「さぁ、ツァーカム」
変化を遂げ、悠然とした立ち姿を見せる瀧が。
「続きを、やろう」
舞台の上へと登れば、中央に置かれた褐色のグランドピアノへ向かい、ゆったりと歩く。
「なにを仰っているのですか?」
そんな瀧に反応するのはプリマドンナ。
「あなたはもう、失敗したのです」
冷徹な眼差しを向けながら。
「あなたは期待に応えきれず、失望させたのです」
瀧からの挑戦を断固として拒否する。
だが。
「それがどうした」
と。瀧はプリマドンナの言葉に動ずることなく。
「おいっ!」
「――っ!」
続けて、舞台下にいるレフィのほうを向けば。
「……行け」
ここから逃げ出すよう、声をかける。
「…………はいっ」
瀧の合図に暫く黙っていたレフィだったが。
「……お気をつけて」
「お前もな」
彼女はメルクーリオを抱えると、背を向けたまま瀧へ一言だけを告げ、人形が待ち構えていない箇所の出入り口扉へと駆けていく。
「させませんわよ」
その時。
劇場から去ろうとするレフィ達を見逃そうとはせず。プリマドンナはすぐに彼女らを阻止しようと、人形たちへ命を下す為に、道化師から強引に指揮棒を奪おうとする。
しかし。
「……いいでしょう」
「――っ!?」
対して道化師が、プリマドンナの意思に反し、迫る左手から指揮棒を奪われないよう、指揮棒を握る右手を遠ざけたのだ。
「パリアッチョ。一体どういうつもりで」
思わぬ行動に出た道化師に、心外ないという表情を向けるプリマドンナ。それでも道化師は、指揮棒を渡す素振りを一切見せず。
「いいでしょう。右京瀧さん」
ただじっと。舞台上に建つ瀧の姿を見つめていた。
「あなたは我を失望させた」
初めは半身を傾けながら会話を聴いていた道化師は。
「ですが、先程の術といい。今、その変わり果てたお姿は」
「…………」
「とても、気になる所存でございます」
瀧のいる方向が真正面となるよう、身体を向け直す。
いま、この時。
瀧の身体中からは、これまでに感じたことのない上質なマナとエネルギーが無尽蔵に湧き上がり、それは圧倒的なオーラとして、ツァーカムの目に映っていた。
けれども。
「一体、何があったのか」
そんな瀧を前にしても。
「この短い間に、あなたが何をしたのか」
ツァーカムは余裕のある表情を崩すことなく。
「あぁ、分からない。わからない」
次には不敵な笑みを浮かべ、淡々と。
その深い声で瀧へと語り掛ける。
「あなたがどれだけ強くなろうと、変わらない」
ここは、ツァーカムが支配する空間。
「我の舞台上では、何の意味もありません」
少しでも、人形に手を出せば、たちまちに自身も同じ損傷を受ける。
「それでもまだ」
そんな絶対的なアドバンテージに。
「我を、愉しませていただけるというのでしょうか?」
一片も隠すことなく、心の奥底から溢れる自信を、その顔に顕す。
なお、それでも。
「構わない」
「――っ!」
道化師を前に、瀧は強気な態度で一歩も引かず。
「……そうですか」
そんな瀧に。
「では、いいですか?」
ツァーカムが、指揮棒を構える。
「”
自身の周りに新たな人形たちを召喚し、準備を整えれば。
「……そうだな」
それを見るや瀧は。
「少し、変えよう」
傍に置かれたグランドピアノの縁に右手を添えれば。
「真・癒技。”
朽ちたグランドピアノへ向け、技を発動する。
「せっかくなら、この姿で」
胸元に輝くコアから流れ出るエネルギーが、胸から腕へ。腕から右手へと移れば、手の平からグランドピアノへと伝搬される。
そして、褐色のグランドピアノは、触れられた箇所からみるみると色を変え、あっという間にその姿を変えられると。
「あぁ、そうだ」
瀧が手を離した時。
舞台上にあったボロボロのグランドピアノは。
「こんな感じだったな」
碧のガラスで造られた、真新しい代物へと成っていた。
「始めよう」
グランドピアノが完全に変化し終えたのを確認した瀧は、用意された椅子へと腰掛け。
「(……姉さん)」
暫し、目の前に映る八十八の鍵盤を見つめては。
「(どうか、見守ってくれ……)」
祈りを捧げ。いよいよ鍵盤の上へと両手を乗せる。
そして。
「――っ!」
一音を、奏でる。
その一音は。
「あぁ……」
風が吹き抜けるよう、劇場内めいっぱいに広がっていけば。
その、一音に。
「なんて、素晴らしい……」
道化師が。分からされてしまう。
たった一音。
その一音だけで。
「あなたは、やはり……素晴らしい」
どれほどまで感動的なものなのかということが。
それは、先ほどまで聴いていた音とは異なるもの。
心の中の枷は外れ、他を想い、祈りを乗せたその音は。瀧が持つ本来の才と力の全てが体現されたものだった。
そして。
「(……なんだ? 空気が?)」
伝わる音に、遅れてやってくる違和感。
「これは……揺れている?」
瀧が奏でた一音が劇場内を駆け抜けていった後。その後を追いかけるよう、空気が小刻みに震えだす。
刹那。
「真・癒技。”
続けて瀧が技を唱えれば。
小刻みに震えていた空気は。
「(気のせいじゃない……)」
瀧を中心に。
「(段々と……!)」
大きな揺れを引き起こしていく。
さらには。
「
また、一音。
「
ピアノが奏でられると。
「これはっ……!」
碧ガラスのグランドピアノから、黒く半円状に広がる空間が現れ始める。
「
その空間は、瀧が言葉を発するごとに、大きな揺れを伴いながら徐々に広がれば。
「なんですか……? これは」
遂には、劇場のほとんどを覆い尽くすほどに拡大していったのだ。
「”勝利”のためなら、意のままに」
劇場内を覆い尽くす黒の空間を眺める瀧。
「顕れよ、ネツァク」
「えぇ」
次には、自身の背後に水壺を持つ金髪の女性を召喚する。
「さぁ」
これでようやく、舞台が整ったと。
ネツァクの姿を一瞥した瀧。
すぐに視線をツァーカムへと移すと。
「かかってこい」
待ち構える人形たちへ向け、殺気を放った。
――――――――――同時
「”
道化師が指揮棒を振り、人形たちが一斉に瀧へと向かう。
「頼むぞ」
「任せて」
ネツァクに合図を送る瀧が、鍵盤の上に乗せた十本の指を滑らせ、演奏を始める。
「「「キシャァァァァッ!!!」」」
迫り来る人形たち。
爪を伸ばし、瀧の命を狙おうと宙を舞い、瀧へ襲い掛かろうとするが。
「ぴぎゃっ!?」
一音。
「――っ!」
「ギャッ!」
また、一音と。
瀧が鍵盤を弾く度に、人形たちが一体ずつ消し飛ばされていく。
「”
立て続けに人形たちを召喚し、瀧へ仕向ける道化師。
だが。
「
今度は瀧が唱えれば。
「グバァッ!?」
「ギャァァッ!」
再び、人形たちの姿が消滅する。
「あぁ、なんてことだ……」
その様子を見ていた道化師は。
「素晴らしいっ、素晴らしいっ!!」
怯むどころか愉悦に浸る。
「どんな術を使っているっ! 教えてくれっ、どんな方法でっ!!」
瀧が繰り出す技に、興奮し、大声を上げ騒ぎ立てる。
「そんなことを言っている場合ではなくてよっ! パリアッチョッ!」
そんな道化師とは反対に、いま起きている現象をよしとせず、慌てるプリマドンナ。
「あれでは人形たちが近づけませんわっ!」
悠長なことをしている場合ではないと。この時を愉しむ道化師を叱責する。
「それもそうです、プリマドンナ」
プリマドンナの声を聴き、一度冷静になる道化師は。
「では、力をお貸しください」
手に持つ指揮棒を二つに増やし。
「こちらも全力で参りましょう」
片一方をプリマドンナへと渡す。
「さぁ」
「謳いましょう」
両手に構えた指揮棒を振る両者。
「「”今宵は素敵な宴となり”」」
その場で謳い、踊り出す。
「「”みなみな集いて踊りましょう”」」
指揮棒を振れば、人形が現れ。
「「”絢爛な装飾が施されたテーブルには”」」
ツァーカムの周りへ集いだす。
「「”生き血のワインに、生首と四肢のフルコースを”」」
その数は限りなく増え続け。
「「”それらを欠かさず、揃えましょう”」」
あっという間に、劇場内を埋め尽くしていく。
「「”さぁ今一度。盛大なもてなしを”」」
謳い終わった頃にはもう。
これまで以上に、数えきれないほどの人形たちが召喚され、それらはツァーカムの命により、瀧へと向けられる。
「いけますか?」
その数を横目に見るネツァクが瀧に問えば。
「問題ない」
瀧が容易に応えていく。
「「「「「ギャハハハハハッ!!」」」」」
狂い暴れる人形たちが迫るなか。
「
鍵盤上に乗る十本の指を、瀧は急速に動かしていく。
「ギャァッ!?」
「ピギャァッ!!」
大勢の人形たちが、瀧へと迫る。
「グパァァッ!!」
「ギァァァッ!」
だが、舞台上、人形たちと瀧との間に見えない壁があるかのように。
一体たりとも近づけず。敵の数に対し、瀧は繰り出す攻撃の数を増やし、撃退していく。
そして。
「おかしいです、おかしいです」
あっという間に、召喚された人形の半数ほどが、瀧の攻撃によって劇場内から姿を消されてしまうのだった。
次々と倒されていく人形たちを前にして。
「どうしてこんなに消されてもなお」
「彼の身には何も起きない」
疑念を深めるプリマドンナと道化師。
「「何故、我々の術が効いていない」」
そうして瀧へ直接問うてみれば。
次の瞬間。
「何ともないと思うか?」
「「――っ!」」
ここまで平然としていた瀧に、ある異変が起きる。
演奏する瀧の額に流れる、一筋の血。
それは、額だけではなく。目を凝らせば、手の甲に足首、腕と。身体のあちこちから鮮血が少しずつ流れ始めていたのだ。
「ごめんなさい」
瀧の異変に謝意を向けるはネツァク。
「気にするな」
けれども、そんなネツァクを責めずに。瀧は、自身の身体に起きている異変に特段意識を向けることもなく、演奏を続けていく。
――今からあの化け物を倒す方法を教えます
それは、瀧がネツァクの手を取り、光に包まれこの劇場へと戻される間の出来事。
「あの化け物の術は全て、手に持っている指揮棒を介して行われています。外からは気づきにくいですが、術を発動させる度、あの指揮棒には大きな負担がかかっています」
ネツァクは瀧へ、敵の情報を詳しく伝えていた。
「敵の術は、人形が受けたダメージを記憶し、その対象者へと跳ね返すものですが。受ける瞬間、ワタシが持つ治癒の力で、その損傷を相殺させ、敵の能力を無効化させます」
「俺は何をしていたらいい」
「瀧さんはひたすら人形を攻撃し続けてください。ご存知かと思われますが、敵の人形の弱点は浄化系統の術です。かつてあの女性が人形を倒したように、瀧さんも、その持つ力で人形たちを倒し続けてください」
「なら、あの化け物が持っている指揮棒が壊れるまで、ということか?」
「えぇ、そうなります。そして、敵が持つ指揮棒に限界が来た時。その時こそ、本体を追い詰める絶好の機会となります」
――ですが……
だが、初めての覚醒に両者のリンクは完全に適合したわけではなく。
ネツァクが持つ力を最大限に引き出せていなかった瀧は、軽傷で済んでいるとはいえ、少しずつ、ツァーカムの術の効果をその身に受けていたのだった。
「お前の効果がなければ、今頃。とっくに俺はあの化け物に負けていただろう」
それでも瀧は、弱音を吐くことなどせず。
「それに、このくらいの痛みは……」
演奏を止めることなく。
「もう、
迫り来る人形たちを確実に仕留めていく。
「こいつ……狂っているわっ!」
自らを追い詰めんと、自傷にも躊躇わず、一心不乱に演奏を続ける瀧の姿を見て驚愕し、顔を引きつらせるプリマドンナと。
「いいっ……いいぞっ! 右京瀧っ!!」
それを勇姿と称え、涙を流し歓喜に打ち震える道化師。
「お前が先にやられるか、俺が先に倒れるか」
瀧とツァーカム。
「根競べと、いこう」
両者の闘いは、激化へと向かっていく。