-エレマ隊基地本部制御室-
レグノ王国との合同会議から二ヵ月ほど。
井後は、司令室にて各地への派遣状況を確認していた。
「総隊長」
先ほどからじっとメインモニターを見る井後に荒川が声を掛ける。
「荒川か。各地への派遣状況は問題ないか?」
「はい。あと予定三週間後に来る侵攻に向け、各地順調に進んでおります」
「そうか。なるべく被害は最小限に抑えたいのだがな……」
「そうですね」
井後は荒川にだけ聞こえるよう不安の声を漏らす。
「ところで総隊長。別件についてお話が」
「ん? どうした」
「はい。掛間空宙隊員の妹、掛間夏奈の容態に関しまして」
「彼女か…………」
井後は夏奈の名前を聞き、悲しい表情を浮かべる。
この基地に連れてこられて以来、彼女は兄を失ったショックにより食事も喉を通らず、水すら飲まない日を何日も過ごしていた為、とうとう脱水症状を引き起こし、倒れた。
偶々様子を見に来た係員に倒れている所を発見され、メディカルルームに搬送。これまで集中治療を受けていたのだった。
「今はどんな状況だ」
「はい。現在も容態は安定し、引き続き別室で経過観察を行っております。面会をしても問題ないと主治医から伝えられています」
「そうか……」
――あれほど丁重に扱えと言ったのに……
申し訳ない事をしたと、罪悪感が井後の胸の奥をチクリと刺す。
「荒川、少しこの場を外す。しばらく頼めるか」
井後は帽子を被り直しモニターから目を離す。
「承知いたしました」
荒川の言葉を聞くと、井後は足早に制御室を出る。
* * *
夏奈視点
目を覚ますと私は知らない部屋にいた。
修学旅行で一度泊まった事のあるような、リゾートホテルみたいな綺麗な部屋。
――――貴方の兄は亡くなりました
私はお兄ちゃんが死んだと告げられた事を思い出す。
何も考えられなかった。
そこでは毎日、係員さんらしき人が食事を提供しに部屋を訪れてきたけど、興味すら無かった。
気力もない。食欲もない。水すら飲まず、死んだようにベッドの上で寝ては数日が過ぎていった。
ある日、私は脱水症状を起こし倒れた。
このまま死んでも良いとさえ思っていた。それほどまでに全てがどうでもよかった。
気が付くと今度は別の部屋にいた。
病院にあるようなベッドの上に私は仰向けになり、左腕には点滴が繋がれていて、傍には看護師のような人が座っていた。
どうやら、偶々私の様子を見に来た係員の人が倒れている所を見つけ搬送したらしい。
ああ、私は死ねなかったのか。
お兄ちゃんはもういないのにね。
「どうして」
約束したじゃない。
ある日、私の下に面会の人が来た。
「失礼します」
部屋のドアをノックする音が聞こえてくる。
隣にいた看護師が向かう。
しばらくすると看護師は部屋から出ていき、入れ替わるように帽子を被った男の人が入ってきた。
「具合はいかがかな」
その人は私を見ると、少し悲しそうな顔をする。
「私は、この基地の総隊長を担当する、井後と言います。この度は手荒な対応でここに連れてきてしまい、大変申し訳なかった」
井後と名乗る人は私に対して頭を下げる。
「ここ、座ってもいいかな」
井後さんは先ほど看護師が座っていた椅子に座っても良いかと聞いてきたけど。
私は何も喋らなかった。
井後さんは断りを入れ、その場に座る。
お互い何も話さない時間が続く。
「おじさんの独り言だと思ってくれてもいい」
すると、井後さんがボソッと口を開いた。
「ある、一人の女性についての話だ」
井後さんは左の胸ポケットから小さな写真が入る首飾りを取り出す。
「数年前、まだエレマ体が開発されて間もない頃、この基地ではある研究が行われていた。被験者でもあったその女性は日々、様々な訓練に精を出し、研究にも大きく貢献していた。勿論、研究も順調だった」
井後さんは首飾りを開ける。
「だがある日、ここから向こうの世界へ転送を試みる実験が行われた際、事故が起きた」
「えっ……」
「転送中のエレマ体にエラーが起きた。一瞬の出来事だった。彼女との通信は途絶え、次元の渦に飲まれるように彼女の姿は見えなくなってしまった」
私は井後さんの顔を見る。
それはとても。とても悔やみきれないといった顔をしていた。
「彼女は私の妻だった……。事故が起こった時、私は酷く取り乱した。目の前で最愛の人を亡くしたと思ったからね」
そんな……。
「研究者達からも、あれは助からないと言われたよ。絶望した。今の君のように私も憔悴し、一時は退役も考えた」
この人も……。
「だが、どうしても諦めきれなった」
井後さんは膝に乗せた拳を握り締める。
「本当に妻は死んでしまったのか、私には疑問だった。何か根拠があるわけではない。だが、どうしても納得がいかなかった、この目で妻の遺体を確認するまでは信じられなかったのだ」
一言一言、力を込めて話す。
「私は復帰し、すぐに信頼できる部下たちに協力を願い出た。むこうの世界で妻を探してきてくれないか、と。無駄かもしれない、それでもいい。少しでも手掛かりになるようなものを見つけたかった」
「…………」
「そしてある日、部下の一人から連絡があった」
井後さんは先ほどとは別のポケットから髪飾りを取り出す。
その髪飾りは所々塗装が剥がれていたけど、真ん中に埋め込まれたピンクの宝石だけは綺麗な輝きを放っていた。
「調査中に偶々これを見つけたと。一目見て間違いないと思った。これは結婚記念日に私が妻にプレゼントしたものだった」
そして井後さんは私に、ボロボロになった一枚の紙切れを渡す。
「それを見てくれ」
渡された紙を見る、そこには。
"私は生きているから、大丈夫"
「この髪飾りに挟まっていたらしい」
私は思わず目を大きく見開いた。
「妻は生きている。今もあの世界のどこかで助けを求めているかもしれない」
井後さんが、また私の顔を見る。
「だから、掛間夏奈。君の兄はまだ生きているかもしれない。その目で確かめるまで、どうか諦めないで欲しい。私も協力する」
私の前に手を差し伸べる。
私は細くなった腕を伸ばし、ゆっくりとその手を取った。
一回りも二回りも大きく、ゴツゴツした手。
とても温かかった。
それは、お兄ちゃんが家を出てから、ずっと一人だった私にとって久しく触れる、人の温かさ。
ずっと不安と緊張でいっぱいだった。
「あ……ああ…………」
死のうとさえも思った。
「……わぁぁぁぁぁぁぁあああ!」
だけど。
その温かさは、もう一度前に進めさせるように、そっと。
優しく、私の背中を押してくれた。