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第13話 毛利綾瀬の体験記:1

「冒険……」

 とは何だろう。プログレスを出て森の中を歩きながら、綾瀬は考えた。国語辞典には何て書いてあるだろう。未知の領域に足を踏み出し、危険を乗り越えながら目標に近付くこと――違う。それは単に今の状況だ。否、冒険の意味が前述のもので正しいのだとしたら、自分は確かにリアルタイムで冒険をしているのだ。

 小さい頃に、ドット絵のテレビゲームを遊んだことがある。

 新しい町に着き。

(着いたよね……)

 仲間に会い。

(会ったよね……)

 装備を整え。

(バニーガールの衣装を貰ったよね……)

 ボスを倒し。

(ボスはいなかったな……)

 次の町へ向かう。

(マーチンって町へ行くんだっけ)

 ――ボスには会っていないが、概ね冒険の定義から外れていない気がする。

「そう、冒険!」

 アナは草を搔き分けることもなく意気揚々と進んでいく。二人は葦の長い草の中を歩いていた。プログレスは強固な壁に囲まれているが、その周囲には一メートル半以上は背丈がある草が密集している。しっかりした木も点在してはいるが、あくまでも点在に過ぎない。ほぼ、草の森だ。

 人が通れそうな場所はないが、ここは門を出た先――人が通ってもおかしくない場所だ。

 プログレスには出入口である扉があり、分厚い扉の前には門番も立っている。槍を携えたバニーガールは、外に出たがるバニーガールの出現に物凄く驚いていた。アナが姉を探しに行くと言ったら扉を開けてくれたが、彼女は「信じられない」と呟いていた。

(まあ、そりゃそうか……?)

 実際にこの草の森を歩いていると、門番の気持ちも分からないでもない。だが、歩けないことはないし、信じられない程でもない気がした。何か、綾瀬が思い至っていない他の理由があるような。あの門番は、あの門番は――

 呟く時に慄いていた。

「ね、ねえ、アナ」

「んー?」

「ここって……モンスターとか出ないの?」

「モンスター? 何それ」

「何それって……ええと……突然襲ってきたりとかする……」

 最初に脳裏に浮かんだのは、頭部に耳を生やした全身が剛毛に覆われた二足歩行のモンスターだった。

(頭に耳……二足歩行……)

 自分の頭に生えている長い耳を触ってみる。身を捻って、腰より下にある丸い尻尾に目を遣ってみる。毛こそ生えていないが、人型の兎というのは極めてモンスターに近いのではないだろうか。

 だからといって、アナみたいなと説明するのは気が引ける。

「そうだね……」

 言い淀んでいると、綾瀬の耳の先が勝手に動いた。自身の意思とは無関係にぴくぴくと動く耳が、草を掻き分ける音を捉えている。ガサガサというよりザザザザ、という音だった。一方向からではなく、多方向から聞こえる。

「っ……!」

 何を考える時間も無く、草の中から突然獣が飛び出してくる。狼みたいな顔と牙が瞬時に迫り、右腕を咬み千切られる、と予感する。

 目を閉じて体を強張らせると、金属同士がぶつかり合うような音がして、反動で体が跳ねてバランスを崩す。同時に踵が滑り、背中から地面に倒れる。狼は、足元から頭の方向に自分の体を飛び越えた。すぐに向きを変えて、仰向けのままの綾瀬の顔の上で唸っている。綾瀬の知識にある狼よりも遥かに大きい体躯をしていて、知球の狼であっても十分に脅威だというのに、この大きさでは勝ち目はないだろう。

「も、モンスター……」

「モンスター!? こいつらが!?」

 驚きの声と共に、斜め上の方から銃声が降ってくる。

「うわあっ!!」

 少年のような高い悲鳴がして、綾瀬を見下ろしていた狼が左に倒れた。仰向けの状態から起き上がって狼を見ると、横腹に赤黒い穴が空いていた。

「い、痛い……痛いよ……」

「シム! ってめえ!!」

 別の少年の怒声がする。もう一体の、やはり巨大な狼が顔を上方に向けている。視線の先には、いつの間に移動したのか木の上に乗ったアナがいた。拳銃を向けられても怯むことなく、狼はアナを睨みつけて今度は獣らしい声で吠えている。

 狼に死の恐怖は無いのか、それとも、恐怖より怒りが上回っていたのか。後になってから綾瀬はそんなことを考えたが、知る術の無いものについて考えても仕方がない。

 吠えていたのはほんの数秒だっただろう、アナは狼に銃弾を命中させた。不自然に声が止み、眉間から血を噴出させた狼が地に伏せる。死んだのだと、本能が知らせてくる。

「…………」

 考えが追い付かない。その間に、「おにい……」という微かな声と乾いた銃声がした。振り向くと、綾瀬を襲った狼のこめかみに二つ目の穴が開いていた。アナが木の上から飛び降りてくる。

「早く逃げよう! まだ次が居ないとも限らないし」

「え、ええ……」

 アナはリュックから黒い小さな実を何粒か出し、適当に放り投げた。周囲が黒い靄で包まれ、途轍もない臭いが鼻を衝く。

 アナに手を引かれ、無我夢中でただ走る。

 狼が追ってくる気配は無かった――この時は。

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