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21.瀧vsツァーカム



 …………ザンッッッッッッ!!!!!!!!








 弾ける弦の音が。




 一瞬の静寂の中から生まれる、フォルテピアノの音圧が。




「――っ!」




 瀧の全神経を呼び覚ます。




 人形たちによる演奏を合図に。


 瀧は、構えた十本の指を白鍵の上になぞらせていく。






 ラフマニノフ、ピアノ協奏曲第三番、第三楽章。






 それは、数多る協奏曲の中でも、最高峰の難しさを誇るコンツェルト。




 命狙われる極限状態の中、そんな高き存在へと挑む瀧は。




 激しく、せわしなく。


 自身の全体重を僅か十本の指で支え、八十八の鍵盤の上を滑らかに。


 低音域から高音域まで、全ての音を。




 熱情的に、めいっぱい響かせていく。




「(まさか、本当に……)」




 演奏が始まりすぐ、瀧が驚いたのは人形たちが奏でる旋律の、その精巧さ。




「(ここまでとは……)」




 ツァーカムの術により、瀧の記憶から得た情報に基づいて演奏する人形たちの動きは僅かなズレもなく。まさに、プロのオーケストラそのもの。




「(集中しろ……)」




 一度の失敗も許されない、などという考えすらも一切に捨て。


 瀧は、人形たちが奏でる音にありったけの神経を注ぎ、聴力を研ぎ澄ませていく。




 掛け合わされる、二種の音。


 オーケストラが先行すれば、ピアノが追いかけ。ピアノが前へと入れ替われば、オーケストラは後ろから追従する。




 大地を揺るがすような旋律が現れれば、広原をそよめく風のような曲節が顔を出し。




 何十にも重なる音色が空気を伝搬し、あっという間に劇場内を重厚な響きで満たしていく。




「なんという、芸……」




 客席側で見つめる者達も、演奏が始まるやいな、すぐにその目を奪われる。


 人形たちによる演奏も凄まじい物だったが、特筆すべきはやはり瀧による演奏。




 かつて天才と謳われたその実力は、時が経てども褪せることなく。洗練された技巧、奏でられる音色の美しさに、みな堪らず鳥肌が立ち、釘付けにさせられていた。




 すると。




「…………っ! あ、あいつはっ!?」




 皆が聴き入っていた中。突然として、劇場の前列側で演奏を聴いていた一人のエルフ国兵がツァーカムのことを思い出すと、様子を確かめるためにと、その場からこっそりと人形たちの包囲を掻い潜り、敵が座っている席のほうまで近づいていく。




 そして。




「……っ! いたぞっ! ……なっ!?」




 回り込む形で、横列の端から敵の姿を遠目に覗けば。




 そこでは。




「あぁ……なんと」




 両腕を客席の肘置きに乗せては。




「まさか、こんなにも……」




 道化師が、涙を流し。




「素晴らしきものとは……」




 瀧の演奏に胸打たれていたのだった。




「あ、あいつ……」




 心の奥底から踊るような、激しい感動をと求めたツァーカムだが、記憶は覗けても、その実力がどの程度のものかまでは測れず。しかし、いざ演奏が始まった途端。瀧が奏でるピアノから伝わる凄み、華やかさに圧倒されては、じっとその場から動けずに、視線は舞台上へと釘付けになっていたのだ。




「そんなに……」




 そんな敵の反応に、思わず驚いてしまったエルフ国兵。彼もまた、演奏を聴いた瞬間にそれが凄まじいものだと感じ取ってはいたが、道化師の反応を見るや、先程まで凶悪な存在だった相手の心を一瞬のうちに掌握してしまった瀧の演奏に改めて驚愕し、そのまま、自然と両目を道化師から舞台上へと移していく。




 そんな中。




「(違う……こうじゃない)」




 序盤から激しい演奏を繰り広げていく瀧。


 人形たちの音にあわせ、次々と鍵盤の上で指をうねらせ音を弾かせていくが、かつての感覚までに、頭の中でのイメージに僅かなズレが生じていた。




「(もっと……深く)」




 しかし、それもすぐに。




「(深く、響かせて……)」




 演奏の最中に少しずつ、修正し。




 音色、響き、曲への解釈。


 その細部に至るまで、神経を張り巡らせていく。




「すごい……」




 小節が進むたび、凄みを増していくその技巧。


 劇場内を、更なる重厚感で満たしていく。




「なんて、凄まじい……」




 劇場内後方にて。




 圧倒的な敵の能力の前に為す術なく、己の命運を瀧へと託すことになってしまったレフィ。以前にも、彼女はレグノ王国の教会内で瀧の演奏を聴いたことがあったが、たったいま目にしている光景は、その時とは比にならないほどのもの。瀧の演奏に身を震わせては、命が賭けられている状況とはいえ、思わず感嘆の声を漏らしてしまう。




 すると。




「……メル、様?」




 ふと、同じく傍で瀧の演奏を聴いていたメルクーリオの様子が気になったレフィ。


 窺おうと一瞬。舞台から目を離し、主人のほうへと顔を向けると。




「――っ!」




 メルクーリオもまた、頬を濡らしては、瀧の演奏をじっと見つめていたのだ。




 だが。




「メル様……?」




 レフィが気になったのは。




「どうか、されたのですか……?」




 涙を流していたという行為、そのものではなく。




 メルクーリオが流していた涙は、道化師が見せたものとは異なるものだった。


 彼女が見せたその表情。それは、感涙に満ち溢れたものとは到底言えず。彼女は、とても悲しげに、一人孤独に闘う瀧の様子をやり切れないといったような、そんな憂いに満ちた表情をしていたのだ。




 そして。






 曲は序盤から中盤へと差し掛かる辺り。




 磨きがかる練度はとめどなく。


 一心に、奏でられる曲と一体化していく瀧。




 ここまで目立ったミスはなく。むしろ時が経過するごとに、劇場内にいる者達を陶酔させ、深く深く、協奏曲の世界観へと没入させていく。




 敵ですら。


 生まれも、世界も違う者ですら。


 感情を持たない、人形ですら。




 一同、みな全て。


 この場にいる全員が、瀧の演奏へと、夢中になっていた。




 ただ。




 この者だけは、除いて。








「(……つまらない)」




 瀧の演奏に、心のどこかで感じていた違和感。




「(えぇ。確かに彼の演奏は、言葉に表せないほどに)」




 目覚め、奥底から湧いてくる劣情。




「(素晴らしいものですわ)」




 みなが、彼に注目している。




「(ですが……)」




 舞台上で一人。


 生死を賭けて、一心不乱に闘う姿に。




「(舞台の花形である、このワタシの美しさに。誰一人として目線を向けていないこの状況は)」




 息を飲み。そして、緊迫する。




「(面白くありませんね)」




 瀧の演奏に不満を持っていたのは、化け物の左半身であるプリマドンナ赤ドレスの女




 感涙し、瀧の演奏を前に惚けてしまっている右半身の道化師とは正反対に、終始真顔で聴き続けていた彼女は、感心はしていたものの、心は奪われることはなく。




 むしろ、今この時が。誰も自分に注目をしていないこの状況が。




 この場、この劇場において。


 本来は自身が主役であるという、プライドを確実に傷付けていたのだ。




「(……そうね)」




 左目で、チラッと道化師のほうを見るプリマドンナ。




「(ちょっと、面白いことをしましょう)」




 変わらず涙を流し続ける道化師を見ては、あることを思いつく。




「失礼、パリアッチョ」




 他の誰にも目をくれず。絶えず瀧の演奏を見続ける道化師の右手に、自身の左手を伸ばすプリマドンナ。


 そして、その右手から取り上げたのは、術で使用していた指揮棒。




「さぁ、アトレ達」




 指揮棒を握った彼女は、ニヤリと悪戯に笑うと、席に座っていた人形たちへ声を掛ける。




 そして。




「” בוא נשחקオンニ・シュハーク ” - 戯れろ -」




 軽く杖を振り、術を唱えたならば。




「「「キャハッ!」」」




 複数体の人形たちが、客席から宙へと浮き、演奏する瀧の下へと向かう。




「お、おいっ!」




「あいつら……まさかっ!」




 人形たちを指差し、大声を上げるエルフ国兵たち。


 周りが騒いでいることには気づかず、演奏へと集中していた瀧だったが。




 次の瞬間。




「…………キャハっ!」




「ぐっ!?」




 突然、宙を舞う人形が。




「「キャハハハッ!」」




「くそっ!? なんだっ!?」




 演奏中の瀧を襲い始めたのだ。




「やめろっ! おいっ!」




 予想だにしない状況に焦る瀧。


 だが、両手は鍵盤の上に塞がれているために、迫る人形たちを振り払うことが出来ず。




「「「キャハハハハハハッ!」」」




 そんな瀧を、容赦なく人形たちがエレマ体のあちこちに向かって殴打していく。




「おいっ! 卑怯だぞっ!」




「今すぐ人形たちを止めろっ!」




 人形たちによる妨害に、焦り、声を荒立てたエルフ国兵たちだったが。




「あははははっ!!」




 指揮棒を振るプリマドンナは、彼らの姿を見ては甲高い声を上げ、大いに笑いだす。




「良いわぁっ! この瞬間っ! いまっ!! 御客様がワタシに注目している! さぁ、もっと! この劇を楽しみましょうっ!」




 このまま曲を完奏されても面白くはないと。


 更なる困難を与えては、自身もこの創られる物語の一役になれると。




 批難の目すらも、快感へと受け入れる。




「あぁ、なんと……」




 そんなプリマドンナに対し、道化師は。




「素晴らしい……!」




 彼女がしたことに激怒するどころか。




「更なる困難が降り注がれようとも止めることなきその精神っ……!」




 人形たちの妨害に耐え、演奏を続ける瀧に対し。




「この逆境こそっ! 我が心をば震わせる瞬間っ!」




 瞳孔開いては口角を上げ、思わず立ち上がり、瀧に向かって更なる賛辞を贈る。




「感謝します。プリマドンナ」


「いいのよ、パリアッチョ」




 そして、再び席へと戻ると、演奏の続きを楽しみ始める。






「(くそっ……! 人形たちがっ!)」




 曲はようやく半分を超えたところ。




「キャハッ!」




 腕を掴まれようとも。




「キャハハハッ!」




 頭を振り回されようとも。




「(耐えろ……耐えるんだっ!)」




 決して、鍵盤からは指を離すことだけはせず。




 人形たちからの攻撃を凌ぐ瀧は、どんなに邪魔をされようとも、この演奏だけは止めてはならないと、懸命に演奏を続けていく。




 その時だった。




「……ねぇ」




「――っ!」




 妨害し続ける人形のうちの一体が。




「どうしてそんなに」




 グランドピアノの上に座り。




「頑張ろうとするの?」




 瀧のことをじっと見つめ。




「ねぇねぇ、どうして?」




 執拗に、話し掛け始める。




「(……こいつっ!)」




「ねぇ、どうして? 教えてよ」




「うるさいっ!」




 人形から発せられる、子どもじみた声に思わず苛立ってしまう瀧。




「どうしてそんなに」




 更には。




「馬鹿みたいに無駄なことをし続けるの?」




「――っ!」




 人形の言葉に。


 大きく心を揺さぶられる。




「(そ、それは……)」




 それはかつて。




 ――どうしてそんな馬鹿みたいに無駄なことをし続ける




 かつて、瀧がメルクーリオ達に向かって吐いた言葉と同じもの。




「ねぇ。ねぇねぇ」




「うるさいっ! 黙ってろっ!!」




 頭の中を覆い始める雑念を追い払うように。人形に向かって恫喝する瀧は、目の前にいる人形から視線を外すと、再び演奏へと集中し直そうとするも。




「ねぇねえ、教えてよ」




 それでも、人形は喋り続ける。




「どうして」




「(うるさい……!)」




「あなたは」




「(黙ってろ……!)」




「演奏を」




「(いい加減に……!)」




「止めないの?」




「邪魔を……するなっ!!」




 人形たちによる妨害。騒音、雑念。


 その甘美なる演奏を狂わせようと、瀧の集中を少しずつ削いでいく。




「(もう少し……もう少しなんだっ!)」




 曲は徐々に終盤へ。


 あと数分を耐え抜けば、この戦いから逃れられる。




 彼にとって、この忌々しい空間からも、気の狂った正体不明の化け物からも。




 全部、全部から逃れられる。




「(あと……少しっ!)」




 人形たちによる演奏が、オーケストラの音圧が最高潮に達していく。




「(ここを乗り切ったら……!)」




 最後に残されるは、フィナーレへの道。


 オーケストラが静まった後に来る、ピアノの音だけが響かされる小節。




 そこに備え、いざ弾かんとした時だった。




「ねぇ、瀧」




「――っ!」




 人形が、名指しで瀧のことを呼ぶ。




「どうしてそんなに頑張るの?」




 その声に思わずつられ、人形の眼を見つめてしまう瀧。




 人形の声は、これまでのような機械的な声ではなく。




「もう、何をしても意味がないのに」




 抑揚のある、柔らかい声だった。




 そして。




「だって、あなたのお姉さん。右京漣は」




 人形が放った一言。




「もう」




 その、一言は。




?」




「--っ!」




 彼に、大きな衝撃を与えた。




* * *




 静まり返る大劇場。


 そこには誰も声を発する者はなく、物音一つも立つことはない。




 劇場いっぱいを覆いつくしていた、重厚感溢れる響きは一瞬にして消え去り。


 人形たちの笑い声もまた、聴こえなくなる。




「……………………」




 舞台上、茫然と椅子に座る瀧。


 両手を震わせ、何も無くなった鍵盤の上を、じっと見つめる。




 この瞬間。


 誰もが、曲が終幕したのだと、瀧が最後まで完奏したのだと思い込んでいた。




 だが、瀧は。


 人形の言葉を聞いた瞬間。




 ここまで繋いできた演奏を。




 途中で、止めてしまったのだ。

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