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38.侍女と主人


「う……うん……?」




「っ! メル様っ! お気づきになられましたか!?」




 瘴気による呪いの影響で倒れてしまったメルクーリオ。目を覚ました時、そこは生命の樹の中ではなく、フィヨーツに到着してから初めに向かう予定だった宿の部屋の中だった。




「こ、ここは……」




 寝台の上で目を覚ましてからすぐ、自身の左手に違和感を覚えたメルクーリオは、首を傾け目線を少し下へと動かすと。




「レ、フィ……」




 視線を向けた先。そこには、酷く心配した顔を向け、寝台へと身を乗り出しては自身の顔を覗き込み、左手を強く握りしめるレフィがいた。




「メル様っ……はぁ、よかった……」


「わた、し……また……」




 目を覚ましたメルクーリオの容態を見て一安心したレフィは、一つ大きく息を吐くと、両手で握っていた主人の左手を持ち上げ、目を閉じ、ゆっくりと自身の額に押し付ける。




「ごめん……なさい」


「全く、ですよ……。手持ちの薬が効いてくださって、ほんとうによかったです」


「……あり、がとう……ね」




 首に新しく巻かれた包帯を擦るメルクーリオ。レフィが投与した薬が効いたとはいえ声は元通りになるわけではなく、未だ口から出る言葉は途切れ途切れではあるものの、すぐに己が侍女に労いと感謝の言葉をかける。




「……レフィ、いまって」




「もう日が暮れた頃になります」




「みな……さん、は」




「他の皆様方は先に宿で休まれていたので、いまは任務の為にと生命の樹へと向かわれました。ただ……メル様をここへと運んだ際、皆様も心配されて、生命の樹へと向かわれる前にこの部屋を訪れてました」




「あとで……皆さん、に……謝らなく、ちゃ」




「……そうですね」




 メルクーリオは、みな馬車による長旅で疲れていた中、先に宿で休むようにとレフィから言われていたにも関わらず、勝手に生命の樹へと向かうなど自身の浅はかな行動に招いた事態によって迷惑を掛けてしまったと猛省する。








「「…………」」




 暫しの沈黙が二人の間を流れる中。




「……レフィ」




 次に口を開いたのはメルクーリオ。




「……? どうかされましたか?」




 何事かと、レフィがすぐに主人へ用件を尋ねると。




「お、怒って……る?」




「……え?」




 主人から返ってきた内容は自身の機嫌についてだった。




「い、いえ……特には」




 突然何を言い出すのかと、一瞬戸惑ったレフィだったが。




「ですが」




 己の主人が何を気にしているのかと、少し考えては。




「強いて申し上げるならば、メル様には昔からいつもこうして振り回されてばっかりですので、少し呆れているぐらいですね」


「そ、それは……ごめん、なさ……い」


「……ふふっ、すみません。メル様の困った顔が面白くて」




 いつもの仕返しにはなるかと、少しばかり悪戯を仕掛ける。だが。




「っ! ……もう、レフィったら」




 その言葉の裏には、主人が自分の言う事を聞かなかったことを気にし過ぎているのかと思い、その憂いを晴らしてあげようというレフィなりの気遣いがあった。


 まんまと引っ掛かってしまったメルクーリオも、レフィの笑う姿につられて思わず笑みを零す。




 それでも。




「で、でも……レフィ」


「……?」


「そうじゃ、なく……て」




 メルクーリオが気にしていたのは決してそこではなく。




「タキ……さんの、こと」


「っ!!」




 レフィが瀧に対して向けている感情について。




 メルクーリオは初めから気が付いていたのだ。


 平然を保つレフィの心の中。そのどこかではずっと、怒りの感情を抱えていたことを。




 レフィが優秀で献身的な侍女であること。


 そんな彼女が、どんな状況でも自分の為にと身を粉にして働き、その時に必要でない感情は全て抑え、我慢してしまうことを、メルクーリオは知っていたのだ。




 その予感は的中する。


 瀧の名を聞いたレフィの表情が、みるみるうちに険悪なものへと変わり。




「……メル様、もうあの者の話は聞きたく」


「レフィ……待って」




 思わず立ち上がりそっぽを向こうとするレフィに、咄嗟にメルクーリオがレフィの着るメイド服の裾を掴み、懇願の眼差しで見上げる。




「御止めくださいメル様。もうよいのです」


「違う……の、そうじゃ……ない」




 話をやめようとするレフィを懸命に引き止めるメルクーリオ。




「タキ、さん……は、レフィが……思っている、ような……酷い方じゃ……ない」


「そんなわけありません」




 レフィは抑えているつもりだった。


 今は主人が呪いによって倒れている状況。国から任されている任務もある中で一刻も早く主人の為に快復させてあげるのが優先だと。


 そこに自分自身の、この場には必要のない感情などは、心の奥底にでもしまうべきだと。




 いつも通りのことではないかと、そう思っていたレフィ。


 だが、主人に指摘されるほど、その膨れ上がる怒りは隠せてなどなく。




「あの者は……あの男はメル様に心無い言葉を浴びせました」




 レフィは悔しかった。




 ――どうしてそんな馬鹿みたいに無駄なことをし続ける




 魔族との戦禍の中、幼い頃からその身一つでメルクーリオを支えてきた彼女は、これまでずっと、常に主人のことを想い、大事に、大事にしてきた。




「故郷を魔族に奪われたメル様が……これまでどんな苦しい思いをしてきたかなぞ知りもしないで」




 そんな大切な主人が。主人と己の二人で歩いてきた道のりを侮辱されたことが。




「そうじゃ……ない。タキ、さんも……きっと」


「あの男に対してどうしてそんなことが言えるのですかっ!!」


「っ!」




 途方もなく。胸を掻きむしりたくなるほどに、怒り狂いたかったのだ。




「……っ! も、申し訳ございません……」




 思わず我を忘れ、主人に対して怒鳴ってしまったレフィ。しまった、と。すぐに冷静になりメルクーリオに向かい頭を下げる。




「……レフィ」




「め、メル様……?」




「こっち……きて」




「な、なにを」




 そんなレフィに対しメルクーリオは怒ることや怯えることもなく、寝台から腕を伸ばしレフィを引き寄せると、下げたレフィの頭を自分の膝元へと乗せる。




「め、メル様」


「レフィ……わたし、のため……に、怒って……くれて……あり、がと……う」


「そ、そんなっ! 私は」


「いい、から……聞い、て……」


「っ!」




 レフィの頭を抱えるメルクーリオの手に力が入る。




「わたし……は。あの時……あの教会、で……タキ、さんの音、を……聴いた時」




「…………」




「あぁ……なんて、素敵な……こんなにも、癒して……くれる音を……奏でてくれるの……だろうと」




「……ですが」




「でも……タキさんの……心には……どこか、哀しいものが……あった、の」




「…………」




「レフィ……タキさん、にも……なにか……抱えている、ものが……あると、思う」




「……そんなの、どうして」




「ぜんぶ、音……が、教えて……くれ、たから」




 レフィの頭を優しく撫でるメルクーリオ。


 自分を慕ってくれる侍女の気持ちを受け入れながらも、自身の瀧に対する考えを伝える。




「ねぇ……レフィ」




「……なんでしょうか」




「今度で……いいから。一度、タキさん……と、ちゃんと。おはなし……させて、ほしい」




 メルクーリオの言葉に顔を上げるレフィ。


 その顔には、侮辱されたことによる怒りと悔しさに、許したくない気持ちと主人の言うことを聞かなければという思いで交錯し、やりきれない表情が浮かんでいた。




「どうか……お願い、ね」




「……考えさせてください」




 整理しきれない感情。


 じっと目を見つめようとしてくるメルクーリオに対し、レフィは目を逸らすと、ゆっくりと立ち上がる。




「……すみません、一度失礼いたします」


「うん……あり、がとう」




 そして、メルクーリオに向かって再度頭を下げると、散らばった自身の荷物を集め、速やかに部屋から出ていったのだった。



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