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第14話 毛利綾瀬の体験記:2

 手を繋いだまま、アナが進む方向にひたすら付いていく。自分達が立てる音だけが聞こえ、背後から何かが追いかけてくる音は一切しない。息を弾ませながら、もう大丈夫かと安堵する。しかし、アナは無言で走り続けていた。

「何とか……逃げ……切れたかな……」

 やがて、足を止めた時は二人とも息も絶え絶えだった。両膝に手を当てて呼吸を整える綾瀬の前で、アナは尻餅をついた格好で「あーーーー」と言う。

「びっくりしたーーーー」

「びっくりしたのはこっちよ」

 綾瀬は顔を顰めてアナを見下ろした。走っている間、暇になった脳で考えていたことを問い質そうと口を開く。

「ねえ、アナ……」

「とりあえず、木の上に行かない? また襲われたら嫌だし」

「え? あ、ええ……」

 逃げながら思考の整理をした結果として、綾瀬は少し怒っていた。確認したいことが幾つもある。だが、アナの提案には頷かざるを得なかった。のんびり立ち話をしている所を襲われる可能性は十分にある。そもそも、この草の森に何種類のモンスターが生息しているかも知らないのだ。

「じゃあ、先に行ってるね」

 アナは立ち上がり、一度膝を曲げてから飛び上がった。高さ五メートルはありそうな位置にある太い木の枝にぶら下がり、体を半回転させて枝に足を乗せる。

「プログラス人はね、ジャンプ力が高いの。綾瀬もできると思うからやってみて!」

「え、いや……」

 そんなことを言われても、と綾瀬は戸惑った。プログラス人――つまりバニーは高い場所まで跳ぶのが得意な種族なのかもしれないが、初心者がいきなり出来るものだろうか。

「ほら、あっちの枝に乗れそうだよ」

「そ、そうね……」

 指し示された枝を見上げて逡巡していると、どこかで草が音を立てた。反射的に心臓が跳ねて動けなくなる。数秒間竦んだまま様子を伺い、大丈夫そうだと力を抜く。

(迷ってる場合じゃないか)

 バニーガールは、兎の耳と尻尾がある以外は人間と変わらない見た目をしている。その為、体感として人外になったという実感が無かった。

 頭に生えた耳を引っ張ってみる。痛い。

 人間の耳の場所を触ってみる。無い。

「……分かった。やってみる」

 一度頷き、何度か屈伸をしてから膝を曲げた姿勢で静止し、足全体に力を込める。丸太のように太い枝を見上げ、思い切ってジャンプした。

 視界に映る景色が、草の中から空中へと駆け上がっていく。気が付くと、目的の枝より遥かに高い位置まで跳んでいた。

「わっ!」

 あっという間に到達した空中から、一瞬だけ周辺を見渡せた。高さの同じ草がカーペットのように広がっている中で、アナが座っているのと同種の木が点々と生えている。右側にはプログラスを囲む石壁が続いていて、左側に目を向けると、ひたすらな草と木の光景のかなり奥に別の森があるのが見えた。斜め前には標高の低い岩山があり、人が住んでいそうな場所は見渡す限りだと無いように見える。

「……っ!!」

 一秒に満たない時間の後、綾瀬は重力に従って落下していく。景色を脳に焼き付けた刹那は空っぽになっていた思考が、一気に冷静になった。先程は通り過ぎた太い枝を見据え、タイミングを計って確実に掴む。そのままぶら下がると、枝が軋む音がした。折れるのではと冷や冷やしながら枝を見守り、大丈夫そうだと判断したところで腕に力を込めて体を持ち上げた。無事に腰を落ち着けると、アナが明るい声を出した。

「すごいジャンプだったね! そこまで跳べるプログラス人は珍しいよ」

 アナは緊張感の無い顔で、足をぶらぶらとさせている。

「木の上に居れば大丈夫だよ。もし狼が来ても登ってこれないから。次の国まではまだ結構遠いし、急いで通り過ぎるのも難しいんだ。迷うかもしれないし……」

 表情が曇る。何を思ったのかは不明だが、また危険な目に遭う可能性があるのかもしれない、と綾瀬は嫌な予感がした。逃げている間に考えていたことも相まって、つい苛ついてしまう。

「ねえ、アナは外にあんな化け物がいるって知ってたの?」

 自然と責めるような声音になった。現地人が無知だったとも考えにくく、それなら教えておいてほしかった。

 笑顔を曇らせたアナが、徐々に俯いていく。

「うん……でも、しょうがなかったんだよ。ここを通る以外に外に出る手段はないんだ。だけど……何も伝えなかったのは、ごめん。言ったら、一緒に来てくれないんじゃないかと思って」

 狼を警戒してつい耳をそばだててしまうが、周囲はまだ静かだった。下を向いた彼女の、今までよりも小さい声が良く聞こえる。

「お姉ちゃんを探しに行きたくても、一人で外に出るのが、ずっと怖かった。綾瀬が付いてきてくれるなら、勇気が出る気がしたの。ずるいよね」

 そう言われてしまうと、何か責めあぐねてしまって綾瀬は黙る。やむを得なかったのかという気になってしまうのが少し悔しい。

「……そう。でも、武器や防具くらいは準備してから来たかったな。外に出られれば、私が死んでもいいと思っていたわけじゃないでしょ?」

「そっ! そんなこと!」

 アナが腰を僅かに浮かせる。眉間に皺を寄せ、見開いていた目を伏せて黙る。

「思うわけ……ないじゃん……綾瀬はもう友達なんだから……」

 体重が掛かって若干揺れていた枝が上下しなくなるまで、彼女は黙り続けていた。

「言ったでしょ? プログラスではバニー服しか買えないって。防具は用意できなかったの。武器は、これ一つしか無かったし」

 リュックから銃を取り出し、綾瀬に見せる。

「その銃は?」

「これは、他の魔人を殺す為に貰ったものだよ」

「魔人を殺す……?」

「そう。私達の世界ではね、人間以外の二足歩行の種族をそう呼ぶんだ。中にはしゃべるゴリラもいるけど……」

「しゃべる狼は魔人じゃないの?」

「しゃべる狼は、自我と本能が強くてあんまり理性がないでしょ?」

「…………そういう、もの?」

 魔人と獣の境目はなんだか曖昧だった。アナはそして『魔人殺し』について説明してくれた。バニーは魔人の中では弱い存在で、普通に戦っても魔人には勝てない。その為、成人になるとプログラスを属国としている人間が銃を支給してくれる。それで魔人殺しをするのだという。人間の国があるのか、と思ったが、綾瀬は何も言わなかった。

「この銃は、その時に貰ったの。私は一九歳だから、約一年前かな」

 門番や警備兵だけは槍などの他の武器も持てるが、一般バニーには武器が出回らないように、ショップも無いそうだ。

 アナは、どこか悲しそうに目を細めて銃を見下ろしている。

「人間にはバニーが必要みたいでね。何か……目の保養? とか言ってバニーに優しいの。それだけじゃないかもしれないけど……だから、殺す為の魔人も用意してくれる。……死にたい魔人、を」

「死にたい魔人……?」

「そう。でも、だからと言って人殺しが平気になるわけじゃないよ」

 彼女はまた目を細めた。今度は笑顔だった。けれど、やはりそれは泣きそうな笑顔だ。

「私は……こんなルールを作った魔王を絶対に許さない。どれだけ見た目が可愛らしくたって……あいつは悪魔だよ」

 そう言って俯くバニーの目には、確かに昏い恨みの光が宿っていた。

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