十日前。
「いったた……」
水晶が示すマナの方向を頼りに森の奥を進んでいた二人の密偵は、不運にも茂みに隠れて見えなかったことにより崩落した地面に気付かず、足を踏み外し崖から転落してしまった。
「――っ! 通信用の魔道具が……っ!」
幸い軽傷では済んだものの、転落した際に踏みつけられた魔道具は無惨にも壊れ、二人は王都との連絡手段を失ってしまった。
「どうするんですか……」
男が女に対し呆れた顔で話す。
「仕方ないじゃないのっ! まさかあんな所に崖があるとは思わないじゃない!」
女は痛めた腰を手で擦りながら顔を真っ赤にして怒鳴る。
「仕方ないってそんな……。僕らこれでも王国お抱えの密偵ですよっ! それをこんな下手やらかして……ちょっと待ってください……」
女の態度に男も癪に触り、小言を並べ立てようとした時。
「……あれ、なんですか……?」
男は女の真後ろを指差した。
「何って、えっ……?」
女は男が指差す方へ振り返ると。
「なにあれ……?」
そこには巨大な洞窟が禍々しく
周囲の風は洞窟の方へと吸い込まれ、ゴーッと洞窟内から聴こえてくる音はまるで怨霊の唸る声のように低く、天井からつらら状に垂れ下がる鍾乳石からは所々、先端に集まった水が地面に向かって滴り落ちている。
女は思わず手に持っていた水晶を見る。
「うそでしょ……」
不吉にも、水晶が示すは洞窟の奥。
「まさか、あの中に行くんですか……?」
男の声が裏返る。
「……行くしか、ないでしょう…………」
女はそう言い、立ち上がった。
* * *
終わらない。
何度、倒しても倒しても。
終わらない。
腹を刺しても。喉笛を喰いちぎっても。
消え去るのは一瞬だけ。
唸るような鈍い悲鳴を上げ、やっと静かになったと思えば、またやってくる。
何も見えない。何も分からない。
だけど、そんなことはどうでもいい。
あぁ…………
また、奴らがやって来た。
終わらない。終われない。
* * *
「……おい、めちゃくちゃ暗いぞ」
崖を降りた四人は洞窟の入り口前まで近づき、外の光がギリギリ届く辺りで立ち止まっていた。
「本当にここに入るんですか……?」
ペーラが少し怖気づいた顔でローミッドを見る。
「あぁ……。密偵が入った可能性がある以上、我々としては行かなければならない……。ちょっと待て」
先ほどから洞窟の岩肌を観察していたローミッドが突然立ち止まる。
「この洞窟……。もしやダンジョンか?」
ローミッドは所持していた鉄の小鎚で岩肌を叩き、削り落ちた欠片を拾う。
「これをみろ」
「これは……。マナっ!」
そして、ローミッドによって拾われた欠片の断面からは白く煌めく物質が僅かに漏れ出していた。
「つまり、この洞窟は全てマナによって形成され、後にダンジョン化したものだろう」
ローミッドの言葉に三人は、洞窟を天井から地面へと順に観察する。
「しかし、何故こんな所にダンジョンが……」
「……聞いたことがある。昔、ザフィロの親父が話してたんだが」
その時、ルーナが思い出したように口を開く。
「かつて、王国の辺境にとんでもねぇダンジョンがあったらしい。そこは強者であるほど何よりも好んだ場所だったとよ。だが、あまりに危険すぎたのと、連日連夜、必ず死人が出たことから、最後は王国が閉鎖をしたらしい」
洞窟を覗くルーナの眼が鋭くなる。
「たしか、そのダンジョンの名前は……」
「”
「……知ってたのか?」
ローミッドがルーナの言葉を遮る。
「私も過去に一度だけ聞いたことがあってね。にわかには信じがたいが……」
洞窟からは低く唸り声のような音が響いてくる。
それはまるで、己の名を呼ばれたことに返事をするように。
「もしその話が本当なら……」
ローミッドが腰に下げた長剣を抜く。
「二人が危ない。急ぐぞ」
「「「了解」」」
四人は駆け足で洞窟の中へと入っていく。
* * *
どれほどの時間が過ぎたのだろう。
何度、倒されても倒されても。
死ぬことはない。
傷付くのは、ほんの一時だけ。
想像を絶するほどの、耐えられない痛み。
それでも、気を失っても身体は治り、また目が覚める。
数えきれないほど、喚き、もがき苦しみ、足掻いた。
もはや死んでしまったほうが楽だと。
気を失うことが一瞬の安らぎとも感じた。
だが、もうそれも
痛みさえも、苦しみさえも。
何も感じない。何も分からない。
………………あぁ。
奴らがまた、湧いてくる。
* * *
「三人とも、決して離れるなよ」
洞窟の中を進む四人は、お互いを見失わないよう距離を詰め、慎重に歩む。
洞窟の中までは瘴気の汚染は広がっていなかったが、いつどこから魔物が襲ってくるか分からない緊迫感が四人に圧しかかる。
水滴が落ちる音。
地面に出来た水溜まりを踏む足音。
「はぁ……はぁ……」
不安定な足場と四方から来る圧迫感に四人の体力と精神は少しずつ削られていく。
「みなさん、少しばかり休憩を」
三人の疲労が気になったローミッドが足を止め、声を掛けた。
その時だった。
「……っ! おいっ、全員前を見ろっ!」
最後尾にいたルーナが声を上げる。
「なにっ」
前衛のローミッドとペーラが咄嗟に剣を構える。
「何か聞こえる」
全員がその場でじっと動かずに耳を澄ませる。 すると。
「……なんだ、この音は」
ズルズルと、地面を這うような低音が。
それは蛇のようにゆっくりと。一か所からではなく、複数、更に四方から近づいてくる。
「全員、灯りを最大限まで上げろっ!」
「「「了解っ!」」」
ローミッドの合図に皆、手に持っていた灯り用の魔道具に己のマナを流し、照度を上げる。 そして。
「……っな!」
眩く照らされた洞窟内の先には。
「なんだ……っ! こいつらっ!?」
獣の姿。
巨大なトカゲの姿。
大蛇の姿。
影によって様々に
「ォォォォォォォオ……」
魔物達の低い唸り声が洞窟内を木霊する。
「総員、戦闘態勢っ!」
冥国の亡霊と、四人による命の奪い合いが始まる。
* * *
遠くから、何かが聞こえる。
また奴らが暴れているのか。
それとも、誰かが。
いや、そんなことはあるわけない。
希望なんてものは、どこにもない。
けど、そんなこともどうでもいい。
ここも外界も、全てが等しく。
地獄、なのだから。