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42.病室



「…………う、うん……?」






 気が付くとそこは、知らない場所。






「こ、ここは…………?」






 目が覚めた途端、聴いたことのない電子音と、嗅いだことのない薬品の匂いが、彼の朧げな五感を刺激させ、意識の中へと浸透させていく。






 両腕をチューブに繋がれて。




 頑丈なベッドの上で仰向けになる彼は、まだ視界がぼやける中、自分が今どこにいるのだろうかと、ギプスで固定される首をどうにか傾け、辺りを見渡せば。




「…………っ!? せ、先生っ! 彼がっ!!」




「――っ! 今すぐバイタリティのチェックをっ!」




「は、はいっ!」




 そこには、病床一つ入るだけの小さな部屋に、一人の医師と、一人の看護婦が存在し。




「起きたばかりで混乱している可能性もありますから、慎重に対応してください!」




「分かりましたっ!」




 両者、彼の目覚めに気が付けば、様子を窺いにと彼の下へと近づき、慌ただしく作業に当たり始めようとする。






「お……オレ、は…………」




「大丈夫、慌てないで。ここは市内の病院の中よ」




 開けない口で、力なく言葉を発する彼に、看護婦が柔らかい声で対応すれば。




「……数値、全て異常なし。……先生っ!」




 続けて、彼の腕に刺さるチューブから繋がる機器のモニターが示すデータをチェックすると。




「えぇ。よく、峠を乗り越え、頑張りましたね」




 看護婦は胸を撫でおろし、傍で見ていた医師も、看護婦からの報告に安堵の声を漏らす。




「(なん……だ…………なに、を……)」




 そんな二者のやり取りを、ぼんやりと眺めていた彼は。




「(びょう……いん……。オレ……なん、で……?)」




 何故、二人は喜んでいるのだろうか。


 どうして、自分はこんな所で眠っていたのだろうか、と。




 重く、動かせない身体と、はっきりとしない記憶にただただ困惑するばかりで。




「(わから、ない…………わから……な……)」




 それ以上の疑問が湧くことも、意識が覚醒することもなく。


 そのまま、泥沼に沈むように、深い深い眠りへと就いてしまう。










「…………それじゃあ、生き残ったのは……」






「(…………誰かが、しゃべっている……)」






「今日また捜索で、新たに一名が発見されたのですが……」






「(そう、さく……? はっけん……?)」






「彼が助かっただけでも……」






「(なにか……あった、のか……?)」






 再び彼が目覚めたのは、とっくに日も暮れ夜が更けた頃。






「本当に……今回の事件はこれまで国内で起きたどの事件よりも酷く…………」




 夜空に浮かぶ下弦の月の、白銀の光が窓から薄っすらと差し込む病室にて。




「運ばれてきた時は、本当に誰もが驚かされました……あんなに小さな子ども達が……こんな…………」




 僅かな灯りが点される中、スーツ姿の男と、担当看護婦の二人が、静かに話を交えていた。




「この事件の解決の為にも、彼だけが……」




 男は険しい顔をし。




「どうか……どうか二度と、こんなことが起こらないよう……」




 看護婦のほうは、酷く哀しみ、白衣の袖で溢れる涙を拭い続けていて。




「(子ども、たち……? 事件……?)」




 一度、目を覚ました時と同様に。そのまだハッキリとしない意識において、またしても周りの様子が気になってしまった彼は。




 ベッドから動こうとはせず、ただじっと、男と看護婦の会話を聴き続けようとした。




「彼の容態は……」




「ようやく今朝、術後初めて目を覚まされたばかりで……」




「それじゃあ、話が聞けるようになるのは……」




「それもそうですが……。これだけの事件に遭ったのです。もし、身体のほうが順調に回復されても、精神的なショックが大きかった場合……ケアだけでもかなりの時間が……」




「そう、ですよね……」




 次々と、会話を重ねていく両者。




「(オレのこと……話しているの、か……?)」




 薄っすらと目を開け、会話の内容に集中していた護。


 彼は、先ほどから男と看護婦が自分のことについて話をしているとは気づき始めていたが。




「(そもそも……なんでオレ。ここにいるんだ……?)」




 それでも。




「(なんで……身体のあちこちが、痛いんだ……)」




 どうして自分がベッドの上で眠っていたのか。


 何故、少しでも指を動かそうとすれば、電流が流れるような痛みがこんなにも身体中に走るのだろうかと。




「(分からない……わから、ない……)」




 なにかが、わざと彼の理解を邪魔するかのように。


 入ろうとしてくる情報が、彼の脳内に刻まれることはなく。




 そうして。




「(あぁ……眠た、い…………)」




 目を微睡ませ、三度、眠りにつこうとした。






 その時、だった。






「今日、発見された子についても……」




 男が、口にした言葉。




「彼が倒れていた近くで見つかったのですが……」




 その、言葉が。




「がれきの下に埋もれていて……確か名前は……」




 彼に。






、という女の子で……」




「――――っ!!!!!!」






 全てを、思い出させてしまった。






 ――ねぇ、マモルちゃん






「(…………そう、だ……)」




 ――なにやってんだ、てめぇ




「(オレ達は……あいつに襲われて…………)」




 ――お前からやっちまうかぁ?




「(あいつから……みんなを助けようとして……)」




 ――マモルちゃん




「(そしたら、ユキちゃんが……落ちてきた天井に埋もれて……)」




 ――あのガキ……勝手に自分から死ににいきやがったぁっ!!




「(オレは……ユキちゃんを探そうとして……!)」






 ――ごめんね、マモルちゃん






「ぁぁ、ぁ……」




「「――っ!」」




「ぁぁぁああああああああっ!!!!!!」




 焼けるような叫び声を、病室内に轟かせ。




「どこだっ!! どこだぁぁぁぁっ!!」




 騒々しい物音を立て、ベッドの上で暴れ出す。




「どこにいるんだぁぁぁっ!!!!」




 今まで眠っていた記憶が、堰を切ったように一斉に彼の脳内で溢れ出し。




「あぁぁぁぁっ!! ぁぁぁあああああっ!!!!!!」




 目の前に火花が飛び散るほどに。


 鼓動が、脈が、身体の中を激しく打ちつける。






「な、なんだっ! 急にどうしたっ!?」




 突然、彼が暴れ出したことに驚く男と看護婦。




「お、おいっ! 誰かなんとかしろっ!」




 あまりの異様さに、思わず男が室外へと後退りすれば。




「落ち着いてっ! どこか痛むのっ!? せ、先生、せんせいっ!!」




 看護婦は、一生懸命宥めようとしながら、ベッドの傍に設置されていたナースコールを押し、応援を要請しようとする。




「放せっ!! 放せぇぇぇぇぇぇっ!!!!!!」




 押さえつけようとする看護婦の手を払いのけ、ベッドから抜け出そうとする護。


 両腕に繋がるチューブを無理やり引き抜き、傍に置かれた医療機器を蹴飛ばすと。




「ユキちゃんはどこにいるんだぁぁぁぁっ!!!!!!」




「ひ、ひぃっ!!」




 男のほうへと一直線に駆け込み、胸ぐらを掴んで彼女の居場所を聞こうとする。




「やめてっ! 落ち着いてっ!!」




 すかさず彼の後ろから、看護婦が押さえつけようと背中へ覆い被さるも。




「どけぇぇぇっ!!!!」




「きゃぁぁぁっ!!」




 怪我をしているとは到底思えないほどの剛力で、背に乗る看護婦を投げ、その勢いのまま病室の外へと脱走する。




「はぁ……はぁ……!!」




 見たこともない病院内を、右往左往に走る護。




「どこだ……! どこにいるんだっ!」




 病室の中で、耳に挟んだ話だけを頼りに。




「なっ! なんだ君はっ!!」




「おいっ! あの子を今すぐ捕まえるんだっ!!」




 きっと、彼女はこの病院のどこかで治療を受けているんだと思い込み。




「ユキちゃん…………ユキちゃんっ!!」




 目に映る扉を片っ端から開け、部屋中を駆け回り。


 両腕から血を流し続けてもなお。




「いるんだろ……!? ここにいるんだろっ!?」




 何度も名前を叫び、彼女のことを探し続けた。






 そして。






「はぁ……はぁ…………」




 ほとんどの部屋を探した後。


 とうとう、彼が着いたのは、固く冷たい鉄の扉の前。




 そこは、他の部屋より一回り大きく、そして、周りの温度も低い場所だった。






「ユキ、ちゃん……」




 どうしてなのかは、彼には分からなかった。




 病室で、男の話を聞いてから。


 彼は、ずっとこの病院のどこかに彼女が運ばれたのだと思い続けていた。




 それでも、どこを探しても。


 彼女の姿は、見つからなかった。




 だけども。




 彼の足が、その鉄の扉の前に止まった時。




 心臓が、何かに掴まれたかのように。


 小さく、不気味に跳ね上がるのを感じ取ったのだった。






 扉を開けた先は、青白い光一つだけが灯された、薄暗い部屋。


 その中央には、高く台座に置かれた大きな箱が一つだけあり。




 恐る恐る足を踏み入れる彼は、その大きな箱へと進み。


 やがて、傍へと近寄れば、箱の蓋に両手を掛ける。




 そして、ゆっくりと。




 その蓋を開ければ。




「…………ユキ、ちゃん」






 そこには、ずっと探し続けていた、彼女の姿があった。






「おい……ユキちゃん……」




 彼は、彼女の名前を呼ぶ。




「なぁ、ユキちゃんってば……」




 彼女の肩に手を置いて。




「ユキちゃん……ユキちゃん……」




 眠っている彼女を起こそうとして。




「起きろよ……なぁ。オレだってば……」




 自分がここへ来たことを伝えようと。


 何度も名前を呼び。何度も肩を揺すり続けた。




 だが。




「なんで……なんでだよ……」




 彼女は彼の声に応えることも。




「嫌だ……イヤだよ……」




 その冷たくなった身体を、再び起こすことも無く。




 二度と、その目を覚ますこともなかった。






 そして。




「ユキちゃん……オレ……オレ…………」




 彼の目から零れた涙が。




「あぁ……ぁぁぁ…………」




 彼女の頬へと当たったその時。




「あぁぁ……あああっ…………」




 彼の心は。


 その様子、姿、その全てを以って。






「あああああああああああああっ!!!!!!!!」






 彼女の死を。




 受け入れてしまったのだった。

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