「くそっ! あいつら、初めからこれを狙ってやがったのか!」
リフィータ王女との対談を終えた後、謁見の間から去ったローミッド達は、王宮から少し離れた位置にある酒場へと寄っていた。
「しっ! アリー殿、誰かに聞かれてはまずいですよ」
大勢のエルフ達が酒場で騒ぐ中、店の端に一つだけ空いていたテーブルを囲うように座るローミッド達。アリーは怒りまかせに右拳をテーブルの上へと叩きつけ、それを見たローミッドが慌てて周りの様子を窺いながら宥める。
「シェーメ殿を生命の樹の契約者としてフィヨーツ軍の傘下へだとっ!? シェーメ殿、こんな要求断じて応じてはなりませんからね!」
「えっ、あ、は……はい」
それでも収まりきれない怒りを沸々とさせるアリーは勢いのままオーロに向かって口角泡を飛ばしながら忠告するが、オーロは先ほどまで行われていたリフィータ王女との対談のことを思い返していた為、アリーの言葉はあまり頭に入らず、目の前に置かれた果実のジュースを見つめたまま、浮かない顔をして元気なく返事をするだけだった。
* * *
「せ、生命の樹の……契約者? わたし、が……?」
「そうだ」
リフィータ王女の口から飛び出た言葉に思考が止まるオーロ。
「っ!? り、リフィータ様っ! それはなりませぬっ!! シェーメ殿は我らレグノ王国軍を支える重要な戦力であり」
「黙れ。先ほど貴様の娘が犯した無礼をもう忘れたか。今の貴様に発現する権利などどこにもない」
必死な形相でリフィータ王女に対し訴えかけようとするアリーだが、リフィータ王女からの咎めに、それはすぐに堰き止められてしまう。
「いま我が国では魔族の襲来以外にももう一つ、大きな問題を抱えていてな。詳しい話よりも先に……ラレーシェ、入ってこい」
すると、リフィータ王女が右を向いては合図を送ると、二人の召使いが動き出す。そして、召使いが向かった先には、碧色のシルクで編み込まれた
そこからは。
「は、はい……お婆さま」
一人の可憐なエルフの少女が、リフィータ王女の呼びつけに
「か、彼女は……?」
「この娘の名は、ラレーシェ・シェドーヌ。正真正銘の我が孫娘だ」
リフィータ王女が、傍まで寄ってきた少女の肩に手を置きながら、一同に向かい少女のことを紹介する。
「生命の樹については、遥か昔から今この時まで、代々エルフ族の王家の血を継ぐ者がその管理を行ってきた。そして、生命の樹の転生の機に合わせ、代替わりを行い、新たな契約者は次の転生まで生涯を全うする。それが、王家の者の務めだ」
肩に手を置かれたエルフの少女は、自分の目の前で大人数が静かに並ぶ光景に緊張し、リフィータ王女の話を聞きながら身体を強張らせる。
「現在の生命の樹の契約者は勿論、我、リフィータ・シェドーヌだ。だが、次の契約者については当初、この孫娘、ラレーシェの父母の予定だったのだが……。母はこの子を産んですぐにこの世を去り、父は
リフィータ王女は少女の肩から手を放すと、今度は少女の頭を優しく撫で始めるが。
「生命の樹の契約者の条件はエルフ族の王家の血を継ぐ者であること。それは何故か。マナの流れを視る力を使い、この国の繁栄を支えてくださる生命の樹の状態を常に管理する必要があるからだ」
視線は自身の孫娘に向けていた優しいものとは打って変わり、今度は獲物を狩るような眼をオーロへと向ける。
「王家の血を継ぐ者はこの世の生物の体内に宿るマナの流れを視る力を得る。それは遅かれ早かれ、必ずだ。だが逆に、その力が発現し、安定化するまでは次の生命の樹の契約者にはなれないということ」
「っ! お婆さま」
「次なる契約者の予定だったはずのラレーシェの父母が亡くなった今、今度の契約者としてはラレーシェを立てる
「お願いです、わたし……」
その時、リフィータ王女の言葉に反応したラレーシェが、突然、リフィータ王女のことを見つめると、強く懇願するように縋り始める。
「日々、この子の努力はちゃんと見ている。契約者になれるよう、力の安定化に向けて精一杯に精進を重ねてはいるが、こればかりは個人差がある。すまないのぉ、ラレーシェ。時間は待ってはくれないのだ」
「そんな……! わたし、まだ頑張れ」
「次なる後継者に悩まされていた時、なんの奇跡か、王族でもない者が、我々と同等、否、それ以上の力を持ってしてこの世に生まれた者がいるという話を聞いた」
「……まさか」
リフィータ王女の意図に気付いたオーロの目が大きく見開かれる。
「そうじゃ、シェーメ・オーロ。お主のことだ。人族でありながら、この世の全ての生物の体内に流れるマナを見透かすことが出来るその力。そして何より、我々王族の者でも出来ない、マナを生成する力。そなたの存在は我々にとっても喉から手が出るほど欲しいものだった。ラレーシェの力が安定化するまでの間、次なる生命の樹の契約者の代行者として、そなたに白羽の矢が立ったのだ」
リフィータ王女は右手に持つ扇子を閉じると、それをそのままオーロに向ける。
「もう一度問う。我らフィヨーツ国はレグノ王国からの要求を断り、更には先程のアリーの娘による無礼を離反行為とみなし、今度レグノ王国との国交を取りやめる方針とする。但し、シェーメ・オーロがレグノ王国軍からフィヨーツ軍への軍門に下り、生命の樹の次期契約者として生涯を全うするのであれば、マナの実の譲渡を許可し、先程の離反行為はなかったこととしよう」
オーロを睨む王女の眼が鋭く光る。
「さぁ、どうする」
* * *
「でも、私が断ると、レグノ王国とフィヨーツ国の国交が……。それに、マナの実も」
「それは奴らの策略のうちだったからで! 国交についてはワタシが引き続き説得を試みてみます。それに」
「彼らだけで魔族の手を跳ね除けきれるとは到底思えない……」
オーロを取り込もうとするフィヨーツ側の画策。
しかし、魔族側の脅威を身をもって知っているローミッド達からすれば、レグノ王国と協力せずしてフィヨーツ国軍のみで対処するという考えは合点がいかないものだった。
「あ、あの……」
「ん?」
そんな中。
「詳しい事情が分からず大変恐縮なのですが、どうしてエルフの皆様方はあそこまで魔族への撃退に対して自信がある様子なのでしょうか」
難しい顔をする三人の様子を
「あぁ。それについては恐らく、天の加護があるからでしょう」
「天の加護?」
聴き慣れない言葉に、思わず首を傾げる彩楓。
「天の加護……。エルフ族が生み出した、対魔族用の結界術ですよね」
「そうです」
代わりに答えたオーロに、アリーが深く頷く。
「現王女、リフィータ・シェドーヌ様が考案された対魔族用の結界術。先ほど我々が訪れた王宮を中心に、半球状の見えない高密度のマナの膜がこの国を覆い、常に外敵から守ってくれているのです。その効果は絶大なもので、かれこれ一度たりとも魔族の侵入を許してはいません。恐らくですが、それが彼らにとって魔族に対する絶対的な自信となっている所以なのでしょう」
淡々と事情を話していくも、その表情には悔しさを滲ませ、誰にも気付かれないよう密かに自身の膝上で片拳を握り締める。
「一度たりともって、そんなことが」
「現に、周りのエルフ達を見てください。戦時中とは思えないほど活気立ち、明るく、皆、豊かな暮らしを送ることが出来ている。これも全てリフィータ様による天の加護のおかげによるもの。今回の魔族襲来についても、警護に就く軍人以外はさほど気にはしていないのでしょう」
アリーに言われ、周りの様子を見渡す彩楓。そこには笑顔で盃を交わし、談笑を繰り広げるエルフ達の姿が。
それは王都に住む人族の様子とはまるで正反対で、一度魔族と交戦した彩楓でさえも、いまこの世界が本当に戦時中なのだろうかと疑うほどにまで、それはとても異様な光景だった。
「ところでアリー殿。これ以降はどのようにするつもりで」
ローミッドがアリーに今後の予定を聞き出す。
「そうですね……シェーメ殿の件に関しましては幸い、三日間の猶予は頂けたので、その間にリフィータ様を説得できるよう動いてみます。あと……」
「ふぎゃっ!?」
そう言い、アリーはおもむろにその場から立ち上がっては、先程からずっとテーブルの上に突っ伏していたザフィロの首根っこを掴んでは睨むと。
「お前は暫くここで奉仕活動をやってもらう。誠心誠意、少しでもリフィータ様へ詫びの気持ちを示して貰わんとな」
「……ふぎゅぅ」
低くドスの効いた声でザフィロに言い聞かせる。
「分かりました。そしたら、私はすぐに今日の事をユスティ殿へ報告した後、有事の際に備え防衛部隊へと合流し、生命の樹の中を案内してもらおうかと思います。彩楓殿は」
「私は本部とのやり取りがありますので、暫くここの近くで作業を行おうかと」
「承知した、それで……」
一人一人が今後の行動を固めていく中、先程から変わらず悄然とした面持ちをしたオーロにローミッド達が顔を向ける。
「…………っ! あっ、わ、ワタシは……」
暫くしてからその視線に気付いたオーロ。慌てて返事をしようとするも、再び黙り込み始める。
そして。
「ワタシは……。ワタシも、アリーさんと共に行動しようと思います。ワタシの力については、リフィータ王女にとって他にも有用に使える部分があると思いますので、ワタシが生命の樹の契約者にならなくても良いように、働きかけてみます」
ようやく考えがまとまり、顔を上げ、自分の想いをハッキリと伝える。
「シェーメ殿、ありがとうございます……っ! この恩は、必ず」
「い、いえ……」
オーロの言葉を聞くや、アリーは席を立つとオーロの両手を強く握り締める。
「それでは……皆さん。暫く解散いたしましょう。何かあれば、通信用の魔道具で」
「「「了解」」」
こうして、ローミッドの合図と同時に、五人はそれぞれの目的の為に酒場から速やかに出ていくのだった。
その日の夜。
「はぁ……はぁ……」
誰もいなくなった王宮。
一人静かに鍛錬を続けるは、可憐なエルフの少女。
「お婆さま、どうして……。どうして、あんな人族を……!」
彼女の脳裏に焼き付くのは、昼間、謁見の間にて現れた栗色髪の召喚士の顔。
「あの人族さえいなければ……っ!」
彼女の中の焦りは苛立ちを生み。
そして。怒りへと、憎しみへと変わっていく。