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48.会偶

 彼は、工場を追い出された。


 工場長であった小太りの中年男は、現場へと戻ってきた後、その荒れ果てた様子を目撃した途端に大発狂。

 激しい取っ組み合いの末、作業員たち数十人に大怪我を負わせたとして、すぐに、岩上護は解雇となった。


「…………ふざけんじゃねぇよ」


 アパートへと帰った護は、部屋に入った途端に持っていた荷物を乱雑に投げ込めば、そのまま古畳の上へと寝転がり。


「…………くそっ」


 時間が過ぎても、むしゃくしゃとした感情が収まることはなく。


「……………………」


 ふと、このままどこへも働かずに、自堕落な生活を送ろうかとも考えた彼だったが、このまま文無しになるのだけは流石によくないと。

 次の日からまた、別の所へと向かい、日銭を稼ごうとしていった。


 けれども、次の職でも長くは十日ももたず。


 どこへ行っても、必ず揉め事は起き、移った先々では周りの人間と上手くはいかず。何かのきっかけで口論になる度に、またしても小競り合いや殴り合いにまで発展し、怪我人を出しては、すぐに職場から追い出されてしまった。


 彼が起こす騒ぎは、徐々に働き先だけに止まらず。

 家へと帰る際でも、近くの公園や、空き地などで集まる不良たちと出会えば、衝突を起こし、日が暮れてもずっと、相手がどこかへといなくなるまで、彼は殴り合いを続けていった。


 そんなことを繰り返すうち。


 いつの間にか、彼が暮らす周辺地域では、彼についてのよくない噂が広まっていき、彼の姿を見た者は全て、逃げるように、彼の下から遠ざかり。


 もう誰も、彼に近付く者はいなくなってしまった。



 ーーそんな、ある日。


「お、おいよせっ!」


 夜も更け、人気のない夜道にて。


「ガハァッ!?」


 周りは僅かな外灯で照らされるだけの、横幅の小さな裏通りの真ん中で。


「このやろっ! ぐあっ!?」


 二人組のサラリーマンが、顔や腕を押さえて、地面へと倒れ込んでいるところを。


「……っるっせーよ、さっきから」


 そこには、上から見下ろすよう、仁王立ちで静観する護の姿があった。


「お、お前っ……! オレ達がいったい何したってっ……!」


「邪魔だっつってんのに、いつまでもどかねぇから、それで殴っただけだろ」


「そんな……こと、でっ……! グハァッ!?」


 護の返答に、信じられないといった顔を浮かべた二人組のサラリーマン。だが、そんな護へ口答えしようとした瞬間、腹めがけ、重い蹴りを受けてしまい、襲い掛かる激痛によって無理やり黙らされてしまう。


 とうとう、自分に害をなす者ではない相手にまで、手を出すようになってしまった護。


 工場での一件以来、あちこちで諍いを起こし、多くの人間から疎まれ続けてきた彼の心は、幾層の苛みで埋め尽くされて。ただ、そのうっ憤を晴らすためだけに、目の前の二人組を痛めつけていた。


 罪人の身として堕とされて。

 その後の環境や、人が。彼をこんなにも変えてしまった。


 道端で、たまたま目の前を塞いでしまっただけの赤の他人を。こうも簡単に、暴力

を振りかざすような。


 決して、そんな人間ではなかったはずなのに。


「も、もう……やめ……」


 二人組のサラリーマンに、抵抗する意思はどこにもない。


「おね、が……ガハァッ!」


 それでも、彼は殴り続けた。

 そこに、何の解決も、救いもないというのに。


 彼はただ、己の胸中に巣喰う煩わしさを、晴らすだけのために。


「ァァ……ァ…………」


 無抵抗の人間を。



 ――その時、だった



「おい、ガキ」


 彼の背後から。


「こんなところで喧嘩か?」


 荘厳な声と共に。


 一人の大男が、現れた。




「…………ははっ。お前さん、つよいな」


 半刻が過ぎて。


「けどまぁ……ここまで暴れたら、流石にもう動けないだろう」


 裏通りには、先程まで痛めつけられていた二人組のサラリーマンの姿はなく。


「て……てめぇ……」


 あるのは、涼しい顔をしながら、壁際へと寄り掛かって座る大柄な男の姿と、地面へ大の字になって倒れ込み、苦悶の表情を浮かべた護の姿だけ。


「ふざけっ……!」


「もうこれ以上は動くな……骨に響くぞ」


 突然、背後から声を掛けられて。

邪魔をされたと憤った護は、己に声をかけた大男へと手を出そうとした。


 だが、大男の力は想像以上に強く、ここまで何度も喧嘩に勝ってきた護だったが、数十分の格闘の末、力負けし、大男によって倒されてしまい。


 このままでは気が済まないと。護はすぐにまた起き上がり、反撃へ出ようとしたものの、すぐに大男が口を挟み、低く野太い声で圧をかけ、牽制する。


 そして。


「なぁ、お前さん」


 大男は、ズボンのポケットから煙草を取り出し、ゆっくりと立ち上がっては、護へもう一度声をかけ。


「もし、行くとこないんだったら」


 仰向けに倒れる彼へ。


「俺のところで働かないか?」


 口にくわえた煙草をゆっくりと吹かせながら、そっと。手を差し伸べる。


「…………は?」


 唐突な、何の脈絡のない勧誘に、護は呆気にとられると。


「はっはっはっ! ちょっと、人手が足りてなくてな……」


 大男は少し照れながら、その場で陽気に笑い出す。


「……てめぇは」


「ん? 俺か?」


 そうして、大男は。


「エレマ部隊本部基地総隊長」


 彼に向けて。


「井後義紀だ」



 そう、名乗った。

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