「(ごめんなさい、レフィ……)」
劇場内に舞い上がる、大量の血飛沫。
「(あなたはずっと、私を守ってくれた……)」
人形を攻撃し、消滅させたメルクーリオは。
「(だけど……私は)」
その、報いを受け。
「(耐えられなかった。あの人が抱える、悲しみと……)」
ふっと、吊るされた糸が切れたように。
「(その痛みが……とても、つらかった)」
力無く、地面に敷かれる赤いカーペットの上へと倒れ込む。
「メルさまぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」
一瞬の静寂が訪れたのち、レフィの断末魔の叫び声が、劇場内に木霊する。
彼女の思考と感情が。
振り切り、そして焼き切れる。
「メル様っ……! メルさまぁっ!!」
倒れる主人の傍へと駆け寄り、急いで身体を起こしては。
「あぁぁっ……! どうして、どうしてっ!!」
首筋から溢れる血を止めようと、華奢な手を裂けた傷口へと当て、力強く押し込める。
「ひ、ヒール……ヒールッ!!」
気は動転し、呼吸さえもままならない。
だが、懸命に。主人を助けようと。
「ヒールッ! ヒールッ!!」
懸命に。
何度も何度も。
治癒術を施し、叫び続けるが。
「止まってよ……ねぇっ!! 止まってよっ!!」
回復する兆しなど、どこにもなく。押されるレフィの手の指の間からは、メルクーリオの血が、彼女の命が。無情にも、とめどなく流れ続ける。
「いや……いやぁっ!!」
視界に映る惨状を、心の底から拒絶する。
どうして人形に攻撃したのか。
どうして、あの男を助けようとしたのか。
なぜ。自分の命を捨てるようなことをしてしまったのか、と。
助けなきゃ。
失いたくない。
お願いだから。お願いだから、と。
赤に染まりゆくその両腕で、メルクーリオを抱きながら。
レフィの中に、様々な感情が、想いが。ぐちゃぐちゃに溢れ、崩れていく。
「なん、で……」
舞台上。
「お前……なんで」
さきほどまで人形に襲われていた瀧。
「どう、して……」
メルクーリオが取った行動に。
自分を助けようと。命を投げ出したメルクーリオの行動に。
わけが分からず、頭の中が真っ白となる。
そして、ゆっくりと。
「なに、してるんだよ……」
這い、起き上がっては。
「なんで、手出しなんかしたんだよ……」
今にも消えそうで、ボロボロになったエレマ体を纏いながら。
「そんなことしたら、死ぬってことくらい……」
メルクーリオの下へ向かおうと。
「知ってたはずだろ……?」
足を、運ぶ。
「ァ、ァ……」
「メル様っ! 喋らないでっ!!」
閉じていた目を、薄っすらと開くメルクーリオ。
ぼんやりとした視界の中、近づいてくる瀧の姿を見つけると、だらんと降ろしていた手を伸ばし、口を開く。
そして。
「あぁ……。タキ、さ……ん」
「お前……なんで」
瀧がすぐ傍まで来た時。
「よかっ……た。無事、だったん……です、ね……」
震える彼を、彼女は笑顔で迎い入れ、血に染まった手を、瀧の頬に優しく添える。
「あなた、を……助けたかっ……た、の……」
それはかつて。
昔、彼の姉が。弟へ向け、そうしたように。
「そんな……ことで……」
理解が出来なかった。
「そんなの……」
何故、助けたのかと。
「俺なんか……見捨ててさっさと」
人形たちが自身に集中している間にも、己を置いていき、この場から逃げることだって出来たはずだと。
そう、瀧は伝えようとした。
だが。
「見捨てる、こと……なん、て。でき、ま……せん」
メルクーリオが、それを否定する。
「あなた、は……ずっと、一人で……歩まれて、きました……」
彼女が持つ碧の瞳が、瀧の漆黒の瞳をじっと見つめる。
「それは……とても孤独、で……つらく……苦しい道のり、で……」
それはまるで、彼の瞳を通して心の奥底を覗くように。
「何を、言って……」
「あなたの音、から……伝わり、まし……た」
薄暗い水底で沈み、たった一人で寂しく蹲っている姿を見つけては。
「だからっ、何を」
「分かり……ます。あなた、が……奏でる音は……人々を、幸せにして……くださる。とても……素敵、な……もの、でした」
救おうと、手を伸ばす。
「ですが……あなたの、顔は……いつも哀しげで……心には……深い、傷を負って……」
「もういい……もういいから」
「私は……そんな、あなたが……とても悲しく……見て、いられなかった……の、です」
頬に当てた手を、滑らせる。
「だからってっ!」
「もう、いいの……です、よ?」
「――っ!」
その手は、地面へと降りると。
「あなたは……充分。頑張り、ました……」
空いた瀧の手へと触れ、そっと。指を絡ませて握る。
「どうか……私が好いた、その音、を……」
そして。
「あなた、だけ……は。レフィと、ともに……逃げ……」
メルクーリオはそう言い残すと。
最後に再び笑い。
そっと、目を閉じた。
「メル、様……?」
レフィがメルクーリオを呼ぶ。
「メル様……メル様っ!」
だが、主人から再び返事が聴けることはなく。
「いやっ……いやぁっ!!」
ただただ、侍女の腕に抱かれ。静かに、横たわるだけだった。
「メル様ぁっ!! メルさまぁぁぁぁっ!!!」
叫び、喚くレフィ。
「そんな…………」
「うそ、だろ……」
一部始終を見ていたエルフ国兵たちも、嘆くレフィに言葉を失う。
そんな中。
「あぁ……残念です」
大声で叫び続けるレフィをよそに、物憂げに語り出すのはツァーカム。
「彼女は死んでしまった」
「彼が演奏を止めてしまったから」
「そうです、そうです」
「全ては演奏を止めた、彼のせい」
道化師は嘆き、赤ドレスの女は笑う。
二つの声が、背を向ける瀧の心に、重く圧し掛かるように、強く突き刺さる。
「(どうして……)」
茫然とする瀧。
動かなくなったメルクーリオの姿を見ては、何も言葉は出てこず。
彼の中にはもはや。
感情もなく、その場から立ち上がろう気力すらも。
そんなものは、もうどこにも無かった。
だが、こうしている間にも。
「彼は失敗した」
「ここに、我が求める物語はありません」
「仕方がありませんが、パリアッチョ」
「オーキュノス様の命令通り。皆殺しにし、我はマナの実を回収しましょう」
敵は情けをかけるわけはなく。
手に持つ指揮棒を振り、人形たちへと命令を下す。
「さぁ、アトレ達」
「終演のお時間です」
人形たちが、一斉に宙を舞う。
「や、やめろ……」
怯えるエルフ国兵達と。
「お願い……メル様……」
静かに眠る主人を抱きしめ、涙を流し続けるレフィ。そして。
「俺、は……」
心を折られてしまった瀧へ向け。
「「「ギャハハハハハハッ!」」」
人形たちは嘲笑い、その命を奪おうと構える。
「さぁ、御客様のご案内はアトレ達へ任せて」
もうここでの用はないと。
もうここには、己の心を躍らすものはないと。
「我はマナの実の探索と回収へと」
ツァーカムは、己が仕える主人の命を遂行するため。
この空間のどこかに存在するマナの実を追って。
踵を返し。
その場から去ろうとした。
その、はずだった。
「……お待ちを」
だが。
「それは、なんですか?」
突然、ツァーカムが動きを止める。
初めはどこかを見るわけでもなく、声だけを発しては、疑問を投げかけた。
「それは、なんですかと」
「聞いているのです」
次に後ろを振り返っては、圧を強めて聞き直す。
ほんの、一瞬の出来事だった。
この場を去ろうと踵を返す直前、ツァーカムの視界に映っていたのは、無気力に地べたへ座り込む瀧の姿だった。
けれども、僅かその視界の端で。
「
それは。
「…………え」
瀧の手元で輝く、一つの物体。
「なんだ、これは……」
握りしめていたはずの瀧とメルクーリオの手。
気付けばそこには、両者の手の間には碧々と透明に煌めく。
誰かが用意したわけでもない。
何かの術によるものでもない。
どうやって顕れたのかさえ、分からない。
誰も、ツァーカムに言われるまで気付けなかった。
だがそれは。
「それって……」
最初からそこにあったかのように。
静かに、存在していた。
「なぜ、あなたが持っている」
「どこでそれを手に入れた」
瀧が握り締めていたものの正体。
それは。
「マナの……実」
顕れたその存在に、誰しも目を奪われる。
「「それを寄こしなさいっ!」」
瀧の後ろから、ツァーカムが猛烈に詰め寄ろうとする。
すると、次の瞬間。
「なん、だ……?」
瀧の手から離れ、ゆっくりと浮上するその実は。
瀧の言葉に反応するかのように。
ゆっくりと。
導かれるよう、瀧の顔へと近づき。
そっと。
彼の唇へと、触れた。
「――っ!」
どれほど時が経ったのか。
一瞬の間か、それとも永遠の間だったかもしれない。
「こ、ここは……」
そこは、何もない六面真っ白な空間。
そこには、先ほどまでいたはずの大劇場はなく。
ふと気付けば、瀧は別の空間の中に座り込んでいた。
「さっき、俺は……」
突然、目の前にマナの実が現れた。
そして、それは宙を浮くと、己の唇へと触れた。
そこまでの記憶は鮮明に覚えていた。
しかし、気付けば全く身に覚えのない空間へと移り。
襲い掛かろうとしていた人形たちも、怯えるエルフ国兵達も。自身の前にいたメルクーリオとレフィも見当たらず。
夢なのか、現実なのかさえ、区別がつかない。そんな不思議な、不確かな場所に、瀧はいた。
その時だった。
「ようこそ」
「――っ!?」
高く、芯の通った声が、空間の中に響き渡る。
誰もいないと思っていた瀧は、その声に驚くと、思わず立ち上がっては辺りを見渡し、声の出所を探そうとする。
すると。
「ようこそ」
瀧の真後ろに。
「お前……」
そこには。
「誰、だ……」
金色に染まる長髪を伸ばし、透き通る碧のガラスで模られた水壺を膝にのせては、翆玉で造られた大きな玉座に座る、一人の女性がいた。
「こうして会うのは初めてでしょうか」
驚く瀧に対し、落ち着いて話す女性。
瀧の顔を見つめると、優しく微笑んでは、玉座から離れ、瀧の下へと近づこうとする。
「く、くるなっ……!」
だが、瀧は己に近付こうとする女性を警戒すると、少しずつ後ろへ下がろうとする。
「大丈夫。ワタシはあなたの敵ではありません」
そんな瀧を安心させようと。
女性は静かに語らうと、少し離れた位置で一度立ち止まる。
そして。
「ようやく、会えました」
再び、瀧を見つめ直す女性。
「右京、瀧さん」
はじめから知っていたかのように。
瀧の名を呼ぶその女性は。
「ワタシは、”勝利”を司る、第七のセフィラ」
「ネツァクと、言います」
自身の名を、口にした。