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第10話 痴女を探していた少女

「スマホ……」

 どうしてコレがここに、と音花は思う。自身に起きた状況をそのまま受け入れていた彼女だったが、『何故こうなったのか』を理解できているわけではない。だが、自分が今スマホを持っていることの不自然さは直感的に解った。

「それ、何にゃ? どうやって使う機械にゃ?」

「あ、これはね……」

 何の気なしにタッチしてみるが、画面は暗いままで何の変化もない。

(……変だな?)

 もう一度タッチしても変化はなく、電源ボタンを長押ししてもロゴ一つ出てこない。

「おかしいな? ……あ、そっか」

 このスマホは温泉の中にあったと言っていた。

「壊れちゃったんだ……」

「壊れたにゃ? だったら、直すにゃ!」

「直す……? でも、これは……」

 恐らく、この世界では直せない。今居る場所が異世界であることくらい、音花も理解している。何せ、弐本では本物の猫耳少女には出会えないのだ。

「人間の国に戻れば直るかもしれないにゃ! 『機械』は人間が造ったものにゃ。おちゃのこさいさいにゃ」

「おちゃのこさいさい……」

 それって、弐本でしか使われていない言葉なんじゃないかなと思いながら、音花は応えた。

「うん、行ってみようかな。人間の国なんてわくわくするし」

「行くにゃ行くにゃ! 行く……にゃ?」

 猫耳少女が、大きな目をぱちぱちさせた。何かに疑問符を浮かべているようだ。

「行ったことないにゃ? 住んでたんじゃないにゃ?」

「え? ……うん」

「だったら、どこから来たにゃ? 人間はあそこで生まれてあそこで育つにゃ。はぐれ人間にゃ?」

 眉間を寄せ、しかし、何か心当たりがありそうな顔で少女は訊いてくる。

「あ、えーと…………こことは違う世界、かな」

「……違う世界!? どんなとこにゃっ!?」

 猫耳少女は真剣な顔で、顔をずいっと近付けてきた。思わず少しのけ反った音花は、当たり前過ぎて意識していなかった弐本の特徴を思い描く。

「まず、魔法が使えないでしょ。人型の猫も妖精もいないでしょ。動物は皆、喋らないでしょ。街はコンクリートっていう硬いやつで、土とかじゃなくて……」

 この世界に何があるのかは知らないが、今の所、音花が持つTHE・異世界のイメージから外れてはいない。だから、そこに無さそうなものを言えば良さそうだ。

「あと、妖精が火を点けなくても、ボタンを押すだけで周りが明るくなるの。他にも、自動的に色んなものが動かせるんだけど、魔法じゃなくて、ちゃんと説明できる仕組みがあって……。電気って、知ってる?」

「知ってるにゃ!」

「え、あ、知ってるんだ……」

「さっき、『機械』は人間の国にあるって言ったにゃ? 知ってるにゃ」

「そ、そうにゃったね」

 得意気に指を軽く振る猫耳少女についにつられ、言葉ににゃが混じってしまった。それにしても、人間の国にあるという『機械』とはどの程度のものなのだろう。もしや、異世界にも京東みたいな場所があるのだろうか。

「じゃあ……冷蔵庫って知ってる?」

「知ってるにゃ! でも無いにゃ!」

「無い……? テレビは?」

「知ってるにゃ! でも無いにゃ!」

「知ってるんだ……」

 どうして知ってるんだろう、と音花は少し疑問に思う。まず、この世界で機械が発達していたとして、それは『機械』という呼称になるだろうか。

(偶然同じ呼び方になるなんてこと、あるのかな? ちょっと、意味が分からない、かも……)

 頭を混乱させていると、軋んだ音と共にログハウスのドアが開いた。

「エルム……」

「え……!?」

 入ってきた少女の姿を見て、音花は驚かずにはいられなかった。頭部には兎の耳が生えていて、尻には毛玉が付いていて、黒いレオタードを着て網タイツを穿いている。

「エルム、痴女が見つかったって聞いたんだけど……」

 ――バニーガールが、そこにいた。

「見つかったにゃ! この子が痴女にゃ!」

「痴女じゃないってば! ていうか……アナ……さん……?」

 冷静に考えれば、バニーガールイコール、アナになるとは限らない筈なのだが、音花の中ではバニーガールイコール、アナだった。直感が働いたというのもある。

「? 私を知ってるの?」

 そして、やはり彼女はアナだった。遅ればせながら、そこでやっと、音花は『あの週刊誌の世界』に転生した事を自覚した。

(そっか……)

 私は死んでしまったんだ、とか、もうお母さんやお父さんに会えないんだ、とか、きっと泣いてるだろうな、とか、様々な想いが去来して目頭が熱くなる。

 周囲の輪郭が薄くなり、体の中心に『自分』が集約されていく。

 闇の中に一人で立っているような、そんな感覚になる。

「もしかして……、毛利 綾瀬って知ってる?」

 だが、聴覚に届いたその声で、彼女の世界は色を取り戻した。いつの間にか俯けていた顔を上げると、アナはまっすぐに暗い目を向けてきている。

「…………?」

 音花は何か違和感を抱いた。雑誌で読んだ時のアナと、印象が違う気がする。もっと明るい雰囲気を持っていた筈だ。とりあえず「うん」と答えると、アナは丸くした目を瞬かせた。

「え……? 知ってるの?」

 驚いたことで素に戻ったのか、彼女から暗い空気が霧散する。

「うん、だって、毛利さんは……」

「ごめんなさい」

 有名なアナウンサーだから、と続けようとしたところで、アナは深く頭を下げた。

「せっかく転生してきた綾瀬を、私は殺してしまった……」

「え? え?」

「狼に襲われた時、助けられなかった。自分が助かることしか考えられなかった……冒険に連れ出したのは私なのに……」

「あ……」

 涙声の懺悔を聞き、遅まきながら音花は全てを理解した。アナの雰囲気が変わっていたのは、綾瀬を殺した罪の意識があったからだ。恥女を探していたようだが、それが万が一にも綾瀬の知り合いだった場合、謝りたかったからだろう。

「そんな偶然、あるわけないって思ってた。たまたま転生してきた人間が綾瀬の知り合いなんて、都合の良いこと……。だけど、あなたに会えて良かった」

 俯けていた顔を上げ、アナは微かに笑みを浮かべる。どこか、透明感のある笑顔だった。

「ちょっとはケジメがつけられたかにゃ?」

 今までの調子とは違い、神妙な様子で確認するようにエルムが言う。アナはすぐに首を振った。

「何も解決しないし、解決することは絶対にないから。ケジメなんか、つかない。置き去りにして逃げた事実も、綾瀬が死んだ事実も、変わらない」

「あ、あのね、アナさん……」

 確かに、それはそうだ。しかし、アナは一つ勘違いをしている。音花は真実を告げようと声を掛けた。だが、彼女にはもう周りが見えていないようだった。つらつらと、話し続ける。

「自己満足なのは分かってる。謝ったって、綾瀬は帰ってこない。綾瀬の意識は、もうどこにもない。でも……」

「毛利さん、生きてるわよ?」

「え?」

「毛利さん、生きてるわ。ここでは亡くなったけど、魂は本来の体に戻って生き返ったの」

「……へ?」

「体には刺し傷だけだったから、生き返ってから治療をして助かったわ。今は元気に仕事してる」

「……………………へ?」

 平静であれば「え?」と言っているであろうところを「へ?」と言ったバニーガールは、全ての闇を払って鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。

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