「はなし?」
突然と話を切り出してきたペーラに、何事かと思ったローミッドが後ろを振り返りながら訊き返す。
「…………」
しかし、尋ねられたペーラはすぐに答えることはなく、ただじっと黙って、ローミッドのことを見つめていた。
「……なんだ、どうかしたのか?」
明らかにどこか様子が変だと思ったローミッドは、怪訝な顔をしペーラに近付こうとしたその時。
「隊長……」
ようやくにして話を始めたペーラ。
「剣、折られたのですか?」
「っ!」
開口一番、ローミッドに尋ねたのは、腰に下げた予備の剣のことについて。
ローミッドの心臓が、一瞬。小さく跳ね上がる。
「なんのことだ」
咄嗟に平静を装ったローミッド。烈志と諍いがあったことがバレてしまわぬよう、顔色一つ変えず、その場を誤魔化そうとする。
「隊長」
だが。
「その剣、随分と真新しいものに見えますが」
ペーラからの追及は止まることなく。
「ん? あぁ、これか? この国に向かっている道中やることも無かったから、念入りに手入れをしてな。それで」
「その道中で、何者かと争ったというのにですか?」
「…………」
沈黙するローミッドに、ペーラの赤い瞳から獲物を射るような鋭い視線が送られる。
「隊長」
徐々に近づこうとするペーラ。
「わたし、ここへ向かう途中、ある森の中へと寄ったのですが」
「…………」
「その森の中にはとある湖畔がありまして。そこには何者かが争った形跡がありました」
「(……見られていたのか)」
「何か。わたしに隠していませんか?」
「(……まずいな)」
烈志と争ったこと。それは、レグノ王国とエレマ部隊の関係に軋轢が生じる恐れがあると捉えていたローミッド。彼は、この戦時中という状況下において、絶対に公にするべきではないと、これまでユスティにも、周りにも一切話をすることなく。あの晩に起きた出来事は無かったことにしようと、ずっと目を閉じ、黙ってきた。
「隠しごと? いや、なにもないが」
しかも、その発端となった要因がいま目の前にいるペーラについてのことである以上、この件について彼女には誰よりも気付かれたくなかった。
「魔物か何かが縄張り争いでもしていたんじゃないか?」
あくまでも白を切り続けるローミッド。
「ペーラ、今はそんな話をしている場合ではない。ほら、これ以上また怪しまれる前に哨戒任務を」
この話を無理やりにでも終わらしたいが為、ペーラに背を向けその場を離れようとするも。
「その湖畔の周りには、何者かによる斬撃によって地面が大きく抉られた跡がありました」
絶対に逃がしはしないと、ペーラは強引に話を続ける。
「だからなんだと」
「その斬撃」
「…………」
「隊長のですよね」
ペーラの表情にはほんの僅かの迷いもなく。
「なにをでたらめな」
「わたしが入隊して以来ずっと、何年も隊長の傍で見てきたその剣技から繰り出された斬撃の跡を見間違うはずがありません」
「…………」
「隊長」
「(……もう誤魔化せないのか)」
「誰と闘っていたのですか?」
「ペーラ、いい加減に」
「答えてくださいっ!」
ペーラの大声が、森の中を駆け巡り、反響する。
「おい、お前達。何を」
その時、声を聞きつけ様子が気になったエルフ国兵が、二人の下へと近づこうとするも。
「どうして何も言ってくれないのですか!」
今のペーラには、ローミッドの姿しか見えていなかった。
「ペーラ」
ローミッドの頭の中に駆け巡るのは、烈志と剣を交えたあの夜のこと。
「別に俺は何も」
あの時、烈志から言われた言葉が、ローミッドの思考に迷いを生じさせる。
「隊長」
「ペーラ、俺は」
「お怪我は、ないのですか?」
「っ!」
身を案じたペーラの声は、微かに震えていた。
「わたしは」
「(……よせ、ペーラ)」
ペーラは己が胸に抱えるものが、駄目なことだと分かっていた。
「ずっと、隊長のことが心配で」
分かっていた。分かってはいたのだが。
「わたしは、隊長のことが」
一度溢れてしまえば、もう抑えることなど出来ず。
「(よせ……よすんだ)」
「おいっ! お前達いい加減に」
「あなたのことがっ!」
「皆さんっ!!」
「「「っ!」」」
その時だった。
「皆さんっ! 大変ですっ!」
もめ合うローミッド、ペーラ、エルフ国兵の三者の下に、血相を変えて駆け寄ってきたのはオーロ。
「っ!? ラレーシェ様っ! なぜこのような所にっ!?」
その後ろからは、顔を青ざめてやってくるラレーシェの姿が。
「シェーメ部隊長、どうしてここに……。そんなに慌ててどうしたと」
突如、王女の孫娘が現れたことに動揺するエルフ国兵達。そんな兵士達を掻き分け近づいてくるオーロにローミッドとペーラも驚く。
「はぁ、はぁ……。皆さん、大変ですっ!」
息を切らしながら辺りを見渡すオーロ。
「天の加護がっ!」
その場にいる皆にいち早く異常を知らせようと大声で叫んだ。
次の瞬間。
「敵襲―っ! 敵襲ーっ!!」
* * *
「何事じゃ!」
突如、国中に鳴り響く警報音に、王宮内を歩いていたリフィータ王女が周りに向かって大声を上げる。
「-リフィータ様っ!-」
「っ! マルカか!」
するとその時、懐に備えていた通信用魔道具にマルカからの通信が入る。
「どうしたというのだっ! なにが」
「-リフィータ様っ! 大変です! 天の加護が解除されてます!-」
「なんじゃと!!」
リフィータ王女に激震が走る。
「-国境沿い周辺の森の中から大量の魔物がっ!-」
「どういうことじゃっ! なぜ天の加護がっ!」
「-原因は全くっ! 先ほど見張りの兵から通信が入り、突然天の加護が消えたとしか!-」
魔道具から聴こえてくるマルカの口調からは、明らかに動揺し慌てた様子が伺えた。
「妾は急ぎ水晶の下へと向かうっ! マルカ、お主は民の非難援護と生命の樹の警護態勢を整えるのだっ!!」
「-御意っ!-」
リフィータ王女はすぐに冷静になると、速やかにマルカへと指示を出し、水晶が置かれる王宮地下へと向かっていく。
* * *
「ふふっ。思ってより手間が掛かったけど、上手く解除できたわ」
突然に鳴り響く襲撃の知らせにエルフ国民が混乱に陥る中。
「天の加護。その防護結界術を構成しているのは四種のマナ」
王宮地下にて、五芒星で描かれる魔法陣の中央。台座の上に置かれる水晶の前には、一人の女魔族の姿が。
「それぞれが相当の強固な結びつきで保たれているけど」
その者は、虹色の輝きを失った水晶を持ち上げ、手の上で転がし舐め回すように見つめる。
「時間をかけて、ゆっくりと。一か所に瘴気を当て続けると」
途端、その掴んでいた手を放しては。
「ほぉら、こんなふうに」
持っていた水晶を地面に落として。
「簡単に崩れちゃう」
ガシャンと、水晶は衝撃音を立て崩れ散る。
「なにも、高密度の照射が出来るのはマナだけじゃないのよ?」
辺り一面に破片を飛び散らせ無惨に形を失った水晶を見下ろし、女魔族が不敵な笑みを浮かべる。
「オーキュノス様」
その時、どこからともなく地下に現れた赤黒いフードを被った人物が女魔族を呼ぶ。
「ええ、待たせてごめんなさいね」
オーキュノスと呼ばれた女魔族は、自身の名を呼んだ者のほうへと振り向くと、妖艶な声色で返事をし、ヒールの乾いた音を響かせながら出口のほうへと向かう。
「さて、生命の樹へと行きましょう」
絶対的な防御の傘に守られながら、これまで魔族の手に阻まれることなく平穏な暮らしを送ってきた、エルフ国フィヨーツ。
「ふふっ、楽しみね」
だが、そんな日常は何の前触れもなく。
「殺戮と、蹂躙の始まりよ」
突如として、終わりを告げた。