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39.瓦落



 ――なにやってんだ、てめぇ






 刺すような声が、後ろから聴こえてきた。






 その瞬間、オレはよじ登っていた机の上から引きずり降ろされて。






 やっと、外へと出られそうな窓を見つけたのに。


 その鎖を外そうと。手を、伸ばしたのに。






 触れる間もないまま。


 オレの手は、窓から離れていってしまった。






 床に叩きつけられて。激しい痛みが頭からつま先まで襲い掛かってきた。






 目の前が真っ白になって。何が起きたのかさえ。全く、わけが分からなくなった。






 すぐに、近くに転がっていた椅子の脚にしがみ付きながら起き上がってみると。






 そこには、刃物を持った長身の男が、じっとオレのことを睨んでいたんだ。






 誰、なんだ。




 なんだ、お前は。




 なんで、こんなことをするんだ。


 どうして、オレの邪魔なんかするんだ。




 みんなを、ここから逃がす為に。鎖を外そうとしていたのに。






 …………あぁ、そうか。






 お前が。




 お前がみんなを。




 孤児院の先生や、仲間達を。






 殺したんだな。






 そいつの姿と、手に持っていた刃物を目にしてから。


 これまでに起きた出来事が、落ちた衝撃で空っぽになってしまった頭の中に、少しずつ戻ってきて。




 怒りが、憎しみが。


 全身を、あっという間に駆け抜けていった。




 身体中が熱くなって。頭と、腕や足の痛みさえ、その感覚はすぐに薄れていって。






 気付けばオレは、そいつに向かって飛び掛かっていた。






 痛みや恐怖なんて関係ない。


 殺されるかもしれないなんて、そんなこと、気にしていられなかった。






 こいつが。






 今、目の前のこいつさえいなければ。


 先生たちが。みんながこんな目に遭うなんてことはなかったんだ。




 ユキちゃんも、あの小さな子も。あんなに怯えることなんて、泣いてしまうことなんてなかったんだ。




 今日もみんなで夕飯食って。明日の楽しみを考えながら、布団の中へと向かって、眠りについて。そして、目が覚めたら、またいつも通りの朝を、迎えるはずだったんだ。






 なのに、お前が。




 お前が、ここに来たせいで。




 全部、ぜんぶ。




 命も、未来も全部。奪われ、壊されてしまったんだ。






 握られた刃物が、宙に飛んでいった。


 ぶつかった衝撃で、部屋の中のいろんな物が、あちこちに弾かれて、散らばっていった。




 体格差があろうと、知ったこっちゃなかった。




 何度も、何度もそいつに向かって飛び掛かった。


 部屋の外までもつれあって。廊下に出ていっても、殴りかかりにいった。




 お前だけは、絶対に許さない。


 お前だけは、オレがこの手で殺してやる。




 みんなの仇を、ここで取ってやる。




 そう、途中途中の記憶が曖昧になるほどに。


 無我夢中で、闘った。






 だけど。






 そいつには、勝てなかった。






 必死に、喰らいついていった。


 投げ飛ばされて。顔を殴られ、腹も蹴られた。何度、床に頭から叩きつけられても、それでも、立ち上がって、オレはそいつに向かっていった。






 それでも……敵わなかった。






 とうとう、動けなくなったオレをみたあいつは。




 オレの髪を鷲掴みにした途端に、ボロボロになったオレの身体を引きずりながら、どこかへと運んでいきやがった。




 髪を掴んでいる手から放れようとしても、もう腕も脚も上がらなかった。




 どれだけの距離を、引きずられていったのか。


 突然、そいつはオレを投げ飛ばすと、その瞬間、オレの身体は壁際へとぶつかって、そのまま、雪崩れるように倒れ込んでしまった。




 もう、自分がどこを向いているのかさえ、分からない。ただ、目の前がぼんやりとしていく中で、そいつは、オレを置いてどこかへと向かっていった。




 きっと、肋骨もどこか、骨が折れていたはず。


 あいつがいないうちに、急いでその場から離れようとしても、もうそんな力はどこにも残っていなかった。




 暫くすれば、また、遠くから誰かの足音が聞こえてきた。


 なんとか首だけを動かして、音の出所を見れば、あいつが曲がり角の先から姿を現してきて。戻ってきた時には、さっき部屋の中で飛んで行ったはずの刃物が、またそいつの手に握られていた。






 ちきしょう……ちきしょう。






 なんで、こんな……こんな、奴に……。






 このまま……こいつに殺されるなんて……。






 ダメだ……意識が、もう…………。






 …………なんだ? 






 …………だれ、だ?






 誰かが……オレの、こと……






 呼ん、で……。






* * *






「マモルちゃんっ!!!!」




「――っ!!」




 倒れる護を見て、名を呼んでいたのはユキ。


 その声が護の耳へと届けば、彼は薄れていた意識の中から途端に目を覚ますと、彼女の顔を見るや信じられないといった表情を浮かべる。




「マモルちゃんっ! マモルちゃんっ!!」




 殺人鬼が迫っているにも関わらず、一向に動こうとしない護を気つかせようと、彼女が何度も大声で叫び続けていると。




「あぁ……?」




 彼女の声に反応した殺人鬼が。




「……お前、さっきのやつかぁ?」




 うんざりとした顔をし、ゆっくりと、彼女のほうへ振り向こうとする。




「(なん、で……どう、して…………)」




 目の前にユキが現れたことに、酷く困惑する護。




「(オレが来るまで……ずっと隠れてろって……)」




 今もなお、彼女が調理室の中で隠れていると認識していた彼にとって。




 彼女の姿が目の前にあることが。この状況において、それは、万が一にもあり得ないことだった。




 だが、そう彼が戸惑っている間にも。




「へへへっ。どうしちまおうかぁ?」




「ーーっ!!」




「お前からやっちまうかぁ?」




 ユキの声に反応した殺人鬼が、不気味な笑い声を上げながら、ジリジリと、彼女の下へと近づこうとしていた。




「(よせ……やめろ…………)」




 刃が、彼女へと向けられる。




「(ユキ……ちゃんだけは……)」




 それを、護は拒絶して。




「(やめろ……やめろ……っ!)」




 もう、彼の身体はとっくに限界で。




 既に何十回も殴打を受け、骨は幾らか折れていて、立ち上がることさえ、不可能なほどに満身創痍で。




 それでも。




 彼女を失いたくなかった彼は。




 彼女だけは、絶対に守ろうと。




「やぁぁめぇぇろぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!!!」




 声を枯らすほどの大声を上げ、殺人鬼に立ち向かうべく、とうとう立ち上がったのだ。




「あ? なんだ??」




 背後から上がる大声を耳にした殺人鬼は。




「しつけぇな、まだ生きてんのか」




 その場に立ち止まっては、彼の往生際の悪さに苛立ちを見せたのだが。




 次の瞬間。




「ーーっ!?」




 なんと、今先ほどまで壁際に倒れ込んでいたはずの護が、もう既に、すぐ目の前にまで迫っていたのだった。






 一瞬にして距離を詰めた護が。




 刃物を持っていたほうの殺人鬼の手を思いっきり殴り飛ばす。




「ーーっ! くそっ!」




 そして再び、刃物が殺人鬼の手から離れ、金切音を鳴らし、床へと転がっていけば。




 床へと落ちた刃物を素早く拾った護が。




「あああああああああああっ!!!!!!」




 刃物の柄を両手で強く握りしめ、刃先を殺人鬼へと向け、最後の力を振り絞り、勢いよく突進する。




「――っ!!」




 不意を突かれた殺人鬼は、咄嗟に護の攻撃を躱そうと、身を翻えすも。




 彼が握る刃はもう、目前と迫り。




 とうとう、刃先が殺人鬼の胴体へと触れようとした。






 大切な仲間を守るべく。


 彼は、自分の身を挺してまでも。




 理不尽で、残虐な存在へと立ち向かった。




 大切だった場所も、人も。


 想い出も、全てが一瞬にして壊されて。




 それでも、残された希望を守るべく。




 彼は、その一矢に全てを乗せ。




 目の前の者を倒そうと、刃を突き立てた。






 だが。






 ――――――――――――――ドンッ






 刹那。






 鈍い衝撃が、護の身体を襲った。






 狙いすました刃先は、殺人鬼の胴体へと刺さることはなく。反動そのまま、護の身体は真横へと流れれば、不意を突かれた彼は、握っていた刃物を手放すと、驚いた表情をしたまま、倒れ込もうとする間際に首を傾ける。




 そうして、向けた視線の先には。




「(…………ユキ、ちゃん?)」




 両手で自分を押し倒したであろうユキの姿が、くっきりと映ったのだった。




「(なん、で…………?)」




 何故、彼女が自分を押し倒したのか。


 何故、彼女が自分の邪魔をしたのかと。




 何が起きたのか、頭の中が真っ白になった護は。


 それでもすぐに、倒れた瞬間、殺人鬼を仕留めようと、落ちた刃物を再び拾うために起き上がろうとした。




 その時だった。




 ふと、二人の目が合う。






 彼が見た彼女の顔は、決して怯えた様子はどこにもなく。目尻から頬にかけては涙が流れた跡が見えてはいたものの、なぜか、この状況には似つかわしくない笑顔を、彼へと向けていたのだった。




「ユキ、ちゃん……?」




 そうして。




「ごめんね、マモルちゃん……」




 彼女は一言、彼に謝った瞬間。






 その、瞬間だった。






 突然、瓦落した天井が。






 轟音を立て、勢いそのままに。






 彼女の頭上へと、覆い被さったのだった。

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