「侵入者であるキサマを、排除するとしよう」
突如現れた魔法陣によって、異なる場所へと転送させられてしまった空宙。
そんな彼を、岩肌にズラリと並べられた薬品棚が奥へ奥へと広がる洞窟にて待ち受けていたのは、謎の人物だった。
己を”峻厳の柱”と名乗るその者は、スラリとした頭身に襟付きの黒衣を纏い、紙は全て後ろへと束ねれば、丸縁の黒サングラスを鼻にかけ。
そのレンズの奥からは、赤に光る瞳孔が、獲物を狩る獣のように空宙の姿を覘かせていた。
「(な、なんだ、こいつ……)」
顕れては、唐突に排除すると言われた空宙。
「(さっきまで人の気配すらなかったのに……)」
辺鄙な場所へと飛ばされてすぐ、辺りの様子を物見していた際には、目の前にいる男の姿など、どこにもなかった。
だがその者は、初めから暗闇に溶け込んでいたかのように、いつの間にか彼の背後に存在していて――。
「さぁ、外界の者。どう我が輩に蹂躙されようか」
「――っ!」
油断する様子も、空宙から一切視線を外すような様子も見せず。ユラリと動き始める黒衣の男。
一歩ずつ、一歩ずつと空宙へと向かって進むたび、洞窟内には革靴の乾いた足音が響き渡り。
「(やるしかないか……!)」
黒衣の男が近づくたび、空宙も両手を前へと構えながら、少しずつ後ろへと下がって。
両者、時計回りに移動を繰り返しては、静かににらみ合う展開がしばらく続き――。
そうして。
「――っ!」
黒衣の男が、おもむろに右手を挙げた時。
「(くるっ……!)」
仕掛けてくると予測した空宙が、防御を取ろうと構えた。
――――刹那
「遅い」
「――っ!?」
空宙は。
「ガハァッ!?」
黒衣の男から見て、遥か奥にある薬品棚へと吹き飛ばされていて。
「(な、なん、だっ……!?)」
背中に走る激痛に呼吸は一瞬止められて、頭部への強烈な揺さぶりに、意識を刈り取られそうになり。
「(なにが、起こった……!)」
意識を手放してはならないと、倒れてすぐに顔を上げれば、気を保とうと遠くに立つ黒衣の男を睨む。
「あ、あいつ……いま何も術も唱えていないのに……!」
吹き飛ばされる直前、彼が最後に見た光景は、黒衣の男が右手を挙げた動作のみ。
だが、それを目撃した次の瞬間、気付いた時にはこうして洞窟の奥深くの所までフッとばされていた。
「んん? まだ生きているのか?」
「――っ!!」
何が起きたのか、自分がいま何をされたのか全く分からず。
攻撃らしい弾道も、術の効果も見当がつかない。
酷く錯乱し、全身を強張らせる空宙に、決して逃がしはせぬと、遠くからは黒衣の男の声が反響する。
「(ど、どこでもいい……どこでもいいから逃げるんだっ!!)」
己に向かって着々と。近づいてくる足音を聴きながら、背に覆い被さる薬液瓶と棚を急いでどかし、暗闇の先を凝視し起き上がる空宙。
「…………そこか」
冷たく、抑揚のない声が、再び洞窟内に木霊すると同時。空宙の前へと黒衣の男が暗闇から静かに姿を現した時。
「(――っ!? よけろっ……!)」
空宙が真横へと思いっきり飛び退けば。
「――っ!?」
見えない何かが空宙の身体を僅かに掠めて。
飛び退く勢いそのままに、地面へと転がる空宙はすぐに起き上がったのち、先程まで自分がいた場所を振り返ると。
「(な、なんだよあれっ……!?)」
彼が見た先には、まるで巨大な刃物が通り過ぎたかのように、深く鋭利に削られた地面と、粉々に砕け散り、無惨な姿と化してしまった薬品棚があった。
「ほう? あれを避けたのか」
最中、黒衣の男が次に空宙へと掛けた言葉は、獲物を仕留めきれなかったことへの悔しさというよりも、むしろ意外、または感嘆に近いもので。
「ならば、次は」
ほんの僅か、思案顔を見せ何かを考えていれば、続けて空宙へ向け、攻撃を繰り出そうとする。
「(まずいっ! またあれが……!)」
またしても、黒衣の男によって命を狙われそうになる空宙。
彼は黒衣の男から急いで距離を取りつつ、術が来る前の呼び動作を見逃さないよう凝視しては、回避の準備を再び整えようとしていた、だが。
「(……ダメだっ! このままだといずれっ……!)」
今のように避けてばかりでいては、この状況は打開できないどころか、いつかは捉えられてしまうと直感で思い直し。
「(なんでもいい、なんでもいいからあいつに攻撃を当てろっ!!)」
防戦から切り替えて、敵が攻撃を発動させる前にと。
「…………ん?」
走り際、踵を返して黒衣の男へ向かって両手を翳して。
「ブレイズランスッ!! -黒炎槍-」
頭上に大きな魔法陣を展開させ、そこから黒炎をまとった巨大な槍を大量に放出する。
赤に染まる魔法陣から放たれた巨槍は、轟音鳴り上げ勢いよく射出されると、そのまま黒衣の男へと衝突し。
ぶつかった衝撃により、爆風が辺りを吹き荒れれば、黒炎はあっという間に広がって、洞窟内を焼き尽くしていく。
「(当たったかっ!?)」
かつて、魔族シュクルとの激闘を制して以来、覚醒から元の少年の姿へと戻ってしまった彼は、次なる闘いへ向けてと。フィヨーツへ向けて出発するその日まで、レグノ王国城内にて魔術の習得を鍛錬していた。
いまはなき、ディニオ村に滞在していた際は、少年の姿ではまともに魔法一つも放つことが出来なかったが、ダアトの覚醒、すなわち白金のエレマ体を発現して以降、内在していた力を引き出せるようになり――。
「(さすがに……このレベルはまだ負担が大きいかっ……。それ、でもっ!)」
手練れの魔法士でも発動が難しいとされる上級魔術を一発目から繰り出してきた空宙は。
「はぁ……はぁ……。どうだっ!」
地面に片膝をつき、息は絶え絶えとなりながらも、命中した先の光景を注視し続ける。
黒炎によって燃え盛る洞窟内。
火の手は次々と薬品棚を燃やし尽くし、時間が経つ毎に、その火力は増々強まっていて。
「(怯んだのか……? それとも、どこかに……)」
黒炎纏う槍を放ってから暫くが経っても、空宙の視界には黒衣の男の姿は現れず。
声も、あの不気味に迫る足音も聴こえてこない。
「い、いまのうちにどこか出口がありそうな場所にっ……!」
奴は姿を現さない、ならばこの機にと。
滾る炎を背に、空宙がその場から離れようとした。
――――その時、だった
「どこへ行く」
「――っ!?」
駆け出したその瞬間。
彼の耳へと飛び込んできたのは、あの冷酷な、蛇のように絡みつく声。
「(まさか……)」
聴いた瞬間に背筋をぞっとさせ、恐る恐る後ろを振り返った空宙の視線の先には。
「侵入者の分際で、こんな悪あがきをしようとは」
黒炎の壁の先で揺らめく、一つの影があり。
「そ、そんなっ……! あの中でどうやって……!?」
その影は、決して黒炎を避けるような動きを見せることはなく、熱がるような様子もなければ、左右へ僅かに身体を揺さぶりながら、真っすぐ空宙のほうへと向かってきていたのだった。
「ふむ……。少し視界がうるさいな」
次に言葉を吐いたならば、黒衣の男は左手を挙げると。
ほんの軽く、指を鳴らした途端--。
「――っ!? 炎がっ!」
目の前で燃える灼熱の黒炎を、一瞬のうちに跡形もなく消し去ってしまう。
「……あぁ。せっかくの我が輩の住処が」
鎮火した跡の洞窟を眺める黒衣の男は、黒焦げとなり、ぐちゃぐちゃに散らばっていった薬品棚を見て、残念そうな声で語れば。
「これ以上、下手に暴れられたら生命の樹にも影響が出るではないか」
続けて、おもむろに右手も上げて。
「ならば、場所を変えよう」
二度目の、指鳴らしを行った。
さらば――。
「………………は?」
次に、空宙が瞬きをした時には。
もうそこには、先程まであったはずの洞窟の景色はどこにもなく。
「な、なんなんだよ……これ」
驚愕し、唖然とする空宙の。
目の前にて広がっていたものは。
「(こんなの……でたらめすぎる…………)」
星々が散り、幾つもの銀河に囲われた、さながら宇宙そのもので構成された空間だったのだ。
「さぁ、消えてもらおうか」