「おさまった、のか……?」
突然襲ってきた激しい揺れ。
「……一体、なにが」
魔族の急襲に遭う生命の樹内部、形成の間にて。
ジッと身を伏せ、そこで揺れが収まるのを待っていたのは右京瀧。
轟音を上げながら空間全体が軋みを上げていた時とは一転、ようやくにして静けさが帰ってきたかに思えたが。
「なんだ……ここ、は……」
顔を上げた彼の目の前に広がっていた光景は、先程までとは全く違ったものとなっていた。
地面に広がる水路に清く流れていた水に透き通る碧の色味はなく、赤黒くドロドロとした液体に染まっては流れを止め、空間全体を埋め尽くしていたほどの、虹色に煌めく水泡などは何一つ、そこから生まれてくることはなかった。
純白の大理石には、カビが生えたように太く黒い線がびっちりと夥しく這うように描かれ、それは四方の壁面をも覆い隠し、更には青緑色をしたヘドロまでが至る所にこびりついていた。
そこにかつての幻想的な景色はどこにもなく。
あるのはまるで、薄暗い水底のよう。
「別の場所にでも移動したのか?」
任務の為と、形成の間にて巡回中だった瀧だが、突然と変わり果てた空間に酷く困惑し、周囲を見渡す。
「あいつらも、いなくなっている……」
瀧が探すはこれまで自身を監視し続けていたエルフ国兵達のこと。
揺れが襲ってくる直前、他の隊員達と同様に複数のエルフ国兵の監視下におかれていたが、そこに彼らの姿も一切見当たらず、誰一人としていない空間に取り残されてしまっていた。
「流石にこの状況は……一度本部に連絡を」
出口らしき目印も見つからず、良くはないことが起きていると察知した瀧は、異変を知らせようと基地への通信を試みるが。
「…………繋がらない? おいっ、聴こえるか? 右京だ。聴こえるなら返事を」
目の前に浮かぶ青いパネルに向かい何度も応答を呼びかけるも返ってくる様子はなく。彩楓と同様に、瀧がいる場所でも通信は遮断され、砂嵐の音のみが、彼の耳へと煩わしく入ってくる。
「くそ……どうなっているんだ」
澄ました表情に滲む焦りの色。
「……とりあえず、出口だ」
灯りがない中恐る恐る壁がある方向へ足を進めては、冷たい壁面に手を当て、伝い、闇が広がる空間の先へ。ゆっくりと、歩いていく。
* * *
「な……なんなのだ…………こんな、有様とは……」
怒りの形相で生命の樹の中へと駆けこんだリフィータ王女が、入ってすぐに広がる異様な光景に唇を震わせ、言葉を失う。
「あぁ……あれほど美しかった景色が……なんたる……!」
空間を覆っていた新緑達はみな全て枯れ果てては朽ち、中央に聳え立っていたはずの、天まで届く螺旋階段はどこにも見当たらず。
すると。
「っ! この漂うものは……まさかっ!」
次にリフィータ王女が目にしたもの。それは、薄く赤褐色に光る空間の中、地面を這うようにゆっくりと舞い上がる黒い霧。
そう、この世界に生きる全ての生物にとって害悪となる存在。
瘴気だった。
「まずいっ! あれを吸ってしまっては……!」
すぐに着物の裾で口と鼻を覆い隠すリフィータ王女。
「なぜこんなところにっ……! ……癒技、”
そして、両の手を前に構え術を発動させると、リフィータ王女の掌から淡い水色の光が放たれ、迫ってきていた瘴気を奥へと押し返していく。
「はぁ……はぁ。くそっ、誰かっ! 誰かおらんのかっ!?」
表情は険しく。額に汗は滲み、息を切らしては辺りに兵はいないかと大声を上げる王女。
「マルカッ! マルカはおらんのかっ!?」
連絡が取れない臣下の居場所など、分かるはずもなく。
行く先には何が待ち受けているのか。ひたすらに、奥へ奥へと走り去っていく。
* * *
「メル様っ! ご無事ですか!?」
揺れが収まり暫く経つ頃。
暗闇の中、主人の安否を心配するレフィの声が、小さく反響する。
「う……うぅ……」
その声に反応したメルクーリオが、うめき声を上げながらゆっくりと身体を起こし、心配するレフィの顔を見ては、そのまま辺りを見渡す。
「こ、ここは……」
「分かりません。私も起きたら全く見知らぬ場所に……」
異質に淀んだ生命の樹の内部。
彼女らもまた同じくして、任務の最中、激しい揺れに襲われたことで身を隠していたが、収まった後、目の前に広がる一変した空間に対して強い警戒心を持たされる。
「他の……方々、は……」
「いえ、それが全く見当たらず。もしかしたら、先ほどの揺れで皆バラバラになったのかと……」
メルクーリオが気にしたのは、直前まで自分達と共にしていたエルフ国兵達。
彼女らの下にもエルフ国兵の姿は誰一人としておらず、変わり果ててしまった空間とともに、どこかへ消え去ってしまっていたのだった。
「今はとにかく出口を探しましょう。この景色、とても嫌な予感が……さぁ、メル様。立ち上がって」
「えっ……あ、う……うん」
辺りを警戒しつつ、メルクーリオに手を差し伸ばすレフィ。
はぐれてしまったエルフ国兵達のことが気になりつつも、メルクーリオはその手を掴み、立ち上がる。
「急ぎましょう」
そして、出口を目指そうと小走りに、その場から離れていく。
* * *
「くそっ……! なぜ出口がないっ!」
出口を探そうと、はや一時間。
走り、時には止まって歩いては、どこかに出口のような所はないかと、四方八方に渡り隈なく探すも、ここまでそれらしきものは一度たりとも見当たらず。
「はぁ……はぁ……。どうなっているんだ、この空間は……!」
行けども行けども続くのは、気味の悪い穢れた空間。
すると。
「……なんだ?」
突然襲った違和感。
映る視界。何かが変だと気が付いた瀧はその場に立ち止まり、違和感の正体を探す。
そして。
「……まさか」
突き止めた先は、外ではなく内。
次に瀧が視たのは自身が装着していたエレマ体。
瀧を襲った違和感の正体。
それは。
「これは……電子が削られている……?」
瀧が見つめる両の手。それは微かに輪郭がぼやけ、ノイズが走ったようにジリジリと、剥がれたりくっ付いたりを繰り返していたのだ。
「そんな、バカなっ……!」
途端に慌て始める瀧。
急いでエレマ体を操作し、浮かび上がる青いパネルからステータス画面へと移ると。
そこに明示されていたのは。
「耐久値が……下がっているっ!?」
ごく少量ずつだが確実に。電子の残量値を示す緑色の棒グラフが短くなってきていたのだ。
「馬鹿な……! 何が原因でっ!」
予想外の事態。
もう一度、己が着るエレマ体を確認する瀧だったが、決して見間違いなどではなく。全身を覆う青のエレマ体の全ての輪郭がぼやけ、削られては空気中に緑色の粒子として散らばってしまっていた。
「早く基地に戻らなければ……このままだとっ!」
瀧の脳裏に浮かぶは、電子不足によるエレマ体の消失。
そして。
その先に待っている、二度と地球へは戻れないという悍ましい恐怖が、彼を襲う。
「出口はっ!? 出口はどこだっ!!」
再び急いで出口を探そうとあちこちを走り回る瀧。だが、右を走っても、左を走っても、上を向いても下を向いても自身が望むものはどこにもなく。
「はぁ……はぁ……!」
焦りによる視野の狭まり。
呼吸の乱れによる思考の鈍化。
一歩、また一歩と踏み出す度に、両足に纏わりつくヘドロ。
そして、行く先を邪魔するかのように、迷路状に入り組んだ通路。
さもまるで、その空間が意思を持ち、徐々に瀧を精神的に追い詰めようとしているかのよう。
「はぁ……はぁ……! くそっ!」
それでも出口を探そうと、最悪の事態から免れようと走り続ける瀧だったが。
「っ! ……なんだ?」
突然、その時だった。
足を止めた瀧が見つめる先。
「何か……いるのか?」
それは、直線から数メートル離れたところにある曲がり角。
その先から瀧が感じたのは、何者かの気配だった。
「…………」
壁伝いに、恐る恐る近づく瀧。
「…………。っ!」
そして、意を決し曲がり角の向こう側を振り向くと。
「っ!? お前は……」
そこにいたのは。