えては庭園中央をせせらぐ川へと視線を移すと、腰に下げた鞘に剣を収めながら、渡り廊下から降りて、小石の上へと歩き始める。
渡り廊下から見て川の手前側には、はしゃぐエルフ国兵たちでいっぱいだったため、朱色に染められた橋を渡って反対側へと回ったならば、川の手前でしゃがみ込み、そして、清流の中へと両手を入れる。
「(では、いただき……)」
掬った水を眺め、己の口元へと持っていこうとした。
――――その時
「…………ん? なんだぁ? あそこ……」
川で戯れていた一人のエルフ国兵が、突然ある一点を指差して――。
庭園を囲う渡り廊下に添っては白障子が綺麗に並び、その全ては隙間なく閉じられていた。
だが、エルフ国兵が気になった先には、その中でも一箇所だけ、真っ黒に染まった障子戸があった。
「(あそこだけ、なんで灯りが……?)」
その様子は、形整えられたこの光景の中ではあまりにも違和感を覚えるもので。
思わず変だと感じたエルフ国兵は、川から上がると、おもむろにその障子戸へと向かって歩き出す。
「なんだ?」
水を飲もうとしたローミッドも、渡り廊下のほうへと向かっていくエルフ国兵の姿が視界の端に映れば、どうかしたのかと気になり、水が掬われた手を止めて、その動向を追いかける。
「ここに何かあるのか?」」
初めは部屋の灯りが消えているのかと思っていたエルフ国兵。
中の様子が気になり、その障子戸に手を掛けいざ開けようとした。
その瞬間。
「――っ!!」
遠くから見ていたローミッドの目には、黒障子の内側から僅かな影の揺らぎを捉え――。
「まてっ!!!!!!」
そうして、ローミッドがエルフ国兵に大声で叫んだと同時。
「それっ!」
エルフ国兵が障子戸を開けた。
「…………え」
その先には。
「「「へへ…………へへへへへへ」」」
夥しい数の。
「う…………うわぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
エセクの姿があったのだった。