「全員、見逃してやるだと……?」
突然、ツァーカムから賭けを持ち込まれた瀧。
「えぇ、そうです」
吐いた言葉に嘘はないと。
そう言わんばかりに、ツァーカムは瀧へ向けて笑顔で頷く。
「(あのピアノで……今から……?)」
瀧が見つめるは、ツァーカムの術によって召喚されたグランドピアノの様相。
表面は朽ちた枯葉のような色をしては、遠くから見てもすぐに分かるほどの大きなヒビがあちこちを這い、台を支える三つの脚はどれも、今にも崩れそうなほどボロボロで。
到底、演奏できるとは思えないほど老朽化した状態だった。
「さぁ、是非」
「こちらまで」
ツァーカムはグランドピアノの鍵盤側まで回り込むと、仕舞われた椅子を後ろへと弾き、そこへ瀧を座らせようと誘導する。
「俺は……」
そんなツァーカムに対し瀧は。
「楽器なんか弾けな……」
かつてレグノ王国内の教会にて、メルクーリオ達に告げた時と同じように偽ろうとしたが。
「「いけませんね」」
「――っ!」
瀧が言い終わるよりも先。
瀧の言葉を聞きつけたツァーカムが、怒りを込めた眼差しで彼を見つめると、低く轟くような声を食い気味に被せたのだ。
「嘘は、いけません」
「我は記憶を覗きました」
「弾けない、などという戯言は通用しません」
言葉が空間を浸透するごとに、ツァーカムが纏う雰囲気が重々しい物へと変貌していく。
すると。
「「アトレ達」」
ツァーカムは待機する人形たちに向かい声を掛けると。
「「彼を」」
「……え?」
自身から見て一番近くに居たエルフ国兵を指差し、右手に持つ指揮棒をその場で軽く一振りした。
次の瞬間。
「う、うわぁぁぁっ!?」
人形たちは一斉にそのエルフ国兵へ向かって飛び掛かると、身体中に覆っては素早く四肢を掴み、彼を宙高く持ち上げ始めたのだ。
「や、やめろっ!? 放せぇっ!!」
身体の自由を奪われ、恐怖により裏返った声で叫ぶエルフ国兵。
「お、おいっ!!」
「頼むからっ! これ以上はっ!」
近くにいた他のエルフ国兵達が、同胞が襲われるのを見て騒ぎ立てる中。
「なにを……するつもりだ……」
その光景を遠くから見ていた瀧も、胸に駆け巡る悪い予感に声を震わせていると。
「”
その時だった。
「……キャハッ!」
「「「――っ!!」」」
ツァーカムが、再び指揮棒を振り下ろした瞬間。
「ガッ……!?」
人形の一体が。
「ァ……ガァ…………ァ」
エルフ国兵の頭部を羽交い絞めにし。
「ァ………………ァ……」
その首を、へし折ってしまったのだ。
「む、むごい……」
「あぁぁ……そん、な……」
目の前で起きた出来事に、みな絶句する中で。
「「「キャハハハハハハッ!」」」
人形たちの笑い声と。
こと切れたエルフ国兵の身体が地面へと叩きつけられる音が、不気味に交じり合いその場に響き渡る。
「「あなたのせいです」」
「――っ!」
静まり返った劇場で、再び口を開くツァーカム。
「あなたが嘘をついたからです」
「弾けないなどと、ウソを言うから」
「彼は、命を落としました」
「そ、そんな……」
鋭く刺すような声で、青ざめる瀧へと語り掛ける。
「冗談などではありません」
「初めから言う通りにさえしていれば」
「このようなことにはなりませんでした」
あまりにも動揺し、気が動転しそうになる瀧へ、間髪入れずに追い詰めていく。
「もう一度、尋ねます」
そして、一度呼吸を整えては。
「どうぞ、我が目の前で、その実力をお見せいただけますか?」
先ほど引いた椅子の背もたれに両手を置き、再び瀧を誘導しようとする。
「お、俺は……」
そのあまりの理不尽さ。
だが、強烈に植え付けられた罪悪感に耐えられるわけがなく。ツァーカムが見せる言動、その狂気さに言葉が出てこない瀧は、両足を震わせ、瞳孔開いたままに、ツァーカムを見つめるしか出来なかった。
「(い、嫌だ……)」
瀧の頭に侵食してくる。
「(もう、俺はあの曲を……)」
過去の記憶と。
「(もう……。弾きたくはないんだ……)」
受けた、哀しみ。
今すぐにでも、この場所から逃げたいと。
無意識に、震える脚が一歩後ろへと下がる。
だが。
「「あぁ、一つだけ」」
その挙動を見逃さないと。
「あなただけを逃がすつもりもありません」
ツァーカムが、瀧を容赦なく叩きのめす。
「何をしなくとも、あなたも手に掛けます」
無慈悲な言葉たち。
「皆で死ぬか、皆で助かるか」
もう、彼に選択肢などは。
「「さぁ、どうしましょう」」
あるわけなど、なかった。
「…………」
「「さぁ、どうぞ」」
舞台上へと登る瀧。
ツァーカムに導かれ、用意されたその椅子へと、ゆっくりと座ろうとする。
「ご安心ください」
「不意に貴方を殺すことなどありません」
「さぁ、落ち着いて」
椅子に座った瞬間、背後から襲われはしないかと怯え警戒する瀧だったが、その心情を感じたツァーカムは笑顔で接し、徐々にグランドピアノから離れていく。
けれどもその重圧。これまでも、少しでも気を抜けさえすれば敵から発せられる異様な雰囲気に飲まれそうになっていたが、いざ傍まで近づけば尚のこと。
ツァーカムの禍々しいオーラが、瀧の両肩へと圧し掛かる。
「……一つ、いいか」
あまりにも耐えきれず、少しでも緊張から逃れようと口を開いた瀧。
「えぇ、なんでしょう?」
「この曲は、俺一人では成立しない曲だ……。他の楽器は誰が弾く……」
「あぁ、なるほどなるほど」
「ご心配なく」
そんな瀧との会話を楽しむツァーカムは、声を弾ませ愉快に踊る。
「我は記憶を覗けます」
「あなたの記憶を読み取りまして」
「必要な物を取り揃えましょう」
そして、またしても手に持つ指揮棒を一振りすれば。
「”
客席側で座らせていた人形たちから数十体を、舞台上へと呼びつける。
さらに。
「”
続けてもう一振り、加えたならば。
「キャハッ!」
「キャハハハッ!」
人形たちの手に。
「まさか……」
次々と。
「そんなことまで……」
様々な楽器が現れて。
瞬く間に瀧の目の前に広がるは、人形たちによるオーケストラの演奏隊。
「なんでもありなのか……」
ツァーカムの持つ力に、瀧はただただ圧倒される。
「さぁ、舞台は整いました」
「どうか、御聴かせくださいませ」
「貴方が奏でるその音を」
瀧の記憶を頼りに人形たちを配置させたツァーカムは、舞台から降り、客席のほうへと足を運ぶ。
「(……やるしか、ないのか)」
椅子に座り、閉じられた蓋へと視線を落とす瀧。
その蓋へと震える手を伸ばし、取っ手の窪みを掴んでは、慎重に開けていく。
開けられた蓋の先に現れる、八十八の鍵盤たち。
「(もう、第二楽章が……終わる)」
建物の外から聴こえてきていた、覚えの曲。
これまで絶えず流れ続けていたが、それも、いよいよ次章へと向かっていた。
一瞬だけ鍵盤から視線を外し、客席側を見れば。
そこには、自分達の命運を託された瀧へ、懇願の眼差しを送るエルフ国兵達が。
「さぁ、始まりますよ」
「楽しみです」
逃げ場なんてどこにもない。
助けを呼ぶこともできない。
人形たちが、楽器を構える。
「(…………どうか)」
こんな形で、訪れてしまった再演。
「……どうか、頼む」
己と、エルフ国兵たち。
そして。
「あの方は、一体……」
「タキ……さ、ん」
メルクーリオとレフィ。
それぞれの命運と、未来。
その、全てを両手へと乗せ。
第二楽章から、第三楽章へ。
瀧の、孤独な戦いが。
今、始まる。