一方、フィヨーツ内宮殿、地下牢にて。
「……? なんだろう?」
昨晩から続き、牢屋に囚われていた空宙。
この日も朝から数々の尋問や様々な人体検査を受け、自身の身体の中に蠢く赤黒の帯について調べ上げられては、その後も再び牢の中へと放り込まれ、何も出来ずひたすらに助けがやってくるのを待ち続けていた、が。
「上が、騒がしい……?」
これまでずっと、天井から滴り落ちる水滴の音しか聴こえてこなかった地下牢に、不意に響く、別の微かな物音。
「……なんだ?」
音の出所は地下牢と地上を唯一繋ぐ階段の先から。それは、時間とともに少しずつ大きくなると、何かが石畳にぶつかる音と、鋭く鳴り響く金属音とが混じった音が、次第にハッキリと、空宙の耳へと伝搬する。
すると。
「うわぁぁぁ!!」
「っ!?」
階段の先をじっと見つめていた空宙の視界に突然入ってきたのは、一人のエルフ国兵。
階段上部から勢いよく転がり落ちると、背中に強い衝撃を受けては握っていた剣を手放し、全身に走る痛みに悶えうめき声をあげる。
「だ、大丈夫ですか!?」
思わずエルフ国兵の身が心配になった空宙が声を掛けるも次の瞬間。
「ゲ、ゲヘヘヘ……ヘェ」
続けて階段の先から姿を現したのは。
「っ!! エセクッ!?」
ヒト型をした、全身どす黒の化け物。
「(なんでっ!? どうしてこんな所にこいつがっ!?)」
突然エセクが現れたことに驚く空宙だったが、エセクは檻の中に囚われる空宙には気付かず、薄気味悪い笑みを浮かべながら、両腕を鋭利な形状に変えては地面に倒れ込むエルフ国兵を狙い、左右に揺れながらゆっくりと近づこうとする。
「国兵さんっ!! 今すぐそこから逃げて!!」
激しい転倒によって打ちどころが悪かったこともあり、未だ回避の態勢を取れてないエルフ国兵に対し牢屋の中から大声を上げる空宙。
本人は今すぐにでも魔法を放ち応戦しようと考えたが、ここに収監された時から今この瞬間までずっと、檻の内側には魔法の使用を制限する術が掛けられていたため助けようにも為す術がない状態だった。
「(何かっ……! 何か出来ないのか!?)」
空宙はエルフ国兵に逃げる隙を与えようと、エセクに対し少しでも足止め出来るものはないかと慌てて牢屋内を見渡すが、もう既にエセクの両腕はエルフ国兵の目前にまで迫り、首元を狙い定めていた。
「ィヤッハァァァァ!!」
そして、ついにエセクがエルフ国兵の命を奪おうと、奇声を吠えながら自身の腕を大きく振り上げた。
その時だった。
「いい加減にせんかぁ!!」
再び何者かの声が階段上部から轟くと、同時に二つの人影が転げ落ちてくる。
「「!?」」
あまりの怒号と騒ぎに思わず驚いた空宙とエセクが階段のほうを向くと。
「ぜぇ……ぜぇ…………。お、お前……いい加減に離れんか……!」
そこにいたのは、白基調に緑のラインが入った給仕服を着たザフィロと。
「い、嫌です~! あ、あちこちに化け物が、って……きゃぁぁぁあ!!!」
リフィータ王女に不敬を働いたとして罰を与えられていたザフィロに、付きっきりで宮殿内の掃除を叩きこんでいた宮殿の召使い長の二人。
「こ、ここここここにも化け物ぉ〜〜〜〜っ!」
「ええいっ! だから暴れるなとっ!」
魔物の襲来とともに宮殿内に現れたエセクに怯え、小柄なザフィロにしがみ付く召使い長に対し、ザフィロは疲れきった表情を浮かべては、己の身体に重くのしかかる召使い長を心底鬱陶しく思い、揉みくちゃになりながらも何度も引き剥がそうとする。
「ざ、ザフィロさん!? どうしてここに」
「ナンダオマエッ、ナンダナンダッ」
予想外の事態に、一瞬だけエルフ国兵から目を離すエセク。すると。
「……ガハッ! ハァ……! この野郎っ、くらえっ!!」
ようやく呼吸が整い、俊敏に立ち上がっては地面に転がった剣を掴んだエルフ国兵が、その隙を逃さんとエセクの首を狙って横一線に剣を振るう。
「グギャッ!?」
一瞬にして後方から首をはねられたエセクが短く悲鳴を上げる。
だが。
「ヨクモッ! ヨクモオレノクビヲッ!」
その命までは絶たれることはなく。
「なっ! 何故死なないっ!?」
確実に仕留めたと思いきや、目の前で暴れ回るクビを見て驚き、動揺するエルフ国兵。
「ユルサナイッ! ユルサナイィィィッ!!」
切り落とされたエセクのクビは地面に転がりながらも濁声を叫び散らし、ザフィロ達のほうを睨んでは、クビが無くなった胴の部分だけを動かし再び襲いかかる。
刹那。
「魔技。”
「グギッ!?」
召使い長に手間を取られていたザフィロが、標的を変え襲い掛かってきたエセクに向かって手をかざすと、エセクの身体と切り離されたクビを同時に分厚い氷が覆い。
「…………」
そして、動きを封じ込められたエセクは、その中で一言も発することなく、白目を剥いては完全に行動不能となる。
「や、やった……のか?」
一瞬の出来事に混乱するも、目の前で出来上がった氷像を見つめながら、構えていた剣をピクリとも動かないエセクに向けて近づけるエルフ国兵。
「案ずるな。こやつはこのまま氷が持つ高密度のマナによっていずれ溶けゆく」
「ひゃ、ひゃぁぁぁぁ……」
再び動き出すのではないかと心配するエルフ国兵に対しザフィロは自身が掛けた技について説明すると、今度はそれを聴いた召使い長が安堵で腰を抜かし、だらしない声を上げながら地面にへばりつく。
「ざ、ザフィロさん……」
流石の技量に、思わず感嘆の声を漏らす空宙。
「……ん? 誰かと思えばソラじゃないか。お主、こんなところに囚われていたのか」
すると、その声に反応したザフィロが横目に牢屋の中を確認し、ようやく空宙の存在に気付く。
そして。
「……おい、ソラ。少し離れていろ」
「えっ?」
「
「おわぁぁぁぁ!?」
合図を送るとすぐ、ザフィロは空宙を閉じ込める檻に向かって魔法を唱えると、耳を劈くような爆発音と伴に強い衝撃が檻を襲い、瞬く間に木っ端みじんに鉄の格子を破壊したのだ。
「ゲホッ、ゲホッ……! ザフィロさん急に何をっ!」
「そんなことより、いま宮殿内はどこもエセクだらけだ。皆が混乱しているこの機に乗じてここから逃げ出すぞ」
「え、ちょ、ちょっと! ザフィロさんっ!?」
舞い上がる土煙の中から姿を現した空宙の身が無事だったことを確認したザフィロは、身に纏っていた給仕服をその場に脱ぎ捨てると、馴染みの魔導服になっては地上へと繋がる階段を上り始める。
「ま、待ってくださいザフィロさんっ! えっと、その……」
急いでザフィロの下を追いかけようと、壊れた鉄格子を跨いで檻から出る空宙だったが。
「はわ……はわわわ…………」
先程から腰を抜かし地面に這いつくばる給仕長のことが心配になり、思わず足を留める。
「おいっ! お前勝手に脱走するなど!」
そこに、ザフィロの魔法に呆気に取られていたエルフ国兵が空宙を掴まえようとするも。
「ごめんなさいっ! あの、この方のこと、宜しくお願いします!」
「えっ、ちょっ、お前っ! こら、待てっ!!」
今はこのエルフ国兵に頼むしかないと。空宙は急いで給仕長を抱きかかえると、半ば投げ出すようにエルフ国兵に預けては、急いで階段を登り、ザフィロの跡を追いかけていく。