廊下の角を、曲がった先には。
壁に寄りかかって倒れたマモルちゃんがいた。
そして、頭から血を流して動かなくなったマモルちゃんに向かって。
あいつが、今にでも殺そうと近づいていた。
このままじゃマモルちゃんが殺されてしまう。
そう思って、ユキはマモルちゃんの目を覚まさせようと。
マモルちゃんの名前を、何度も何度も呼び続けた。
それでも、マモルちゃんが起き上がることはなかった。
そしたら、今度は。
あいつが急に、マモルちゃんからユキのほうへと振り返ってきて。
一瞬だけ、ユキのことを睨んだと思ったら、すぐに気味の悪い笑い声を上げ始めて。
ユキのほうへと、近づこうとした。
真っ赤に染まった刃物の先と。
今まで見たこともない、怖い笑顔を向けられて。
怖くて、怖くて。
足が震えてしまって。
逃げ出したくても、身体は動いてくれなかった。
どうしよう、どうしようって。
頭が真っ白になってしまって。
助けを求めたくても、口は開けたまま、唇は震えて、声すら出てこなかった。
こないで、こないで……
誰か……だれか、助けてよ……
だれ、か…………
………………あぁ。
こんなときも、ユキは誰かに助けを求めようとしていた。
みんな、みんな殺されてしまって。
もう、きっと……。
マモルちゃんと、ユキの二人しかいないのに。
ユキはまた、誰かに助けを求めようとしていた。
もう、マモルちゃんはボロボロなのに。
誰ももう、助けにはこないのに。
ユキは、ずっとマモルちゃんに助けられてきた。
困った時、どうしたらいいか分からなくなった時も。
気が付けば、誰かに助けを言うよりも先に。
マモルちゃんが、ユキのことを助けてくれた。
いつも、傍に寄ってきてくれて。
優しくて、その大きな手で。
いつも、ユキの手を握って、引っ張ってくれた。
そんなマモルちゃんに。
ユキはいつか、お返しがしたいと思ってた。
なにか、なにか出来ないかなって。
いつも、マモルちゃんのことを想って、考えていた。
………………あぁ、そっか。
いまが……その時なんだ。
ユキが、囮になって。
あいつを引き付けて、ここから逃げて。
マモルちゃんから、あいつをなるべく遠ざけて。
マモルちゃんが起き上がって、ここから逃げ出すまで。
ユキが、あいつと追いかけっこするといいんだ。
…………怖い
とっても怖いことだけど。
今度は、ユキがマモルちゃんを助ける番なんだって。
そう思ったら。
足が、少しずつ動くようになっていた。
マモルちゃんが、無事に逃げてくれたら。
…………ユキは。
――やぁぁぁめぇぇぇぇろぉぉぉぉっ!!!!!!
……マモル、ちゃん?
――あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!
マモル、ちゃん……?
その時、マモルちゃんが立ち上がった。
あんなにボロボロの身体で。
もう、動けないはずだと思っていたのに。
マモルちゃんは、目を覚まして起き上がった。
どうして。
どうして、そんなに頑張るの……?
もう、あちこちが怪我だらけで。
血も、あんなに流しているのに。
マモルちゃんは、立ち上がって。
あいつに向かって、走り出した。
相手は大きなオトナで。
しかも、あんなに危ない刃物を持っている相手なのに。
マモルちゃんは、凄かった。
マモルちゃんが、あいつの腕を吹き飛ばした。
握られていた刃物は、宙へと飛ぶと。
マモルちゃんの近くに、落ちて転がっていった。
それを、すかさずマモルちゃんが奪おうとした。
その間にも、あいつは殴られたほうの手を抑えて、痛がっていた。
すごかった。
ほんとうに、すごかった。
手も足も出なかった相手に、あんなにマモルちゃんは立ち向かっていって。
あいつに勝とうと、やっつけようと。
一人で、闘い続けていた。
そんなマモルちゃんの姿に。
一瞬、ユキは夢中になっていた。
………………でも。
あぁ……そうだ。
何かが、変だった。
最初は、ほんの些細な違和感だった。
でも、ユキが見ていた光景の、どこか。何かがおかしくなっていたんだ。
どうしてだろうって。
なんで、そこが危ないだなんて、思ったんだろうって。
でも、直感が。
ユキの目を、動かしていた。
……………………上だ
孤児院は、どこももう火の手が回っていて。
あちこちが、真っ黒に燃え上がって、脆くなっていた。
…………天井が。
そう。ちょうど、マモルちゃんが立っていた辺りのところ。
頭上にあった天井が。
そこだけ、おかしな音を立てながら、少しずつ落ちようとしていた。
天井を支える柱の木材が、ちょっとずつ崩れていた。
そのたびに、天井は盛り下がっていて。
マモルちゃんは、気付いていない。
あいつが落とした刃物を取ることに、夢中になって。
あいつをやっつけることだけに、集中していた。
ユキはすぐに危ないと思って。
マモルちゃんに、そこから離れるように叫んだけど。
マモルちゃんの耳に、届くことはなかった。
ダメ、マモルちゃん。
そこにいたら、マモルちゃんが下敷きになってしまう。
――あああああああああああああっ!!!!!!
マモルちゃんが、刃物を握り締めて、あいつに向かって突っ込もうとした。
同時に、天井からまた一段と大きな音が鳴り響いたと思ったら。
突然、木の骨組みがむき出しになって。
ついに、マモルちゃんの頭上から落ちようとしていた。
ダメ……もう、間に合わない。
マモルちゃんが、潰されちゃう。
助から、な…………
そう、思ってしまった時。
ユキは、いつの間にか走っていた。
ただ、マモルちゃんがいる所へ向かって。
マモルちゃんの身体めがけて、手を伸ばしながら。
一生懸命に走っていた。
気付いた時には……
マモルちゃんを、押し倒していた。
ユキに押されたマモルちゃんは、ビックリした顔をしていて。
……そう。
そのまま、ユキと目が合ったの。
とても、不思議な感覚だった。
マモルちゃんも、周りも。ユキ自身も。
全部が、ゆっくり動いているようで。
なにもかもが、とっても遅く感じていた。
でも、そんな変な感覚はあっという間に消え去って。
ユキがいま、さっきまでマモルちゃんが立っていた場所にいるって自覚した途端。
ぼんやりとした意識が、段々とハッキリしていった。
…………ねぇ、マモルちゃん。
約束、破ってごめんね。
ずっと隠れていろって、ユキを庇ってくれたのに。
こうして、ユキは部屋から出てきちゃった。
マモルちゃんは、ユキ達を助けるために。
あちこちを回って。こうして、怖い相手に向かってまで守ろうとしてくれた。
マモルちゃん……
本当に、ありがとうね
…………ダメだ、やっぱり怖いな
さっきまで、マモルちゃんを助けるんだって、頑張ろうとしたけれど。
それでも、身体中が震えていた。
でも、泣かないよ……?
泣いたら、マモルちゃんがまた助けようとするから。
ユキは、笑顔でいるよ。
…………マモルちゃん。
絶対に、逃げてね。
どうか、あいつから逃げきって。
生きて、生き延びてね。
…………それじゃ、マモルちゃん
元気でね。
バイバイ。
そうして。
ユキの目の前は真っ暗になって。
冷たい世界へと、飲まれていってしまった。