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35.悪魔


 院長さんの、首だけが。






 地面へと、転がってきた。






 覗いたお部屋の中からは。






 真っ赤なお水が、流れてきた。






 あいつが手に持っていたものが、人の首だなんて。






 床を真っ赤に染め上げていたものが、人の血だなんて。






 そんなこと、到底思えなかった。






 でも、お部屋の中にいたあいつは。






 ユキのことを睨んだ後。






 すぐに。






 笑いながら、追いかけてきた。






* * *






「はぁ……はぁっ!」






 息を切らし、暗闇の中を懸命に走るユキ。






「いやぁっ!! こないでぇっ!!」




 目撃してしまった惨状に。




「へへへへへっ」




 背後から近づいてくる足音と、高くしゃがれた笑い声に、身体中を震わせ。




 怯え、大声を上げて、施設の中を駆け抜けていく。




「…………どうしたの? なにかあっ……!」




 そんな少女の騒ぎに、別の部屋で寝ていた職員が目を覚まして出てくれば。




「あ、あなたっ……! い、一体誰ですっ……きゃぁぁぁぁっ!!」




 廊下へと身を乗り出した途端、少女を追いかけていた男と接触してしまい。




「あっ……!!」




「――っ!!」




 出会い頭、男が手に持っていた刃物により、奥深く心の臓を一突きされると。




「うぅ…………あ、ぁ……」




 苦しむ間もなく、その場に力なく倒れ込めば、指先一つすら動かせないまま、絶命してしまう。






「せっ……せんせぇっ!!」




 男によって殺されてしまった職員の姿に、再び叫んでしまうユキ。






 すると。






「どうしたの~……?」




「――っ!!」




 彼女の叫び声が、呼び水となり。




「うるさいよぉ……」




「なになに~?」




 部屋の中から続々と、眠りについていた子ども達が起き上がってくる。




「みんなダメッ! 出てこないでぇっ!!」




 まずいと感じた彼女は、皆に危険を知らせようと咄嗟に叫ぼうとしたが。




「――っ!」




 突然、倒れ伏した職員の傍で立ち尽くしていた男が、刃物を持つ手のほうの腕を横一線に振り切れば。




「…………へ?」




 一番はじめに部屋から出てきてしまった子どもの。




 切れる頸動脈から、大量の血液が勢いよく噴き出される。






「……え?」






 一瞬、何が起きたのか全く分からず、その場で固まってしまった子ども達。






 だが。






 倒れる子どもから溢れる返り血が。






 辺り一帯を深紅に塗りたくれば。






「「「きゃぁぁぁぁあっ!!」」」




 子ども達の悲鳴が。




「「「うわぁぁぁぁぁぁあっ!!」」」




 孤児院の中を。




「にげろぉぉぉぉぉおおおっ!!!!」






 一瞬にして、埋め尽くした。






「たすけてぇっ!!」




「せんせぇっ! せんせぇっ!!」




 各部屋から一斉に逃げ出す子ども達。




「いやだっ! いやだぁっ!!」




 一刻も早く、迫り来る悪魔の手から逃れようと。




 大勢でごった返す廊下の中を。




 子ども達は。




「どいてよぉっ!!」




 己の目の前を走ろうとする者の腕や肩を掴んでは。




 一歩でも、半歩でも先へと。


 誰よりもいち早く距離を取ろうと、群衆を掻き分けようとする。






「く、くるなぁっ!!」




 なにか、抵抗できるものはないのかと。


 施設の中にある物を手当たり次第に漁っては。




 追いかけてくる男に向かって、力いっぱい投げつける者もいて。






 みな、蜘蛛の子を散らすように逃げ続けていたが。




「痛っ!!」




 走る途中、床板の隙間に出来た穴へとつま先を引っ掛けて、激しく転倒する子や。




「うわぁぁぁぁぁぁぁんっ!!!!」




 周りの異常な騒ぎによって、何がなんだか分からずビックリし、その場に座り込んでは大声で泣きだす子も現れ始め。




 だが。




「ギャハハハハハハァッ!!!!!」




 そんな弱き存在に向けられる慈悲など、微塵もありはせず。




 どこからともなく、夜闇に突然現れた殺人鬼は。




 逃げ遅れてしまった子ども達を。




 その真っ赤に染まり上がった手で。






 次々と。






 殺めていく。






「で、出口だっ!!」




「はやく開けてよぉっ!!」




 一人、またひとりと確実に殺されていく最中。




 男に追いつかれまいと、必死に逃げ続けた子ども達のうち数名が、ようやくにして玄関へとたどり着くが。




「――っ!? あ、あかないっ!?」




 外に出られると思いきや、何故か目の前にある扉が開くことはなく。




「な、なんでっ!? どうしてっ!?」




 施錠された鍵を開けてもなお。




 押しても。引いても。




「なんでびくともしないんだよっ!?」




 玄関の扉は、一向に動こうとはしなかった。






「お、おいっ!」




 扉が開かないとなれば。




「ま、窓だっ! 窓から逃げるんだっ!!」




 それを見た孤児の一人が、今度は近くに設置された窓へと飛びつき、再び錠を外して脱出を試みるも。




「あ、あかないっ!?」




 窓もまた、どんなに押しても開かなかったのだ。




「なんでっ!! なんでなんだよっ!!」




 立て続く異常事態に混乱し、暴れる子ども達。


 とにかく外へと出ようと、扉や窓に向かって何度も体当たりを続けていると。




「――っ! ちょっと待てっ!!」




 違和感を覚えれば、目を凝らして窓の外枠を見つめた時。




「……っ! あ、あちこちに……鎖が巻き付いているっ!?」




 外から窓の格子に沿って大量の鎖が複雑に巻きつけられては、頑丈に窓が固定されていることに気づく。




「なんで……どうしてこんなことっ!!」




 誰が、何故こんな真似をしたのかと。




 内側からの施錠なら、まだしも。


 外側からともなれば。




 その意図は。




「ほ、他の窓からだっ……!」




 建物の中にいる人間を。




 決して外へと逃がさないようにするためということ。






 どこへ逃げようとしても。




「ダメだっ! こっちも開かないっ!」




 外へと出ることは叶わずに。




「いやぁぁぁぁぁっ!!」




「い、いたいよぉっ……!!」




 一人、また一人と。




「ぎゃぁーっ!! ハハハハハッ!!」




 狂気に笑う男のその手によって。




 孤児達の命が、無惨に摘み取られ、奪われていく。






 建物の一部からは、火の手も上がり。


 黒煙が、逃げ惑う子ども達の視界と、呼吸を徐々に奪っていく。




 そんな、中。




「はぁ……はぁ……!」




 迫る殺人鬼から逃げ続けていたユキは。




「みんなっ! 急いでここから逃げてっ!」




 未だ部屋の中で眠りについていた孤児達を起こし、急いで部屋から出るようにと伝え回っていた。




「うわぁぁぁっ!!」




「ギャアアアアアッ!!!!!」




 走る彼女の背後からは、他の孤児達による断末魔の叫び声が、響き渡り。




「(みんなが……みんながっ!!)」




 地獄のような心地が、彼女へと襲い掛かる。




 そうして。




「――っ!?」




 彼女もまた、施設の裏口側へと辿り着いた時。




「あ、開かないっ……!?」




 他の子ども達と同様に、ドアの施錠を外しても、そこから建物の外へと出ることは出来ず。




「なんでっ!? どうしてっ!!」




 予想外の出来事に、たちまち錯乱するユキ。




 慌てた彼女は、すぐに別の出入り口へと向かうべく、後ろを振り返り、来た道を戻ろうとした。






 その時だった。






「――っ!?」






 彼女の腕を。






 何者かが、掴む。






「キャッ!」




 突然、不意を突かれた彼女は。




 悲鳴を上げ、思わず恐怖で目をつむる。






 そして。






 恐る恐る目を開けたらば。






 そこに、いたのは。

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