目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
11.誰か、嘘だと言ってくれ

瀧視点







 意味が、分からなかった。








 こんな、作り話のような世界で。


 次から次へとおかしなことが起こり続けるような、こんなでたらめな場所で。




 なぜ。




 なぜ、この曲が。




 こんな場所で。地球じゃない、別の世界で流れている。




 ずっと同じ場所に居続けたから、とうとう自分の精神が狂ってしまったか。幻聴が起き始めたのかとさえ思った。




 …………いや




 幻聴であったほうが、よっぽどよかった。




 何度耳を掻いても、触っても、ねじっても、穴を塞いでも。


 何度頭を叩いても、激しく揺すっても、殴っても、壁に打ち付けても、何をしても……聴こえてくる。




 思い出しただけで嫌というほど。


 胸が、神経が、記憶が締め付けられる。




 この弦楽器の入り方。始まり……あぁ、そうだよ。




 このオーボエへと繋がる静かな旋律。


 忘れるわけがない。




 本当に、聞き間違えであってくれと。心からそう願った。




 …………だが




 この俺が。




 誰よりも、どの曲よりも練習してきた。




 この曲を。




 聞き間違えるわけがなかった。








 ――ラフマニノフ、ピアノ協奏曲第三番、第二楽章










「姉さん、いよいよ明日だよ」




「-そうね。具合は大丈夫? 無理とか、緊張とかしてない?―」




「大丈夫だよ姉さん、心配しないで。いつも通り、姉さんにまで届くよう祈りながら演奏するから」




「-それならよかった。…………ねぇ、瀧。あのね-」




「優勝して、イタリアでの契約を決めて。そしたらっ! 姉さんをこっちへ招待して!」




「-……うん、そうね。お姉ちゃん、とっても楽しみ-」




「ここまで長い時間が掛かったけど……これで、姉さんの夢が!」




「-…………ありがとう、瀧-」




「……姉さん?」




「-ううんっ、なんでもないの。瀧、明日は頑張ってね。お姉ちゃん、楽しみに待ってるね-」




「あぁ! ありがとう、姉さん。それじゃ、そろそろ寝る時間だから。また、明日」




「-…………えぇ。また、明日-」










 ヴェネチア国際ピアノコンペティション。




 それは、俺にとってイタリアでのプロ契約がかかった国際大会だった。




 世界的にも規模が大きかったその大会には、世界中、各国内から続いた多くの予選を勝ち抜き、その中でも、努力、環境、才能を全て備え、厳選された逸材たちが集っていた。




 当時、その中に俺。右京瀧も、日本人の歴代最年少として、決勝の舞台まできていた。




 大会での予選演奏曲は、初めに演奏者へ公表されたいくつかの課題曲の中から二曲を選び、事前に運営側へ申告。名だたる審査員たちの前と、大勢の観客の前でたった一人。演奏し、その本番の出来のみで評価が下されていったのだが。




 決勝だけは、課題曲の形式が異なっていた。




 協奏曲。




 それは、現地で用意されたプロのオーケストラ達との共演。




 ソロとは違い、本番でしか合わせることのない指揮者の指示から瞬時に意図を汲み、周りの演奏者たちの音色と自分の演奏を調和させ、難題な曲を成立させていく。




 熾烈な予選から始まり、最後まで聳え立つこの高いハードルを越えた先。


 優勝者に与えられる誉は、現地、イタリアでのプロ契約。




 それは、ピアニストを目指す者にとっては死んでも喉から手が出るほど、輝かしいキャリア。




 なんとしてでもこの大会で優勝を。




 俺が最後に選んだ曲、それが、この協奏曲。




 だった。








「なんで……こんなところで」




 一体だれがこんな真似を。




「ふざけるな……どこから流れて」




 出口のことなど、聴こえた瞬間すぐに頭の中から消えてしまったほど。




「どこだ……どこからだっ!!」


「ちょっ!? なんだお前っ!」




 音の出所を探そうと。


 我を忘れ、走り。よそに逃げ込むエルフの奴らなども突き飛ばしたことも、そんなもの、感覚には残ってない。




「はぁ……はぁ……もう、聴きたくもないんだ……」




 それだけに、この曲だけは。




「おいっ! 扉があったぞっ!!」


「っ!」




 兵隊の叫び声が聞こえてくる。




「なんだとっ!? もしや出口かっ!」




「で、ぐち……?」




 そんなの、この辺りにも無かったはず。




「あった、のか……?」




 その声に、俺もつられてしまう。




 他の奴らが、次々に声の下へと集まっていく。




「っ! な、なんだ、これは……」




 だが、少し様子が変だった。




「こ、こんなの……今まで見たこともない…………」




 灯りが少ない中で。


 群がるこいつらは何を見上げている。




 ようやく見つけた出口じゃないのか?


 なんで、誰も開けようと。その先へ進もうとしない。




 そう不思議に。流れくる曲のせいもあって、苛立ちさえ覚えてしまう。




 その時だった。




「……音が」




 そいつらが集まる所へ近づくたび。




 音が、段々大きくなっていた。




 …………まさか




「そこが出所、なのか……?」




 無意識に、身体が吸い寄せられる。




 拒絶するほど嫌なのに、まだ何かを求めているかのように。




「…………なぁ」




 兵隊らが集まるところまで、もう。あと少し。




「なぁ、誰だよ」




 そこにいるのは。




「誰だ、こんな曲を……なんで」




 頼むからもう……やめてくれ。




「誰がこの曲を流しているんだっ!!」




 目の前で立ち尽くす奴らのことなど気にもせず。




 そして。




「……おい」




 ようやくたどり着いた先。




 そこには。








「…………なんだよ、これ」




 目を疑うなんてレベルじゃなかった。




 信じられないとか、眉唾なんて言葉。もはやそんなものでは軽々しいほど。




「はは……ハハハハハハッ」




 あぁ、やっぱり。




「ハハハハハハハハッ!」




 きっと俺は。




「ハハハ、ハ…………なぁ」




 おかしくなったんだ。




「異世界なんだろ……? ここは…………なぁ!?」




 思わず俺は叫んだ。




「なぁ! そうなんだろっ!?」


「お、おいっ! 急になん」


「ここは地球なんかじゃないんだろっ!?」




 すぐ傍にいたエルフの兵士の肩を掴んで、強く揺さぶって。そいつに向かって何度も声を張り上げた。




 なぁ、誰か…………否定してくれよ。




 俺に、嘘だって、言ってくれよ……




「なんで、ここにあるんだよ……」




 そうだ、ようやくたどり着いた先。




 そこにあったのは。




「ローデ・エ・ベネディツィオーニ・ア・コローレ・ケ・ヴィジターノ……」




 あの国際大会が開かれた……会場の、入り口扉だった。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?