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47.その後


 長い年月を経て。


 岩上護は施設を出ることとなった。




 錆びた鉄格子で模られた門を潜り抜けた彼の姿に、数年前の面影はなく。


 彼の見る世界に、彼を出迎えてくれる者など、誰一人として居はしなかった。




 ただ彼は、施設の職員から去り際に渡された数枚の紙と、僅かな衣服と金銭が入った手さげ鞄を持って。




 たった一人で、俗世へと歩いていった。






「『……では、本日のゲストは、新エネルギー開発研究所の……』」




 彼が施設で過ごすうち。




「『新エネルギー”エレマ”を巡り、各国との連携や調整は……』」




 世間の様相は移り変わり。




「『……ここで臨時ニュースです。先ほど、新エネルギー庁はエレマ体の実験に成功したことを発表。これを受け、政府は今後、実用化へ向けた取り組みや、いずれは第一次エレマ部隊人員募集のフェーズへ移行することを……』」




 様々な出来事は、日々新しく生まれ。




「『号外。ヴェネチア国際ピアノコンペティションにて、国内最年少優勝を果たした天才ピアニスト、右京瀧氏が突然引退を公表……』」




 当時、世間を騒がせた孤児院大量虐殺といった事件は、人々の記憶の中からはほとんど薄れていき。




「ねぇ、駅前のさ……」


「お前応募するの!?」


「いきなり今の仕事辞めるわけにはなぁ……」




 いくつもの交通機関を乗り降りし、人がごった返す街中を歩いていた岩上護の、その姿を見て。


 彼があの時の事件で捕まった少年だと気づく者や、騒ぎ出す者。何か声をかける者などは、誰一人としていなかった。






 日も暮れ始めた頃。






「…………」




 長い時間をかけて、彼が辿り着いたのは、築何十年もする一軒の古いアパート。


 そこは、彼が施設から出る際に、施設の職員が手配していた新しい住居で。




 渡された紙に標されていた行き方を頼りに、彼は目の前のアパートまで向かっていたのだが。




 中へと入れば、そこには施設にいた頃とあまり変わらない部屋があり。




 最低限の生活スペースと、調理が出来る小さなキッチン。


 トイレは汚れたままの、至る所には埃やカビが蔓延していたほど。




 ただ、彼はその様子に文句を言うことはなく。


 そのまま部屋へと上がれば、隅に持っていた荷物を置き、古くなった畳の上へと寝転がり、あの時と同じよう、身体を丸め、眠りへと落ちていった。






 施設の職員が住居を手配していたとはいえ、家賃を払わなければならないのは彼自身。生きる為、そこで暮らす為。彼は次の日から働きに出ることとなる。






「……君? 岩上護って」




 彼が向かったのは、小さな工場。




「あー……紹介は受けているから、とりあえずあっちいって着替えてこい」




 彼を待っていたのは、ガラの悪い小太りの中年男で。


 すぐに男は、事務所に来た彼を見ては、雑に顎で指図をして、別室へと案内する。




「……おーい。お前ら、いったん手ぇ止めろ」




 別室に用意されていた作業着を着た彼を、次に中年男が案内したのは、工業の作業場。そこにはすでに、十数名の作業員たちが、各々の持ち場で作業に当たっていたわけだが。




「今日から新入りだ」




 中年男の声に一瞬、一同が手を止める。




「ここでのルールだったり、作業のやり方とか……とりあえず、よろしく」




「「「…………」」」




 中年男の話に耳を傾ける作業員たち。しかし、誰もその話に返事をするわけではなく、新入りだと紹介され傍に立つ護を一瞥しては、すぐに持ち場へと戻り、手を進めようとする。




「……まぁ、いいか。おい、新入り。仕事のやり方とかは、あちこちに資料が落ちているから、それ拾ったりして見とけ」




 そんな作業員たちに、何か物言いすることもなく、中年男は護に向かって一言告げると、そのまま彼を残し、どこかへと去っていくのだった。






「…………おい」




 中年男が作業場を離れてから暫くして。




「…………おいって」




 疎らに落ちる資料を拾い上げ、それを見ながら持ち場へと当たろうとする護に、一人の作業員が不意に絡む。




「お前、どんなことしたんだ?」




 彼が訪れた小さな工場。


 そこで働く者達はみな、彼が出た施設で同じように過ごしてきた者達で。




「なぁ、なんか言えよ」




 そんな作業員は、新入りが手を染めた内容を、茶化すように聞こうとしたのだが。




「…………黙れ」




「……あ?」




 護は、絡む作業員の顔を見ることもなく。




「…………どけ」




 ただ一言、作業員に向かって声低く轟かせると、その場から離れようとする。




「おいてめぇなんだその態度は」




「おーいっ! あんちゃんちょっとこっち来てくれっ!」




「――っ! ……っち。なんなんだよ」






 それからも。






「おい新入り」




「…………」




「おっとっ! 悪い、わざとぶつかっちまった」




「………………」




「なぁ、新入り。ちょっと金貸してくんねぇ?」




「……………………」




 作業を進める護に、何人かが同じように絡みに行こうとしたのだが。




「…………うるせぇぞ、てめぇら」




 その度に、彼は悪態をつき、決して作業員らを相手にしようとはしなかった。






 彼は人を信用しない。


 またいつ、自分が誰かの手によって堕とされるか、分からないから。




 彼は他人に自分の心を。本心を見せることはしない。




 誰とも話さず、ただじっと。


 行動するときも、ずっと一人で居続けて。




 けれど、そんな彼の態度を、周りの人間は歓迎するわけがなく。




「なんだ、あの新入り」




「調子こいてんじゃねぇぞ」




「あの野郎……いっぺんシメるか?」




 彼に向けられる眼差しは、まさに敵意のそれとなっていった。






 それでも彼は、生きるしかなかった。


 たとえ、それがどんなに劣悪な環境であっても。




 生き続ける為、お金を稼ぐ為に、働いていった。




 朝起きたらば、工場へと向かい。工場への作業が終われば。また、あのオンボロのアパートへと帰り、眠りへとつく。




 この生活が、この人生が。


 もうずっと続いていくのだろうかと。




 彼に、未来への選択肢など、未来べの希望などあるはずもなく。




 ずっと一人で。生きる為だけに。






 ――――――――ある時






「おい、お前」




 いつも通り、彼が持ち場で作業に当たっていた時のこと。




「ちょっと、つらかせ」




 突然、用があるからと、別の作業員から声をかけられると。




「…………なんだ?」




 彼が呼び出されたのは、工場の裏側で。


 そこには、十数人の作業員たちが、物々しい様子で彼のことを待ち伏せていたのだった。




「おい、てめぇ」




 すると。




「来たばっかのくせに、なんだその態度」




 一人の作業員が悪態をつきながら、いきなり彼の胸ぐらへと掴みかかろうとする。




「あんまり調子乗ってるからよぉ、そんな奴ぁ、ちょっと教育してやらねぇとなぁ」




 作業員らの目的は、彼への調教。


 工場に来て以来、彼が示す態度が気に入らなかった作業員たちは、我慢がならないばかりに、この機に彼を集団で痛めつけようとしていたのだった。




「へへっ。おい、こいつの腕掴んどけ」




 胸ぐらを掴む作業員が、後ろに待機していた別の作業員に向かって指示を出す。




「さぁ、大人しく……」




 そして、別の作業員が、彼の背後へと周り、彼の両腕を捕えろうとした。




 その時だった。




「……っが!?」




「――っ! てめぇっ!!」




 胸ぐらを掴んでいた作業員の腹に、重い蹴りが一撃入る。




「こいつっ!? やっちまえっ!!」




 作業員に向かって蹴りを入れた護に、一同が一斉に襲い掛かり。




「ぐぁっ!?」




「おい抑えろっ!!」




「ぎゃぁぁぁっ!!」




 そのまま、大げんかが始まってしまった。

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