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66.異世界

 怪しげに、揺らめく朱色に染められた空間。

 あまりにも、不気味に感じてしまうほどの異様な静けさが。訪れる全ての者を賤しく歓迎し。


 浮世離れた光景が、前へと歩み、進める者を惑わして。

 どことなく漂う、甘く切ない香りが。固く構える心を艶やかに揺さぶる。


 古く傷んだ枯れ畳からは、踏み込まれる度に鈍く沈み込む足音が、何重と渡って奏でられ。

 障子に描かれた派手な花模様が、見た者の視界を、酔いどれてしまったかのように。


 クラクラと、眩ます――。



 そこは、生命の樹内、”流出の間”だった場所。


 魔族オーキュノスの手にかかる前、かつてそこには火のマナの恩恵に溢れた情景が広がっており。

 夜空のよう、煌々とした星がちりばめられる天井に。一切の隙間なく、地面には紅蓮の彼岸花が咲き乱れ。空間中には、淡い緑炎が丸い粒となって、まるで蛍火のように浮遊しては、幻想的な光景を創り上げていた。



 ――――だが



「いったい……どうなっているんだ」


 レグノ王国軍、剣士部隊部隊長。

 ローミッド・アハヴァン・ゲシュテイン。


 部下であるショスタ・ペーラをフィヨーツの街へと残し、侵入したであろう魔族と交戦すべく、ひとり生命の樹内部へと潜入を図っていたのだが。


「ほんとうに、ここは同じ生命の樹の中なのか……?」


 そんな彼を待ち受けていたのは、混沌の渦に飲まれた世界で――。



 生命の樹へと突入した直後、ローミッドの目の前には、灯り一つもない暗闇が広がっており、音も、人の気配も一切ない。文字通り、何もない空間に、彼は足を踏み入れていた。


 自分が右を進んでいるのか、あるいは左、あるいは上り下りをしているのかさえ、分からない。

 気を許してしまえば、一瞬にして平衡感覚が狂ってしまうような。常人では到底耐えきれない閉所感にひっ迫され続け。


 それでも一歩ずつ、一歩ずつと。集中し、何か道標となるものはないか。ほんのわずかな、些細な違和感はないかと、神経を研ぎ澄ませていれば。


 暫く歩いた頃。

 唐突に、彼が立つ位置から少し離れた辺りに、一つの小さな炎が顕れれば。


 怪しげに、人魂のように浮遊する青白い炎は、まるでローミッドに向かい、まるで”こっちへ来い”と言っているような動きを見せて――。


 敵の妖術か、罠ではないかと警戒しつつも、それでも何か起こるのではないかと思ったローミッドは、己を誘う炎に向かって身長に近付き、そうしてゆっくりと指先で触れた。



 その後には――。



「……にしても、流石にこんな狭い部屋のなかに、数十人もいては……」


「う、うるさいっ! 容疑人は黙って大人しく傍についていろっ!」


 青白い炎によって、眩い光に包まれたローミッドが再び目を開けた先には、新たな空間が広がって。


「そ、そうだっ! こうして無駄に喋っている間にも、どこから敵が湧いてくるか分かったもんじゃないのだっ! 暇があるのなら、貴様も周りを警戒していろっ!!」


 更にはなんと、彼の目の前には数十人ものエルフ国兵達の姿がいたのだった。


 オーキュノスの術により、空間は大きく揺れて。収まったかと思えば、いつの間にか知らない場所へと放り込まれたエルフ国兵達。

 見たことも、訪れたこともない変わり果てた空間を前に、混乱し怯えていた彼らだったが。


 そんな最中、今度は明後日の方角から突然ローミッドの姿が顕れて――。



「何度も確認するが、本当にここは”流出の間”があった場所なんだろうな?」


「だから、さっきからそう言っているだろうっ!! 我々はもとより、マルカ様からの命令によって、いついかなる時でも、火のマナを司るマナの実が顕現されても良いようにと、”流出の間”での警護任務に当たっていたのだっ!」


 ローミッドの傍で、怒りを露わにするエルフ国兵。


「だけど、あの大地震が起きてからだっ! 訳が分からずに皆で血に伏せていれば、次に目を開けた時にはこんなヘンテコな場所が広がっていて……」


「キサマこそ、一体どこからこの空間へと侵入してきたっ! なにもない所からフラッと現れおって……やはり魔族の間者かなにかではないのかっ!?」


 ローミッドの問いに対し、口々に物言う彼らは、みな背中合わせとなりながら、円状の陣形を造っては。

 いつどこから敵が攻めてくるのかと警戒しては、じりじりと。時間が経つ毎に神経をすり減らされ、その表情からは、疲労の色を濃く見せていたのだった。


「だから、私は違うと言って……しかし…………」


 ずっと疑われることに、いい加減辟易としていたローミッド。

 顔をしかめ、ため息交じりに彼らの言い分を否定したが、すぐに表情を引き戻して――。



 彼らが剣を構える先は、花柄模様が描かれた障子。

 煌びやかな行燈に照らされた小さな部屋は、彼らが全く知らない代物で溢れていて、地面は全て、畳によって敷き詰められては、厚紙で造られた扇子が壁の四隅に飾られ、目につく所には、漆が塗られた黒箱の小物入れが置かれていた。


 中央にはヒト二人分の座布団と、四方二尺ほどのこじんまりとした朱色の机があり。それら全てが、彼らにとっては毛色が全く異なる文明、文化のものだった。


「(この部屋、この造り……どこの国のものだ……?)」


 彼らと同じくして、障子に向かって剣を構えるローミッドも。


「(どれも今まで見た事がない。まるで……違う世界にいるような…………)」


 目の前に映る光景に、訝しげな面持ちを浮かべては。


「(さっきから、この戸のような代物の先からは、一切何者の気配は感じない……)」


 息を殺し、障子の先の様子を窺っていたが。


「(だが、なんだこの奇妙な威圧感は……。この近くではない、しかし。遠く、別の彼方からくる何か…………)」


 虫の知らせか何事か。本能からくる根拠のない感が、彼自身に警鐘を鳴らし続けて――。


「おい、お前っ!!」


 すると、その時。


「こ、今度はお前がこれを開けろっ!」


 あるエルフ国兵が突然、ローミッドに向かって手荒く指示を出すと、ローミッドから見て右側にある障子を指差し、彼に開けさせようとする。


「…………分かった」


 そんなエルフ国兵からの命令に、素直に従うローミッドは。


「…………」


 なるべく足音を立てず、目標の障子まで近づいて。


「――っ!」


 そっと窪みに手をかけて、一気に目の前の障子を開けたらば。


「…………また、同じ部屋か」


 開けられた障子の先には、今いた部屋と、瓜二つとなる部屋が待ち構えていたのだった。


「このやり取りも、もう何度目となるのやら……」


 エルフ国兵らも含め、ここに来てからずっと。

 彼らは同じ部屋を何度も何度も行き来して。


 障子を開け、新たな部屋へと突入すれば、また新たな障子に四方を囲われて。先ほど、ローミッドが行ったように、円状の陣形を整えながら、持ち回りで誰かひとり、無作為に一つの障子を開けては、また次の部屋へと進んでいたのだが。


「出口らしき場所もないどころか、他の者も、敵の一匹すらも出てこない、か……」


 何度、同じ試行を繰り返しても、得られる結果に変化はなく。


「くそっ……いい加減にしてくれ…………」


「流石に、もうこりごりだって……」


「帰りてぇ、帰りてぇよぉ…………」


 部屋を跨ぐたびに、エルフ国兵達の中からもこの状況に音を上げ始める者も現れて――。


「…………さぁ、次だ」


 それでも、前へ進まなければと。

 ローミッドは絶えず集中し、別の障子を開けようと。


 慎重に、手を伸ばしていく。


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