時は、井後が烈志をアレットから連れ帰る数十分前のこと。
「ん、あぁ~……」
この日も夜遅くまで自室で業務を行っていた井後。幾つもの資料が散乱するデスクを前に、大きく伸びをしてはオフィスチェアの背もたれに寄り掛かる。
すると、その時。
「……ん?」
コンコンッと二度、小さくドアを叩く音が部屋に響き渡り、井後に何者かが来たことを知らせる。
「(こんな時間から……?)」
来訪者に心当たりが無かった井後は怪訝な顔をしながら立ち上がると、ドアのほうまで向かい、ゆっくりとドアノブに手を伸ばす。
「どちら様でしょうか」
そして、ゆっくりとドアを開くとそこには。
「そ、総隊長……」
怯えた表情を浮かべた二人の女性がお互い身を寄せ合うようにしながら部屋の前で立ち尽くし、井後が出てくるのを待っていた。
「っ! 君たちは……」
井後の下を訪ねた彼女らは、それぞれ本部基地の転送受付と訓練場受付の担当職員だった。
「こんな夜更けからどうした。何かあったのか?」
突然の訪問に井後は驚きながらも、以前より二人とは面識もあったことから、親身になって用件を尋ねると。
「そ、その…………」
「なに? 天下の奴が?」
部屋の中へと案内した井後は、今し方、二人から告げられた話に顔をしかめる。
「は、はい……。こちらからは何度も忠告を申し上げていたのですが……」
二人は困り果てた顔を浮かべながら、ここ最近の烈志の振る舞いや様子について井後に報告した。
短期間に渡るアレットへの異常な転送回数。
規定違反となる長時間の訓練場使用についてなど。
「ワタシからも、天下様へは直接、これ以上の訓練はお控えくださいと申し上げたのですが……」
かつて訓練中、天下にしがみ付いてまで注意を行っていた女性職員。
「それでも、一切耳を貸してくださることはなく…………それで、ワタシ……」
烈志に激しく突っぱねられたことを思い出し、その時の恐怖感から肩を震わせ、両手で顔を覆い泣き始める。
「そんなことが……」
ここ数日、様々な出来事が重なり、普段よりもあまり烈志に対し気に掛けてやれなかった井後。アレットでのことに関しては彩楓に任せてはいたものの、それ以外については特に指示は出していなかった。
「分かった。今すぐに天下から話を」
これ以上の問題が起きる前にと、すぐにその場から立ち上がり天下の部屋へと向かおうとした。
その時。
「総隊長っ!」
「っ! 彩楓っ!?」
突如、物凄い勢いでドアが開き、彩楓が慌てた様子で部屋の中へと入ってくる。
「何があった!」
彩楓のあまりの剣幕に、只ならぬ事態が起きたと察知した井後はすぐに事情を聞くが。
「はぁ……はぁ……。天下が、天下が基地内のどこにもいませんっ!」
「なにっ!?」
彩楓からの報告に井後が驚くのもそのはず。
フィヨーツへの先発隊としてローミッド達と共にしていた彩楓と烈志は、本来、ローミッド達が仮の拠点を造った所で基地へと帰還し、次の日に再出発するまでの間は、エレマ体の修復の件もあり、そのまま基地での待機となる段取りだった。
だが。
「明日以降の打ち合わせをしようと天下の自室へと向かったのですが、姿が無く……。その後も基地内を探し続けたのですが、どこにも」
彩楓の言葉に胸騒ぎを覚える井後。
更には。
「井後総隊長っ!」
今度は一人のエンジニアが血相を変えて井後の名を叫びながら、部屋の中へ倒れるように駆け込んでくると。
「たった今、何者かが許可なく転送装置を作動させた痕跡がっ!」
「なんだとっ!?」
緊急事態を告げ、その場を騒然とさせる。
井後はエンジニアからの報告を聞くとすぐ、彩楓と顔を見合わせ、そして。
「すぐに転送した者が誰かを突き止めろっ! 彩楓、お前も来いっ!」
「は、はいっ!」
「承知いたしました!」
エンジニアに指示を出し、彩楓にも同行を命じては急いで部屋を飛び出し、制御室へと向かっていった。
「いま出動しているのは瀧と護だけ……」
制御室へ着いた井後と彩楓。
すぐにモニターを起動させ、転送中のエレマ隊員の状況を把握し始める。
「……まさかだよな」
しかし、モニター上に示された反応は三つ。
そのうち二つは王都内に。そして、もう一つは。
「ここは……。先ほどまで私達が居た辺り……」
彩楓の目が大きく見開く。
「-総隊長っ!-」
その時、転送装置へと向かっていたエンジニアから通信が。
「こちら井後、何か分かったか?」
額に汗をかき、一心にモニターを見つめる井後。
じっと、エンジニアからの返答を待つ。
そして。
「-はいっ! エレマ体コアの保管状況から、転送を行ったのは天下烈志様と思われます!-」
「っ! やはりそうなったか……っ!」
二人の職員からの報告に、基地内での不在。そしてこのタイミングでの無断転送。
井後の中にあった嫌な予感が当たる。
「-っ!? 総隊長っ! マズいです!-」
「今度はどうしたっ!」
「-こ、これをっ!-」
立て続けに入ってくる通信。声を荒げたエンジニアが制御室へと送ってきたものは、烈志が扱う専用エレマ体のステータス画面。
「……っ! これはっ!」
そこに映し出されていたのは、烈志のエレマ体の損傷率。
赤い警告表示に覆われたその数値は、みるみるうちに上昇を続け、遂には危険域の手前まで迫っていたのだ。
「エンジニアッ!」
井後が通信機に向かって叫ぶ。
「今すぐ俺と彩楓の転送準備に取り掛かれっ! 天下を連れ戻すっ!!」
「-は、はいっ!!-」
沸々と湧き上がる焦燥と怒りを抱えながら、床に通信機に投げ捨てる井後。上着を脱ぐと、すぐに制御室を後にし、彩楓と共に転送装置へと向かっていった。
* * *
「……何故、あんな真似をしでかした」
そして時は、アレットから烈志を連れ戻した後。
先ほどまでの出来事を自室で振り返っていた井後が、思わず天井を見上げる。
あれから井後は、すぐに烈志からエレマ体コアを没収し、烈志には監視の者を附かせ部屋に軟禁させた。
烈志に関しては、長時間にわたる不眠不休の影響で気を失った為、詳しい事情聴取は明日以降に改めて行うこととなった。
「はぁ……これ以上は国家間問題になり兼ねんぞ……」
思わず眉間に親指と人差し指を当てた井後は、大きくため息を吐きながらデスクの上に俯せになる。
「一体、どうしたというのだ」
先日の護とルーナの件、そして今回の烈志とローミッドの件と、次々に襲い掛かるトラブル。
魔族シュクルとの交戦以降、皆どこか様子がおかしいことに悩まされる指揮官。
掛間兄妹のこと。
四将のこと。
国内外のこと。
幾多の問題が、井後の頭の中で絡まった釣り糸のように錯綜する。
「…………」
そして、その疲れに限界を期した井後は、そのままソファに座ったまま、気付かぬうちに眠りについてしまったのだった。
翌日。
「「「…………」」」
日が昇る前に仮設テントを片付けた先発隊。
すぐに馬車へと乗り、再びフィヨーツへ向かおうと走らせていた。
馬車の中では誰一人として話そうとはせず、ただ静寂が漂うのみ。
勿論、一人静かに座る彩楓の隣には烈志の姿はなく、代わりにザフィロの荷物が雑に置かれていた。
「あ、あの……」
自身の同僚が不祥事を起こしたことに、彩楓は自身の向かいに座るローミッドに謝ろうと声を掛けるも。
「左雲殿、気にしないでください」
井後に話した時と同様に、ローミッドは彩楓に対しても朗らかな表情を見せ、平然と振る舞う。
結局あの後も、頑なに何があったのかを口に出さなかったローミッド。
ザフィロ以外、他の者もローミッドに対し心配そうな目を向ける。
「し、しかし」
「井後殿にも申し上げたように、今は生命の樹に集中すべき時です。同盟国同士、下手に亀裂を走らせても意味はありません。それに……」
ローミッドの視線が彩楓からアリーへと移る。
それに気付いたアリーは、ローミッドと共に東の方角を見つめると。
「見えてきましたね」
「あぁ、いよいよ着きますぞ」
そこから見えてきたのは、天高くそびえる一本の大樹。
間もなく、先発隊がエルフ国フィヨーツへと到着する。