オーキュノスの術によって生命の樹が紫色の液体に覆われていく中。
「そんなっ……生命の樹が…………」
王宮から近くの街中にて、空宙と共に変わりゆく生命の樹の様子を見て言葉を失うオーロ。
「あれは……魔族、なのか?」
同じく傍で見ていた空宙も、生命の樹の頂上に薄っすらと点で映るオーキュノスの姿に目を凝らす。
「お、オーロねぇちゃん! 早く止めなきゃっ!」
「え、ええっ! 今すぐ止めに」
すぐにオーロはオーキュノスがいる生命の樹の頂上へと向かおうとするが。
「待て、二人とも」
「「っ!」」
そこに、ティガリスが慌てる二人を制止する。
「ティガリス! どうしてっ!」
「レグノ王国での魔族との戦いを忘れたか。この少年の力が無ければ勝てなかった勝負、また此度もその時ほどの脅威、もしくはそれ以上の敵かもしれないぞ」
急に止めが入られたことに憤慨するオーロだったが、迫る主人の態度に揺るぐことなくティガリスは淡々とオーロを説こうとする。
「だ、だけどっ!」
「他の召喚獣たちもまだこの周辺に散らばっているのだ。一度戦力を整えなければ、そのまま敵の懐に向かうのは悪手だぞ」
「っ! で、でも……」
言い争うオーロとティガリス。しかし、こうしている間にも、生命の樹は不気味な液体によって覆われていき。
「まずは合流だ、嬢ちゃん。主人を危険な目に遭わせるほど、我も馬鹿ではない」
すると、ここまで毅然と振る舞っていたティガリスが、主人に自分の意見を聞き入れてもらうよう、その場に伏せ、首を垂れる。
「…………」
その様子を黙ってみるオーロ。
そして。
「……分かった」
「っ! オーロねぇちゃんっ!」
「ごめんなさい、ラレーシェちゃん。あなたは分からないかもしれないけど、魔族が持つ力は私一人ではどうにもならないほど強大なものなの」
「そんな……」
現状を受け入れたオーロはティガリスの言葉に従うことにし、己の裾を握り締めては抗議するラレーシェに、申し訳なさそうに説得する。
「分かってくれたか」
「えぇ。ごめんなさい、ティガリス。まずはみんなと合流を」
「だけどおばあ様はっ!? もしあの中におばあ様がいたらっ!!」
「……今すぐには行けない。だから」
だが、幼いラレーシェにはオーロ達ほどの冷静さは兼ね備えてはおらず。少女はオーロの言葉を聞き入れるはずもなく、ひたすらにオーロに向かって訴えかける。
「ごめんなさい、ラレーシェちゃん……今だけは」
ここにきて再び己の力不足を悔やむことになるオーロは、下唇を噛み、苦しい表情を浮かべながらその場で困り果てていると。
「……俺が行きます」
「……えっ?」
先ほどから静かにオーロとラレーシェ、そしてティガリスのやり取りを聞いていた空宙が、重く、口を開き始めたのだ。
「そんな、空宙さんだけでは」
「恐らく生命の樹の中に他のエレマ隊員達もいるはずです。先に俺が中へ行って彼らと上手く合流します。それに、今はこの姿ですが、もしかしたら何かがきっかけでまたあの時みたいに、魔族を倒した時の姿に戻るかもしれませんし」
「それじゃただの賭けでしか」
「いまの状況を考えればこれがいいのではと。よくは分からないんですが……オーロさんはこの子と一緒にいてやってください。そのほうが、良い気がしますので」
心配するオーロに対し、空宙は目を真っ赤に腫らすラレーシェのことを見ながら、淡々と話していく。
「正直、不安はあります。でも、これ以上事態が悪化する前に。あの時よりは魔法も使えるようになってますし、こういう事態になった時の用意してきたつもりです」
「ソラ、さん……」
こうも空宙を突き動かすのは、過去の後悔か。それとも。
「お兄ちゃん……おばあ様のところへ、行って……くれるの?」
「あぁ、任せて。君のおばあ様は必ず見つけてくるから」
オーロから空宙へと、ゆっくりと振り向くラレーシェに、空宙が優しく微笑み返すと、その小さな頭をそっと撫でる。
「オーロさん、そちらも合流が完了したら、また生命の樹のどこかで合流しましょう」
「……分かりました。ですが」
空宙の提案に乗ったオーロは、一度その場でうなずくも、すぐに空宙の顔を真っ直ぐに見つめ直すと。
「無茶はしないでくださいね」
そう言い、ティガリスの背にラレーシェを乗せ始め、他の者達との合流へと向かおうとする。
「……はい。では、行ってきます」
そして、空宙もオーロとラレーシェの出発を待たずして、短く返事をするとすぐに生命の樹へと向かって走り去っていった。
生命の樹、入口前にて。
「はぁ……はぁ……。な、なんじゃ、これは……!」
破壊された天の加護の装置を目撃し、魔族にマナの実を奪われてはならないと、王宮から急いで生命の樹へと向かっていたリフィータ王女。
森を駆け抜け、ようやくその入口に辿り着いたがしかし、最初に目にした光景は、全体を濃い紫色の液体に覆われた生命の樹の淀んだ姿だった。
「誰が……誰がこんなことをっ!」
変わり果てた生命の樹に憤るリフィータ王女。近くに術者がいないかと、すぐに辺りを見渡すも、それらしき人物は確認できず。
「くそっ! 魔族の奴らめ!! ……マルカ、マルカ! 聴こえるか!?」
すると、次には懐から通信用の魔道具を取り出しては己が右腕に連絡を試みるも。
「…………何故じゃっ!! 何故応答せぬっ!!」
彩楓が井後に応答を呼びかけた時と同じく。受話器から聴こえてくる音は砂嵐の音のみ。そこから聴き慣れたマルカの声は一切帰って来ることはなかった。
「許せん……許せんぞっ…………」
そうして、辺りに紫色の煙が立ち込める中、怒りで全身を震わせながらリフィータ王女は生命の樹の内部へと駆けこんでいくのだった。
* * *
「何が起きている……」
街の中心地にて。
「あれも転生の何かなのか……?」
オーキュノスの術が発動してから少し経ち、みるみるうちに姿を変えて行く生命の樹を遠くから目を細ばせながら見つめるローミッド。
「……隊長っ! ダメです! 何度やっても王室に繋がりませんっ!」
そこに、ペーラが通信用魔道具を握り締めながら駆け寄ってくる。
オーキュノスが術をかけ、すぐに異変に気付いたローミッドは、その様子を観察しながら、いち早くユスティへと知らせる為、ペーラに連絡を取るよう指示を出していたが、こちらも同じくして原因不明の通信妨害に遭っていた。
「嫌な予感がする……」
突然の魔物の襲来、生命の樹の変化に通信遮断。
「まさか……魔族の奴ら、生命の樹の内部に……」
これまでの出来事に大きな不安が湧き上がるローミッド。
すると。
「……この辺りももうほとんど魔物の姿は見えないか」
ふと、素早く辺りを見渡し状況確認を取り。
そして。
「(これなら、ペーラ一人に任せても問題はない、か……)ペーラッ!」
「っ! はいっ!」
後ろを振り返ったローミッドは、大声でペーラを呼ぶと。
「ペーラ、頼みがある」
傍に寄ってきたペーラに、一つ頼み事をする。
「ペーラ、お前にここを任せてもいいか?」
「っ! そ、それって……どういう」
突然のことに戸惑うペーラ。
「もしかしたら今、生命の樹の内部に魔族が侵入しているかもしれない」
「ま、まさかっ! それなら急いで」
ローミッドの言葉に目を丸くするペーラ。自らも一緒に向かうと志願しようとするも。
「だから」
だが、その願いを口に出すよりも先。
「先に俺だけで内部へと潜入してくる」
「っ!!」
ローミッドが単独での行動を提案してきたのだ。
「な、なぜおひとりでっ!」
突然、別行動を切り出されたことに異議を唱えるペーラ。
「隊長だけでなく、私も一緒にっ!」
自分も共に連れて行ってくれと、血相を変えローミッドにせがむも。
「……すまない、これは隊長命令だ」
ローミッドの意思が変わる事はなく、淡々と断りを告げる。
「し、しかし……!」
「まぁ待て。ちゃんと話があるから、聴いてはくれないか」
それでも諦めようとしないペーラに、ローミッドは彼女の肩に手を置き、自身の考えを話し始める。
「前に王国での戦闘を思い出してほしい。あの時、俺達は魔族一人に為す術なくやられてしまった。もし、生命の樹の異変の仕業が魔族の奴らならば、この先で間違いなく命懸けの闘いが待っているはず。その時「だからこそっ!」だから待て。その時、一人でも多くの味方が集えるよう、お前には、この周辺でまだ闘えそうな人員を集めてきてほしいんだ」
「で、ですが……」
話に割り込むペーラの目をじっと見つめ、理解して貰えるようゆっくりと話すローミッド。だが、己を見つめ返す彼女の目からは不安と焦燥が色濃く表れ。
「こうしている間にも、もしかしたらアリー殿らが既に魔族と接敵しているかもしれない。いち早く助けに行かなければ、最悪、取り返しのつかないことになる」
「それは、そうですが……」
どんなに言葉を投げかけても、それは決して消えるような様子はなく。
「俺が先に向かった後、もし中で何かがあった時……その時は」
「それなら尚更っ!」
「勘違いするな。誰も初めから死ぬなんてことは考えていない。ただ、相手が相手だ。もし中の状況が悪くなった時、その時はペーラ。お前が援軍を引き連れて助けてやって欲しい」
引き続き、狼狽する彼女に低く落ち着いた声で語りかけるローミッド。
「お前の力を信じてのことだ。出来ないか?」
「…………承知いたしました」
その気概に押されたペーラは、ようやくにして己の隊長の言葉を受け入れる。
「では」
そして、剣を鞘に納めたローミッドは。
「頼んだぞっ!」
「は、はいっ!」
号令をかけると同時、生命の樹の方角へと街の中を一目散に駆け抜けていく。
「……隊長」
その後ろ姿をじっと見つめるペーラ。彼女の胸の内に渦巻く奇妙な騒めきは決して消えることはなかった。
魔族の襲来に対応するレグノ王国とエレマ部隊、そしてフィヨーツの三者。
それぞれが、現状況における最善を模索しながら次への行動を選択する。
果たしてそれは、吉と成り得るか。
それとも。