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24.ネツァク


 見知らぬ場所に囲われ、見知らぬものに出会わされた。




「ネツァ、ク……?」




 目の前で微笑み立つ女性が告げた名を。


 訝しげな顔をしながら、瀧は訊き返すように復唱する。




「えぇ、そうです」




 名を言われた女性は、相変わらず瀧を見つめて笑うだけ。


 それ以外のことをする気配は、全く感じさせなかった。




「何なんだ、お前は……」




 そんな女性の態度に。




「ここは一体どこなんだっ!」




 瀧は強い不信感を抱くと。


 女性の顔を睨みつけ、唸るような声で叫ぶ。




「落ち着いてください」




 それでも、目の前の女性は慌てるような様子はなく。


 諭すような声で、優しく、瀧へ向けて囁いた。




 そして。




「改めて。ワタシの名はネツァク」




 次の瞬間。




「あなた方の概念でいう」




「…………」




 唐突に。




「神のような存在と認識していただいて構いません」




「…………は?」




 瀧にとっては驚くようなことを口にする。




「驚かれるのも無理はありません」




 いきなり、己は神ですと言われたことに、呆け、その場に固まってしまった瀧だが、そんな瀧に対し、女性は無理に理解をさせようとはせず。




「こうして知らない場所へ移動され、こうして見えざる存在と相まみえるわけですから」




 ただただ、自然なふるまいで、瀧の心情に寄り添うよう、ゆっくりと頷く。






「じゃあ、なんだ……」






 暫しの沈黙の後。


 ようやく口を開いた瀧は。




「俺は、あの化け物に殺されて……死んであの世にでも来たのか?」




 動揺し、震える声で、己が疑念をぶつける。




「そうではありません」




 そんな瀧の問いに、淡々と答えていくネツァク。




「ここはいわゆる、精神世界の中といったところ。あなたとワタシしか存在しない、二者だけの空間です」




 彼の中で絡まる糸を。


 一つずつ、解いていこうとする。




「なんで俺はここにいる」




「それはワタシと強く繋がったから」




「本当に他の奴はいないのか」




「はい、いません」




「これが全て幻覚だってことは」




「そんなことはありません」




「じゃあどうして俺はここに来れた」




「それは」




 一問一答を繰り返す二者。




「それは。ある条件を、満たしたから」




 二人以外に誰もいない空間に、二人のやり取りだけが、木霊し、奥へ奥へと吹き抜けていく。




「条件……?」




 すると。




「心当たりはありませんか?」




 今度はネツァクが、瀧に向け問いを投げかける。




「心当たり、だと?」




 ネツァクの言葉に眉を顰める瀧。


 言われてすぐ、記憶と胸の中を顧みては、その答えを探ろうとする。




「ここに来る前、あなたの身には何が起きましたか?」




 そんな瀧に、ネツァクが丁寧に誘導する。




「それは……」




 この場所へ来る前に起きたこと。


 目の前でメルクーリオが倒れ、ツァーカムが使役する人形に、みな襲われそうになった。




「実が、突然……」




 加えて突然、瀧とメルクーリオの手の中に一つの実が現れると、その実は宙へ浮き、瀧の唇へと触れた。




「その通りです」




 瀧の返答に、再び頷くネツァク。




「それは、生命の樹に存在する水のマナを司るマナの実。あなたがそれを触れたことにより、こうしてこの場所へと移動し、ワタシと出会うことができました」




 彼が来た経緯を説明しては、その瞬間に合わせ、一歩。瀧の下へと近づこうとする。




「意味が、分からない」




 だが、それを見る瀧は。




「じゃあ、なんだ。その神とやらが俺になんの用がある」




 すかさず一歩後ろへと下がり、ネツァクとの距離を保とうとする。




「そもそも、なぜ俺の名前を知っている」




 続けざま、圧を強めてはネツァクに対して再び警戒心を顕わにする。




「それは」




 そんな瀧に、少し残念そうな表情を浮かべたネツァク。


 それでも、すぐに表情を戻すと。




「あなたがこの世に生を持った時から、ワタシはあなたと共にしていますから」




「……なんだと?」




 またしても、意味深なことを瀧へ話し始める。




「厳密に言えば」




 ネツァクの言葉に、瀧の中の謎は深まるばかり。




 さらには。




「あなたと。あなたの姉、右京漣」




「――っ!」




 ここまでネツァクとの会話を重ねるうち、初めこの場所に来た時よりも、幾ばくかの恐怖と緊張は解れてきていた瀧だったが。




 またしても、その感情はすぐに。




「二人の姉弟と、共にありました」




「姉、さんも……?」




 驚きへと、上書きされる。




「どういう、ことだ……」




 思わず声が裏返ってしまう瀧。




「なんで俺と、姉さんがお前と関係があるんだっ!」




 点と点がつながらない。




 目の前にいる神とやらが。


 そもそもどういう因果で繋がっているのか。


 どうして、自身の前に現れたのかと。




「それは、




「なんだと……?」




 しかし、ネツァクは何か含むような言い方で、瀧の求める答えには応じず。




 そのまま口を閉ざせば、両者の間には長い沈黙が漂い始める。






 暫くして。




「ですが、これだけはお答えできます」




 再び、口を開いたのはネツァク。




「その前に。あなたは……。あなたの姉、右京漣のことを嫌っていますね?」




「……それが、どうした」




 すると、姉の名を聞くやその瞬間。


 瀧の表情はここに来て一番、嫌悪に満ちたものへと変わる。




「やはり」




 そんな瀧に。




「あなたは、知らないのですね」




 ネツァクはどこか哀し気な表情を浮かべては、ふと俯き、瀧の胸の辺りを見る。




「何が言いたい」




 そんなネツァクの回りくどい物言いに、真意が分からず苛立つ瀧は、急かすよう問い詰める。




「ワタシはこれまで、あなた方姉弟の人生を見守っていました」




 顔を上げ、瀧の目を見つめるネツァク。




「それぞれの歩み。何があって、何が起きていたか。その全てを」




 そして。




「右京瀧さん」




 ネツァクが次に放った一言。




「あなたは」




 その一言に。




「あなたの姉、右京漣に最後まで愛されていました」




「…………は?」




 瀧のはらわたが。




「ふざけたことをいうな」




 一気に煮えかえる。




「姉さんが、俺を愛していただと?」




 ネツァクに向かい、口角泡を飛ばし捲し立てる瀧。




「ずっと、俺を騙し続けていた、姉が」




 心の底で沸々と。




「俺を最後まで愛していたわけなんかないだろっ!!」




 冷めることの無かった激昂が、憎悪が。


 ネツァクの言葉によって、呼び覚まされる。






「そうですか」




 反対に。




「では、お伝えしましょう」




 瀧の吐き捨てた言葉を聴いたネツァクの発する言葉が纏う空気は。


 温もりが一切感じられないほどに、冷たく硬いものだった。




 すると。




「なんだ、それは」




 ネツァクは持っていた水壺を床に置くと、今度は懐からある物を取り出した。




「これは、あなたの姉、右京漣が書いた。あなた宛の手紙です」




 ネツァクが取り出したは、一つの水色の封筒。




「手紙、だと……?」




 ネツァクが持つその封筒を見た瀧は、目を丸くし狼狽する。




「そんなの聞いたこと」




「そうでしょう。なぜならこれは、あなたの御実家に置かれたものですから」




 先程のように、瀧へ近づくことなどせず、ネツァクは自身の指先でゆっくりと、封を開く。




「あの日以来。あなたは一度も家に帰られていないのですから、知らないのも当然です」




 さらに、封筒の中身を開いては。




「これは、あなたの姉の真意、全てが記載されています」




 ボロボロの、四つ折りになった一枚の紙を、瀧の前に小さく掲げる。




「そんなの……嘘に決まって」




 姉が自分宛に手紙を書いていた。


 そんなことは一度も、誰からも聞かされていなかったこと。




 何かに怯えるような表情で、ネツァクが掲げる手紙を見つめる瀧だったが。






「そうか……分かったぞ」




 もう聞きたくもない。


 姉のことについて触れたくもない。


 あの哀しみと、絶望の味を。




「お前も、みんなと同じで……俺を揶揄っているだけなんだろっ!?」




 もう二度と、知りたくはなかったと。




「やっぱりそうだ……全部夢なんだ……。あの化け物たちも、あの忌々しい劇場も、この空間も、お前も全てっ!!」




 心の底から、ネツァクが持つ物と、これまで目にしてきたもの全てを否定する。




 だが、次には。




「”綺麗な湖に囲われた街の、碧のガラスで造られたピアノで、あなたの演奏が聴きたい”」




 ネツァクが発した言葉に。




「――っ!!」




 これまでにない衝撃が、電流のように瀧の身体中へと走り抜ける。




「な、なんで……それを」




 ネツァクが瀧へ告げたもの。




 それは。




「これは、あなたのお姉さんの夢ですね?」




 かつて、右京漣が、自分の弟へ向けて語った夢だった。




「どう、して……」




 唇は震えて言葉はまともに出ず。




「それは……俺と、姉さんだけが知っている……」




 何故、出会ったこともない人物が。




「なんでお前が……それを」




 この世で二人だけしか知らないはずの。


 果てなく追いかけ、そして、虚しく散っていった夢のことを知っているのだと。




「少しは、信じてもらえたでしょうか」




「――っ!」




 ネツァクの射るような視線が、声が。


 まるで瀧の心を握るように、その気持ちと意思を確かめる。








「ワタシが持つ能力が、困難にあぐねるあなたへ手を差し伸べる前に」




 ネツァクは一歩も動いていない。




「あなたの心にあるその枷を」




 けれども、その芯の通った声だけは。




「どうか、外しては頂けませんか?」




 瀧の耳元へと。


 段々と近く、大きく迫っていく。




「では、読みましょう」




 何も言い返さない瀧は。


 ただじっと、ネツァクが持つ手紙を見つめるだけ。




「あなたの姉が何を想っていたのか」




 そして、ネツァクは四つ折りの手紙を広げると。




「その事実、その真意を」




 彼が聞き逃さないよう。




 はっきりと、透き通る声で。






「瀧へ」






 その中身を、読み始めた。

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