彼は、工場を追い出された。
工場長であった小太りの中年男は、現場へと戻ってきた後、その荒れ果てた様子を目撃した途端に大発狂。
激しい取っ組み合いの末、作業員たち数十人に大怪我を負わせたとして、すぐに、岩上護は解雇となった。
「…………ふざけんじゃねぇよ」
アパートへと帰った護は、部屋に入った途端に持っていた荷物を乱雑に投げ込めば、そのまま古畳の上へと寝転がり。
「…………くそっ」
時間が過ぎても、むしゃくしゃとした感情が収まることはなく。
「……………………」
ふと、このままどこへも働かずに、自堕落な生活を送ろうかとも考えた彼だったが、このまま文無しになるのだけは流石によくないと。
次の日からまた、別の所へと向かい、日銭を稼ごうとしていった。
けれども、次の職でも長くは十日ももたず。
どこへ行っても、必ず揉め事は起き、移った先々では周りの人間と上手くはいかず。何かのきっかけで口論になる度に、またしても小競り合いや殴り合いにまで発展し、怪我人を出しては、すぐに職場から追い出されてしまった。
彼が起こす騒ぎは、徐々に働き先だけに止まらず。
家へと帰る際でも、近くの公園や、空き地などで集まる不良たちと出会えば、衝突を起こし、日が暮れてもずっと、相手がどこかへといなくなるまで、彼は殴り合いを続けていった。
そんなことを繰り返すうち。
いつの間にか、彼が暮らす周辺地域では、彼についてのよくない噂が広まっていき、彼の姿を見た者は全て、逃げるように、彼の下から遠ざかり。
もう誰も、彼に近付く者はいなくなってしまった。
ーーそんな、ある日。
「お、おいよせっ!」
夜も更け、人気のない夜道にて。
「ガハァッ!?」
周りは僅かな外灯で照らされるだけの、横幅の小さな裏通りの真ん中で。
「このやろっ! ぐあっ!?」
二人組のサラリーマンが、顔や腕を押さえて、地面へと倒れ込んでいるところを。
「……っるっせーよ、さっきから」
そこには、上から見下ろすよう、仁王立ちで静観する護の姿があった。
「お、お前っ……! オレ達がいったい何したってっ……!」
「邪魔だっつってんのに、いつまでもどかねぇから、それで殴っただけだろ」
「そんな……こと、でっ……! グハァッ!?」
護の返答に、信じられないといった顔を浮かべた二人組のサラリーマン。だが、そんな護へ口答えしようとした瞬間、腹めがけ、重い蹴りを受けてしまい、襲い掛かる激痛によって無理やり黙らされてしまう。
とうとう、自分に害をなす者ではない相手にまで、手を出すようになってしまった護。
工場での一件以来、あちこちで諍いを起こし、多くの人間から疎まれ続けてきた彼の心は、幾層の苛みで埋め尽くされて。ただ、そのうっ憤を晴らすためだけに、目の前の二人組を痛めつけていた。
罪人の身として堕とされて。
その後の環境や、人が。彼をこんなにも変えてしまった。
道端で、たまたま目の前を塞いでしまっただけの赤の他人を。こうも簡単に、暴力
を振りかざすような。
決して、そんな人間ではなかったはずなのに。
「も、もう……やめ……」
二人組のサラリーマンに、抵抗する意思はどこにもない。
「おね、が……ガハァッ!」
それでも、彼は殴り続けた。
そこに、何の解決も、救いもないというのに。
彼はただ、己の胸中に巣喰う煩わしさを、晴らすだけのために。
「ァァ……ァ…………」
無抵抗の人間を。
――その時、だった
「おい、ガキ」
彼の背後から。
「こんなところで喧嘩か?」
荘厳な声と共に。
一人の大男が、現れた。
「…………ははっ。お前さん、つよいな」
半刻が過ぎて。
「けどまぁ……ここまで暴れたら、流石にもう動けないだろう」
裏通りには、先程まで痛めつけられていた二人組のサラリーマンの姿はなく。
「て……てめぇ……」
あるのは、涼しい顔をしながら、壁際へと寄り掛かって座る大柄な男の姿と、地面へ大の字になって倒れ込み、苦悶の表情を浮かべた護の姿だけ。
「ふざけっ……!」
「もうこれ以上は動くな……骨に響くぞ」
突然、背後から声を掛けられて。
邪魔をされたと憤った護は、己に声をかけた大男へと手を出そうとした。
だが、大男の力は想像以上に強く、ここまで何度も喧嘩に勝ってきた護だったが、数十分の格闘の末、力負けし、大男によって倒されてしまい。
このままでは気が済まないと。護はすぐにまた起き上がり、反撃へ出ようとしたものの、すぐに大男が口を挟み、低く野太い声で圧をかけ、牽制する。
そして。
「なぁ、お前さん」
大男は、ズボンのポケットから煙草を取り出し、ゆっくりと立ち上がっては、護へもう一度声をかけ。
「もし、行くとこないんだったら」
仰向けに倒れる彼へ。
「俺のところで働かないか?」
口にくわえた煙草をゆっくりと吹かせながら、そっと。手を差し伸べる。
「…………は?」
唐突な、何の脈絡のない勧誘に、護は呆気にとられると。
「はっはっはっ! ちょっと、人手が足りてなくてな……」
大男は少し照れながら、その場で陽気に笑い出す。
「……てめぇは」
「ん? 俺か?」
そうして、大男は。
「エレマ部隊本部基地総隊長」
彼に向けて。
「井後義紀だ」
そう、名乗った。