-レフィ視点-
「はぁ……はぁ……っ!」
何が起きたのか、わからなかった。
「メル様……! しっかりっ!」
メル様が取り返しのつかないほどの大怪我を負い、倒れてしまってから。
あれだけ瀕死の状態から。もうダメかと思った時。
気が付けば、メル様が受けた傷は消えてなくなっていた。
あの人形たちに襲われて。
ボロボロになっていた、あの男が。
メル様の傷を癒し……ワタクシたちを、あの地獄のような場所から逃がしてくれた。
――あとはお前がこいつを回復させろ
「メル様……! いま少し、頑張ってください……!」
あの男が言っていた通り。
メル様は傷が癒えたとはいえ、出血の影響が大きく、容態までは完全に良くなってはいなかった。
「急げっ! 早くここから逃げるんだっ!」
「あいつが、闘ってくれている間に……!」
ワタクシたちの後を追って、エルフの兵士方も続々と建物の外へ向かって走っていく。
「回復いたしましたら、ここから早く……!」
あの男が。
あの、化け物を抑えてくれている間に。
少しでも、遠くへ。
メル様を避難させなければ……!
「う……うぅ……」
「――っ! メル様、お気をしっかりっ!」
「レ……レフィ……。私は……いったい……」
「申し訳ございません……! いま暫くお静かに願いますっ!」
あぁ、目を覚まされた。
本当に、あの男が助けてくださった。
嬉しさと、あの時の恐怖が。
ワタクシの中でごちゃ混ぜになってしまい。手の震えが、止まらない。
しっかりしなさい、レフィ。
あと少し……あと少しだけでも。
ワタクシの力が持つ限り、メル様を……!
「タ、タキ……さん、は……?」
「あの男の治癒術により、メル様を助けてくださいました。いま、あの化け物を相手にお一人で闘い、こうしてワタクシたちを逃がしてくださっています」
あの絶望的な状況からいまを考えたら。
こうしていられるのも、本当に九死に一生を得たようなことで。
「レフィ……お願い」
けれど、あの男が化け物に勝てるとも思い難い。
だから、一刻も早く……。
ここから遠くへっ!
「戻り、ましょ……う」
「…………え?」
メル、様?
「メル様……?」
いま、なんて……?
「いま……なんと、仰って……?」
「戻る……の、です……レフィ……」
戻る……? どこへ?
「タキさんを……一人置いては。いけま……せん」
あなたは、何を言っているのですか?
意味が、分からない。
どうして? 何故、そんなことを?
メル様の仰っている意味が。
ワタクシには、全く分からない。
…………あぁ、そうです。
きっと、ワタクシが聞き間違えたのです。
えぇ、そうですよ、レフィ。
戻りたいなどと。
わざわざ再び。あのような、命が幾つあっても足りないような危険な場所へ。
戻りたいと言うわけが、ないでしょう?
「メル様、こんな時に御冗談を」
「冗談、なんかじゃ……ない」
「…………」
「戻るの、です……レフィ」
「………………」
「あの方を……助けな、きゃ……」
「……………………」
あぁ…………。
どうして、この方は……。
こんなにも、自らを大事にされないのですか?
分からない。
「レフィ……」
あなたは一度、死にかけたのですよ?
こうしていられるのも、信じられないほど奇跡的なことなのに。
また、あなたは自らの命を投げようとしているのですか?
どうしてですか?
こんなにも、おかしなことを。
馬鹿げた行為だと。
思っているのに。
「レフィ……戻りま、しょう……」
あぁ……。
どうして、ワタクシは。
今この時もまた、頭のどこかで、心のどこかで。
この方の言う事を、聴こうとしているのだろう。
「メル、さま…………」
あなたには、大きな恩がある。
ワタクシも、幼き頃に故郷をなくした者。
魔族に攻められ、戦禍に巻き込まれたワタクシは。
家も、家族も失い……。必死に、どこまでも逃げ続けた。
命からがら逃げ切った後、ワタクシは王国に保護され、戦争孤児として生きていくこととなった。
身寄りもない、たった一人で生きていく術も持っていない。
生きる希望も、夢もないワタクシは、ただただ絶望の淵で立つことしかできない、ちっぽけで弱い存在だった。
けれど。
――ねぇ、あたしのところに来ない?
そんなワタクシを、あの日。あなたは手を差し伸べ拾ってくれた。
――お友達になって欲しいの!
そんな、単純な理由で。
みすぼらしい恰好で、街の隅で座り込んでいたワタクシを。あなたは迎え入れてくれた。
もちろん、当初は周りからも猛反発を受けていたあなただったけれど。
――なんでそんなこと言うのっ!
家の者へ、あなたは。
――この子をお家に入れてくれないなら、あたしもお家には帰らないっ!
ワタクシを拾ってくれるよう。
――この子とずっと、一緒にいるっ!
必死になって、説得してくれた。
信じられなかった。
最初は、何かの冗談かとさえ思った。
上級の身分の者が遊び半分のつもりで、こんなワタクシを揶揄っているのだと。
そう、思っていた。
でも、そうじゃなかった。
あの日、あの時。
あなたがワタクシと、家の者に向けていた眼差しは。
一人の少女が向けるものとは到底思えないような、真剣で真っ直ぐなものだった。
あぁ、そうだ……。
いま、あなたがワタクシへ向けているその眼も。
あの時と、全く変わらない眼差しをして。
こうなっては誰の言うことなど聞いてくれない。
あなたはとても、頑固者だから。
それは、ワタクシがこの身を以ってよく知っている。
かつて、家の者がみな観念したほどに。
あなたの意志は、いまこの時も固いのでしょう。
ワタクシは、あなたから受けた恩に報いたいと。
そんな想い一つに、これまであなたへと尽くしてきた。
何の縁か、ワタクシにもあなたと同じ治癒士としての才があると言われ。さらには何百万人に一人とされる、転移術を扱える者であることも明かされて。
その持って生まれた才を、全てあなたの為に努力し、使っていこうとここに決め。ワタクシは従者として、ここまで付き添ってきた。
こんなことを言ってはならない。
ワタクシは、常にあなたのことを想い、願って。行動をとってきた。
いまもワタクシは、あなたの命に従おうとしている。
あなたが望むのなら、あなたの心がそう決めているのなら。ワタクシは、それに付き従うまで。
「申し訳、ありません……」
だけど。
「メル様……」
そこまでしてでも、大事にしたいと想う方を。
「嫌………です」
ワタクシは、失いたくなどなかった。
「どうして……」
「レフィ……?」
「どうしてそんなことを言うのですかっ!!」
「――っ!」
あぁ、嫌だ。
「あなたは先ほど死にかけたっ!!」
そうやって、あなたはいつも、一人でどこかへ行こうとする。
「あの男が助けてくれなければっ! 今頃あなたは死んでいたのですっ!!」
ずっと、一緒にいると。そうワタクシに言ってくれたのは、あなたなのに。
「ワタクシは怖かったっ!! 目の前であなたを失ってしまうとっ! ワタクシの腕の中、あなたの温もりが消えていくことがっ!! とても怖かったっ!!」
あぁ……。
嫌だ………………。
「ワタクシはっ! 幼き頃からあなたの従者として付き従ってきたっ! それは生きていくため、仕方なく? いいえっ!! ワタクシは、ワタクシがあなたを心から慕っていたいとっ! 己がそう想ったからっ! ここまで支えてきたっ!!」
ねぇ……お願い…………。
「だけどあなたはワタクシを置いてどこかへ行こうとしたっ!!」
もう、どこにも行こうとしないでよ……。
「どうしてっ!! 平然とそんなことが出来るのですかっ!? 言えるのですかっ!!」
ワタクシを、一人にしないでよ……。
「いい加減っ! 自分の命を無下にしないでよっ!!」
ずっと……。
「あなたを失うのはっ!!」
傍に、いてよ……。
「いや、なのよ……」
「レフィ…………」
頭が割れるように痛い。
胸も、呼吸も苦しい。
初めての、心の底からの怒り。
視界に映るなにもかも。
メル様のお顔でさえも、ぼやけてしまって見えない。
……ごめんなさい、メルさ
「ありがとう、レフィ」
「――っ!」
メル、様……?
「私は……嬉しい、よ……?」
「メル様……ワタクシ、は」
「こんな、にも……あなたから愛されて、いたのね」
違う、そうなんかじゃない。
これは、ただのワタクシの我がままな気持ち。
「そんな、ワタクシは……」
でも、ほんの少しでも。
胸中にある願いが伝わるのなら、叶うのならば。
言えずには、言えなかっただけ。
「……でも。それでも私は……行くわ」
「――っ!」
あぁ…………。
「メル、さま……?」
どうして望み通りにならないの?
こんなに想いを吐露してもなお、言う通りにならないの?
「あなたは、ここで死んではならない御方なのに……?」
もう、ワタクシは何を言えば。
「えぇ……。重々、分かっています……」
あなたはこの気持ちに振り向いてくれるのですか?
「ならばなおさらっ!!」
「ですが……それはあの方も……同じなのです」
「――っ!!」
あの、方……。
「今、こうしている間にも……あの方は……。タキさん、は……。かの敵に対し、決死の想いで闘っておられます」
そんな……また、あなたは……。
「私は……知っています。タキさんは……あの方は、己が身を犠牲にすることに……全くと言っていいほど……厭わない、人です……」
ワタクシではなく、あの男のことを選ぼうというのですか?
「そんな、必死に闘うあの方を……見捨てることは、できません……」
理解したくない。
ワタクシは、今すぐにでもあなたを連れて、ここから逃げ出したい。
それでもあなたは、あの男を求め。あの場所へ戻ろうと言うのですか?
「ねぇ、レフィ……覚えて、る?」
「…………え?」
「あの日、あの教会で……初めて、あの方の演奏を、聴いた日の……こと」
それって……。
「あの時……彼の演奏を聴いた時、私は。あぁ……こんなにも。素敵な音を奏でる御人が……この世にいらっしゃるのかと……心から感動しました……」
「………………」
「私は……彼が奏でる音色を……心から好いています……。そんな彼を……私が好いた者を……もう二度と、失いたくないのです……」
どうして。
「ねぇ、レフィ……」
どうしてそこまでして。
「どうか……彼を。タキさんを助ける為……私に力を、貸してください……」
従者であるワタクシに、あなたが深々と頭を下げてまで願い、請うのですか?
あぁ、そっか……。
この人はもう、あの時から。
あの男を強く想い、慕いたいほど心を奪わてしまったと。
ダメだ……。
ここまで来てしまったのならば。
もう……。
「……せん」
…………でも。
「許しません……」
それでも、ワタクシは。
「――っ! レフィ……」
「そんなこと、許せるわけがないでしょう」
認めるわけ、ないでしょう。
だけど。
「だったらば……」
もう、ここまで言っても。何を言っても聞く耳など、あなたは持たないでしょう。
それは、昔からの長い付き合いの中で。
この身をもって。嫌というほど、知っている。
ならば。
「約束してください」
ワタクシは、あなたを決して許しません。
「必ず、生きて帰るということを」
だからこそ、ワタクシは。最期まであなたに付き従います。
「あなたも、ワタクシも。あの男も」
「レフィ、それって……」
それが、たとえこの世であっても。
「誰一人、欠けることなく。あの化け物を倒して」
あの世であっても。
「絶対に、生きて帰るということを」
もし、あなたが死んでしまったら。
ワタクシは、心の底から恨みます。
ずっと、あなたの傍について。あなたがもう嫌だと言ったとしても。
どこまでも、ついていきます。
「レフィ……」
「では……動けるようになるまであと少し治療が必要になりますので。いまはじっとしていてください」
「…………ありがとう」
「今更のことです」
だから、絶対に。
「全く……」
「ごめん、なさいね……」
生きることを。
「あなたは昔から、頑固者なのですから」
誓って、ください。