院長さんの、首だけが。
地面へと、転がってきた。
覗いたお部屋の中からは。
真っ赤なお水が、流れてきた。
あいつが手に持っていたものが、人の首だなんて。
床を真っ赤に染め上げていたものが、人の血だなんて。
そんなこと、到底思えなかった。
でも、お部屋の中にいたあいつは。
ユキのことを睨んだ後。
すぐに。
笑いながら、追いかけてきた。
* * *
「はぁ……はぁっ!」
息を切らし、暗闇の中を懸命に走るユキ。
「いやぁっ!! こないでぇっ!!」
目撃してしまった惨状に。
「へへへへへっ」
背後から近づいてくる足音と、高くしゃがれた笑い声に、身体中を震わせ。
怯え、大声を上げて、施設の中を駆け抜けていく。
「…………どうしたの? なにかあっ……!」
そんな少女の騒ぎに、別の部屋で寝ていた職員が目を覚まして出てくれば。
「あ、あなたっ……! い、一体誰ですっ……きゃぁぁぁぁっ!!」
廊下へと身を乗り出した途端、少女を追いかけていた男と接触してしまい。
「あっ……!!」
「――っ!!」
出会い頭、男が手に持っていた刃物により、奥深く心の臓を一突きされると。
「うぅ…………あ、ぁ……」
苦しむ間もなく、その場に力なく倒れ込めば、指先一つすら動かせないまま、絶命してしまう。
「せっ……せんせぇっ!!」
男によって殺されてしまった職員の姿に、再び叫んでしまうユキ。
すると。
「どうしたの~……?」
「――っ!!」
彼女の叫び声が、呼び水となり。
「うるさいよぉ……」
「なになに~?」
部屋の中から続々と、眠りについていた子ども達が起き上がってくる。
「みんなダメッ! 出てこないでぇっ!!」
まずいと感じた彼女は、皆に危険を知らせようと咄嗟に叫ぼうとしたが。
「――っ!」
突然、倒れ伏した職員の傍で立ち尽くしていた男が、刃物を持つ手のほうの腕を横一線に振り切れば。
「…………へ?」
一番はじめに部屋から出てきてしまった子どもの。
切れる頸動脈から、大量の血液が勢いよく噴き出される。
「……え?」
一瞬、何が起きたのか全く分からず、その場で固まってしまった子ども達。
だが。
倒れる子どもから溢れる返り血が。
辺り一帯を深紅に塗りたくれば。
「「「きゃぁぁぁぁあっ!!」」」
子ども達の悲鳴が。
「「「うわぁぁぁぁぁぁあっ!!」」」
孤児院の中を。
「にげろぉぉぉぉぉおおおっ!!!!」
一瞬にして、埋め尽くした。
「たすけてぇっ!!」
「せんせぇっ! せんせぇっ!!」
各部屋から一斉に逃げ出す子ども達。
「いやだっ! いやだぁっ!!」
一刻も早く、迫り来る悪魔の手から逃れようと。
大勢でごった返す廊下の中を。
子ども達は。
「どいてよぉっ!!」
己の目の前を走ろうとする者の腕や肩を掴んでは。
一歩でも、半歩でも先へと。
誰よりもいち早く距離を取ろうと、群衆を掻き分けようとする。
「く、くるなぁっ!!」
なにか、抵抗できるものはないのかと。
施設の中にある物を手当たり次第に漁っては。
追いかけてくる男に向かって、力いっぱい投げつける者もいて。
みな、蜘蛛の子を散らすように逃げ続けていたが。
「痛っ!!」
走る途中、床板の隙間に出来た穴へとつま先を引っ掛けて、激しく転倒する子や。
「うわぁぁぁぁぁぁぁんっ!!!!」
周りの異常な騒ぎによって、何がなんだか分からずビックリし、その場に座り込んでは大声で泣きだす子も現れ始め。
だが。
「ギャハハハハハハァッ!!!!!」
そんな弱き存在に向けられる慈悲など、微塵もありはせず。
どこからともなく、夜闇に突然現れた殺人鬼は。
逃げ遅れてしまった子ども達を。
その真っ赤に染まり上がった手で。
次々と。
殺めていく。
「で、出口だっ!!」
「はやく開けてよぉっ!!」
一人、またひとりと確実に殺されていく最中。
男に追いつかれまいと、必死に逃げ続けた子ども達のうち数名が、ようやくにして玄関へとたどり着くが。
「――っ!? あ、あかないっ!?」
外に出られると思いきや、何故か目の前にある扉が開くことはなく。
「な、なんでっ!? どうしてっ!?」
施錠された鍵を開けてもなお。
押しても。引いても。
「なんでびくともしないんだよっ!?」
玄関の扉は、一向に動こうとはしなかった。
「お、おいっ!」
扉が開かないとなれば。
「ま、窓だっ! 窓から逃げるんだっ!!」
それを見た孤児の一人が、今度は近くに設置された窓へと飛びつき、再び錠を外して脱出を試みるも。
「あ、あかないっ!?」
窓もまた、どんなに押しても開かなかったのだ。
「なんでっ!! なんでなんだよっ!!」
立て続く異常事態に混乱し、暴れる子ども達。
とにかく外へと出ようと、扉や窓に向かって何度も体当たりを続けていると。
「――っ! ちょっと待てっ!!」
違和感を覚えれば、目を凝らして窓の外枠を見つめた時。
「……っ! あ、あちこちに……鎖が巻き付いているっ!?」
外から窓の格子に沿って大量の鎖が複雑に巻きつけられては、頑丈に窓が固定されていることに気づく。
「なんで……どうしてこんなことっ!!」
誰が、何故こんな真似をしたのかと。
内側からの施錠なら、まだしも。
外側からともなれば。
その意図は。
「ほ、他の窓からだっ……!」
建物の中にいる人間を。
決して外へと逃がさないようにするためということ。
どこへ逃げようとしても。
「ダメだっ! こっちも開かないっ!」
外へと出ることは叶わずに。
「いやぁぁぁぁぁっ!!」
「い、いたいよぉっ……!!」
一人、また一人と。
「ぎゃぁーっ!! ハハハハハッ!!」
狂気に笑う男のその手によって。
孤児達の命が、無惨に摘み取られ、奪われていく。
建物の一部からは、火の手も上がり。
黒煙が、逃げ惑う子ども達の視界と、呼吸を徐々に奪っていく。
そんな、中。
「はぁ……はぁ……!」
迫る殺人鬼から逃げ続けていたユキは。
「みんなっ! 急いでここから逃げてっ!」
未だ部屋の中で眠りについていた孤児達を起こし、急いで部屋から出るようにと伝え回っていた。
「うわぁぁぁっ!!」
「ギャアアアアアッ!!!!!」
走る彼女の背後からは、他の孤児達による断末魔の叫び声が、響き渡り。
「(みんなが……みんながっ!!)」
地獄のような心地が、彼女へと襲い掛かる。
そうして。
「――っ!?」
彼女もまた、施設の裏口側へと辿り着いた時。
「あ、開かないっ……!?」
他の子ども達と同様に、ドアの施錠を外しても、そこから建物の外へと出ることは出来ず。
「なんでっ!? どうしてっ!!」
予想外の出来事に、たちまち錯乱するユキ。
慌てた彼女は、すぐに別の出入り口へと向かうべく、後ろを振り返り、来た道を戻ろうとした。
その時だった。
「――っ!?」
彼女の腕を。
何者かが、掴む。
「キャッ!」
突然、不意を突かれた彼女は。
悲鳴を上げ、思わず恐怖で目をつむる。
そして。
恐る恐る目を開けたらば。
そこに、いたのは。