黒の空間が消滅してから、暫く経ち。
「はぁ……はぁ……」
ツァーカムとの激闘を制した瀧が。
「終わった、か……」
舞台上にて。
荒れる呼吸を少しずつ整えながら、静まり返った劇場内を慎重に見渡し、敵が黒の空間と共に消滅したことを入念に確認する。
そして。
「もう、いないのか……?」
おもむろに、口を開いて呟けば。
「ええ、もう大丈夫です」
背後に立つネツァクが、瀧の背中を見つめて微笑み、答える。
「…………そうか」
ネツァクの返答を聴いた瀧は、小さく頷くと。
「……ありがとう」
ゆっくりと。椅子から立ち上がり、目の前にある碧ガラスのグランドピアノに手を置き感謝を述べて。
「”
一つ、技を唱えた途端。
グランドピアノは碧の粒子状へと形を変え、導かれるよう天へ向かって、空間に舞い散っていった。
「………………」
暫くその光景を眺めていた瀧だったが。
次の瞬間。
「――っ!」
一気に今までの緊張が解けてしまい、身体中の力が抜けると、思わずその場へ倒れ込んでしまう。
すると。
「タキ……さんっ!」
その、タイミングと同時。
黒の空間が閉じられる直前。レフィの転移術によって劇場内から脱出していたメルクーリオが、瀧のことが心配だと、再び出入口扉を開け中へと入り込んでは、その瞬間、瀧が倒れるところを目撃してしまい。
「あっ! メル様っ!」
急いで舞台上へ向かって走るメルクーリオ。もちろん、その後ろからは侍女のレフィが慌てて追いかけるも、メルクーリオはレフィに目もくれず。舞台上で大の字になって倒れる瀧の下へと駆け寄る。
「タキ……さんっ! だい、じょうぶ……ですかっ!?」
瀧の身を心配し、仰向けに倒れる瀧の顔を上から覗けば、吐息がかかるほどの距離まで顔を近づけるメルクーリオ。
そんなメルクーリオに対し。
「心配……するな。少し、疲れただけだ……」
瀧は、すぐ目の前にまで迫るメルクーリオの顔を一瞬見つめ返しては、目を閉じ、ゆっくりと息を吐いたのち、彼女の言葉に応える。
そして、瀧からの返事を聞けば。
「そう、ですか……」
メルクーリオは胸を撫でおろし。瀧に見せていた憂愁な表情も、次第に柔らかなものへと移り変わっていった。
「……あいつは?」
そんな二人の下へ、遅れてやってきたレフィ。
再び劇場内へと入ってからというもの、ツァーカムと人形の姿がどこにも見当たらないことに警戒しながら辺りを見渡していたが。
「大丈夫、だ……。あいつはもういない。もう、人形たちも出てこないから……」
すぐに瀧が、レフィにもツァーカムが滅んだことを伝え、この場所が安全であることを教える。
「…………そう」
瀧の言葉によって。
一瞬呆けた表情を浮かべ、素っ気ない返事をしたレフィだったが。
「本当に……? ほんとう、に?」
目に涙を浮かべると、表情を崩し、声を震わせながらその場にへたり込んでしまう。
「あぁ……よかった…………よかったっ……!」
長く続いた恐怖から解放され、思わず両脚から崩れ落ちたレフィは、声を上げて泣きじゃくりながら顔を埋めていると。
「レフィ……」
そんな彼女の下へ、メルクーリオは傍に寄り。
「ありがとう……」
ここまで懸命に支えてくれた侍女へ向け、感謝の言葉を言いながら、その震える肩を抱きしめて、背中を優しく擦ってあげる。
「ちゃんと……生きて、いる……よ?」
「うん……うんっ……」
誓った約束は果たせたと。お互い寄せ合う身体を両腕で強く抱き、伝わってくる暖かさに、改めて、生きていることを実感する。
「………………」
そんな二人のやり取りを、天井を見上げたままじっと静かに聞いていた瀧。
すると、その時。
「(……瀧さん)」
「――っ!」
突然、瀧の頭の中に、ネツァクの声が届く。
「ネツァク、か?」
「(はい、そうです)」
驚いた瀧は上半身を起こして後ろを振り返るも、気付けばそこにはネツァクの姿はなく。
「(すみません、勝手ではありますが、力を使い果たしたこともあり、ワタシは先に姿を消しました)」
ただ、相変わらずに。ネツァクの声だけが脳内に響き渡っていた。
「お前……まさか」
ネツァクの姿が見えなくなったことで、途端に心配し始める瀧だったが。
「(少し、力が戻るまで眠るだけです。また、会えますので……いまだけは)」
そんな瀧を安心させようと、ネツァクがすぐに事情を話し始める。
「俺は、この後どうなる……」
「(ご心配なく。ワタシが眠った後、元々アナタが身に纏っていた姿は修復された状態へにまで戻しますので、そのまま、元居た世界に帰ることも可能になります)」
「この場所は、このまま変わらないのか……?」
「(ここについても、敵が完全に消滅したことで次第に元の場所、姿へと変わっていくはずです。少し待てば、いずれ出口も見つかるかと)」
ネツァクが去ってしまう前にと、急いで確認すべきことを尋ねる瀧。
「……そうか」
そうして、ネツァクからの返事を聞けば。
「世話になった……」
「(いえ、お構いなく)」
一言、ネツァクに向けて感謝し、再び仰向けに倒れて、天井を見上げる。
「(まだ、他にも知りたいことはあるかと思いますが……それはいずれ、来るべきときに改めてお話いたします)」
最後に。
「(本当に、ここまでよく闘われました)」
ネツァクは瀧へ、労いの言葉を掛ければ。
「(…………では)」
別れを告げた後。
「…………あぁ」
そのまま、瀧の脳内にネツァクの声が流れてくることはなかった。
「あの……タキ、さん」
ネツァクが眠りについてから暫くして。
「…………?」
レフィと抱擁を交わしていたメルクーリオが、何か聞きたそうな顔を浮かべながら、倒れる瀧の顔を再び覗く。
「その……お聞き、したい……こと、が」
「……なんだ?」
そんなメルクーリオに、瀧が訊き返してみれば。
「あの……教会、で」
「……教会?」
「はい……。教会で……弾かれて、いた曲は……なん、ですか?」
メルクーリオが尋ねたのは、あの日。レグノ王国内の教会にて、瀧が代わりの演奏者として祈りの集会に参加していた時のこと。
「……なんだ、そんなことか?」
あまりに神妙な顔つきでメルクーリオが尋ねてきたことで、もっと重要なことを聞かれると思った瀧だったが、予想外の質問に、少し拍子抜けした顔を見せるも。
「あれか」
答えを待つメルクーリオの顔を見つめては。
「アヴェ・ヴェルム・コルプス」
あの時に弾いていた曲名を。
「俺の住む世界の、祈りの曲だ」
素直に、伝える。
「そう、ですか……」
そして、瀧から曲名を教えてもらったメルクーリオは。
「それが、どうかしたのか?」
「いえっ……」
またしても。ツァーカムとの戦闘中に瀧へ向けたものと同じ、子どものような無邪気な笑顔を見せると。
「や・っ・と・……聞・け・た・っ・」
口元を手で覆い、目を細ばせて、大いに喜ぶのであった。
--------刹那
「……お前」
そんなメルクーリオの笑顔を見た瀧が。
「まさか……」
あることを、思い出す。
それは、この国に転移して初めての任務の時のこと。
瀧が、生命の樹で道に迷っていた際、後ろからメルクーリオが近づいてきては。
ーーあの……タキ、さん
彼女はその時も、何かを聞きたそうな素振りを見せていた。
そう、あの時も。
「お前……そのために、ずっと?」
いま、この時までも。
変わらず、メルクーリオは瀧に、あの日の教会での曲のことを、ずっと聞きたがっていたのだった。
「…………そうか」
そんなにも、音楽を愛しているのかと。
純粋な彼女の心に触れた瀧は。
「……おい。レフィ、だったか?」
ゆっくりと起き上がり、後ろで泣きじゃくるレフィのことを呼ぶ。
そして。
「……あの時。酷いことを言ってしまって、すまなかった」
メルクーリオが瘴気による呪いの発作で倒れたあの時。二人に対して、「無駄なことを」と言ってしまったことを。
瀧は、頭を下げ、心の底から自身の過ちを謝罪した。
そんな瀧に。
「…………全くです」
レフィは涙を拭えば。
「本当に……あなたは、嫌な方です」
少し怒った表情を見せるも。
「本当に……ほんとうに」
彼女もまた、瀧へ向けて。
「主人を助けていただいて……ありがとうございました」
頭を下げ、深くふかく。これ以上ない感謝を伝えるのだった。
――マナの実の発現に、あの治癒の力。やはり、あの女性……
* * *
-活動の間-
「…………まさか、ツァーカム」
瀧達がいた場所とは別空間。土のマナが集う”活動の間”にて。
「どうやら……向こう側にも、それなりの手練れがいたってことね」
魔族軍を率いるオーキュノスが、一人宙に浮いては静かに佇み、マナの実を探そうと辺りを空間内を隈なく探索する。
「あまり、時間もかけていられないわ」
己が部下の一角であったツァーカムの気配が忽然と消えたことに驚きを見せるも、すぐに冷静に戻れば、己が目的を果たす為、再び動き出す。
水のマナが集いし”形成の間”と同じくして。オーキュノスを囲う空間でも、かつてのような神秘的な景色はどこにもなく。
オーキュノスの術により大きな揺れに襲われた空間は、その後。エメラルドに煌めく苔を表層に生やした岩石がそびえていた地面はほとんどが崩れ落ち、それらが落盤した後、ポッカリと空いた穴の下を覗いてしまえば、そこには無数の巨大な針山が姿を顕していた。
僅かに残った足場の上には、傷だらけのエルフ国兵達が横たわっており。
下に待ち構える針山に落ちないよう、必死にしがみ付く者もいれば、力尽き、そのまま針山の餌食となり、串刺しにされた者も。
そんな彼らの姿を。
「……なんて非力な存在なのかしら」
オーキュノスが蔑むような目で上から見下ろせば。
「ぐ……うぅ……」
「ま、まて……」
その冷酷な声を聴いたエルフ国兵らが、酷く苦しそうな表情で、オーキュノスのことを睨む。
オーキュノスの目に映る視界の中に、もう立ち向かえるほどの力が残された兵士はどこにも存在せず。
みな、血を流しては倒れ、立ち上がろうにも身体中に流れる強い痛みによって指一本たりとも動かせないほどに、無惨にも痛めつけられていたのだった。
「ふふ……」
そんな光景を愉しそうに眺めるオーキュノスが。
「さぁ、あれだけ威勢を上げていた、お二人さん?」
笑いながら振り返った先。
そこには。
「獣人族の生き残りに」
オーキュノスの術によって壁に縛り付けられた。
「地球からきた衛兵さん」
満身創痍となったルーナと。
「いま、何を思うのかしら?」
既にエレマ体の一部が瓦解を始めていた、護の姿があったのだった。