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第8話 温泉だからすっぱだか

(あ、何か気持ちいい……)

 五感が戻ってきた時、音花は快感の中に居た。温かいお湯の中でたゆたっているような、そんな感覚――

(ていうか……)

 そのものズバリではないだろうかという気がして目を開けると、案の定、自分は温泉に浸かっていた。頭一つ分くらいある岩の連なりに背を預け、肩の辺りまで透明のお湯に入っている。頭に猫耳を付けた成人男性が幾人も入浴していて、その誰もがすっぱだかだ。

(うわあ、こんな近くで男の人の裸が見れるとか……)

 つい下に目を遣り、その姿勢のまま時が過ぎていく。テレビにアップで映っているものを凝視している気分で、同じ空間に居るのだという自覚は無かった。現実を理解したのは視線を上げた時で、男性諸氏から注目を浴びていると気付いたからだ。

「きゃああああああ!」

 脱兎の如く温泉から出て脱衣所を飛び出すと、そこでは服を着た猫耳男女がミルクを飲んだり軽食を摂ったりと寛いでいた。その多くが動きを止め、大きな目を更に丸くしている。何を見ているかと言えば、それは当然――

「きゃ」

「どうしたにゃ? 痴女かにゃ?」

 背後からふわふわした大きなものを被せられて、残りの「ああああああ」という悲鳴を飲み込む。かき抱いてみると、布はバスローブだった。ほっと一息吐くと、音花は振り向いて抗議する。正面に立っていたのは、

「痴女じゃないわよ! 何だか知らないけど裸で男湯に入ってたのよ!」

 痴女だ。我ながら痴女にしか思えない台詞だ。

「う……ち、痴女っていうのは自覚して露出する人のことでしょ。私は違うもの。私は……」

 記憶を刺激した時、音花の脳裏に銃弾を受けた時の激痛が蘇った。

 ――発射された弾は、やけにゆっくりと迫ってきた。動きが良く見えて、全てを見極めて避けられるような気さえした。しかし足は動かず、立ち尽くしていたら渡が前に割り込んできた。

 弾は見えなくなった。渡が体で受けてくれたのだと瞬間的に分かった。だが――彼を貫いたのであろう弾は勢いを殺さず、音花の制服を、肌を突き進んできた。

 混乱した。痛い、に意識が支配された。その時と同じように――

 心臓ではなく、胃がどくんと脈打つ。そこから恐怖が脳に到達し、死ぬ、と思った。

「…………!」

 死の感覚が上半身を覆い尽くした直後、仰向けに倒れる。もうそこに意識はなく、前がはだけて再び裸身を晒したのに気付く術は彼女に無かった。


                §§§§§§§§


(あ、何か気持ちいい……)

 意識が戻った時、音花は快感の中に居た。重力に完全に身を委ねた世界で、程好い暖かさに包まれている。少しばかりの眠気がまた気持ちよさをプラスさせ――

(……お布団?)

 瞼を開けると、音花は布団の中に入っていた。自分の愛用品はここまでふかふかではない。腕を出してみると、パジャマの布にも知らない柄が織り込まれている。

 つまり。

「ここ、どこ?」

 状況がさっぱり分からなかった。起き上がって部屋を見回してみる。壁は木材を重ねて作られていて、ログハウスの一室らしいことが分かる。これまた木製の机と椅子があり、カーテンとラグは薄緑色で、このベッドは濃緑色だった。

 ベッドに入ったまま、カーテンを開ける。小さな村のようだった。似たようなデザインのログハウスが並んでいて、夜闇をランプの火が照らしている。火の周りに、小さな妖精としか思えないが飛んでいた。赤い服を着たティンカーベルのようだ。たまに、小さくなってきた灯りに魔法としか思えないで火を加えている。

「……ふふ」

 妖精も魔法もなぜかすんなりと受け入れた音花は、次に家々の窓に注目する。まだ、灯りのついている部屋が多い。

「……これなら、誰かに会えるかも」

 ベッドを出て、扉を開ける。木製の階段を下りていると、猫耳を頭につけた(多分生やした)黒みがかったピンク髪の、くりくりとした瞳をした少女がこちらを見上げていた。身長は、音花より低く見える。年齢は――

「起きたにゃ? 良かったにゃ! 頭は痛くないかにゃ?」

「頭……? 特に痛くないけど……」

「何よりだにゃ! 倒れた時に思いっ切り頭をぶつけてたから心配したにゃ!」

「……?」

 ぴょんぴょんと跳ねる少女の前で、音花は後頭部を触ってみる。

「あ、痛っ! 何か、ぶよぶよしてる……たんこぶができてるのかな?」

「何よりじゃないにゃ! すぐに冷やすにゃ!」

 少女は急ぎ足で階段を降りていく。とりあえずついていくと、彼女は台所らしき場所でタオルを濡らしていた。それをギュっと絞って渡してくれる。

「はい、にゃ!」

「あ、ありがとう……」

「人間は貧弱だからにゃ。気を付けなきゃだめにゃ」

「うん……」

「この村にはヒーラーがいないからにゃ。ヒーラーなら簡単に治せるにょに……」

 そこで、少女は悔しそうに僅かに俯いた。

「それもこれも、あいつが……って、君には関係ないことにゃ。あ! そうにゃ!」

 ぱっと笑顔になり、輝いた瞳をこちらに向けてくる。

「君はヒールは使えないのかにゃ? 殆どの人間が使える能力にゃ」

「ヒール……? 能力……?」

 言っている意味が解らず、音花は答えられないままに考える。人間は特殊能力を持たない存在だ。小学生の頃には本気で魔法少女になれると信じて学校の竹箒で飛ぶ練習をしたり、買ってもらったステッキを振ったりしてみたが能力は目覚めなかった。だが、ここは妖精や猫耳少女がいるような場所だ。

(これ、本物だよね……)

 無意識に目の前の猫耳を引っ張ってみる。「な、なにするにゃ!」という抗議は左耳から入って右耳から抜けていく。

(もしかして……人間でも、超能力みたいなものが使える……のかな?)

 その考えに辿り着いた時、音花は右手で猫耳を摘んだ状態で左手を頭に当てた。

「ヒール……」

 漠然とぶよぶよを治す気持ちで、手から何かを出すように意識してみる。すると、すうっと頭痛が引いていった。手の平に力を入れると、柔らかい何かではなく頭蓋骨の丸みと硬さを感じられる。

「治った、かも……」

「本当かにゃ!? 良かったにゃ!!」

 心から嬉しそうに、少女は喜んでくれる。その笑顔が、ふと曇った。子供っぽい無邪気な雰囲気が消え、やがて真剣な眼差しで見詰めてくる。

「ここで人間に会ったのも何かの縁にゃ。もしこの先、何も予定が無かったら……ううん、何か予定があっても、あたし達の魔王退治に付き合ってほしいにゃ。あたし達にはヒーラーが必要にゃ」

「魔王……退治……?」

 また、すぐには飲み込めない単語が出てきた。少女の目には真剣さだけではなく、その奥には確かな憎悪が燃えている。

(……っ!)

 恐怖を感じて後退る。

「そうだ、これを返しておくにゃ。温泉の中に落ちてたにゃ」

 少女はふと、服のポケットからスマートフォンを出して差し出してきた。

「見たことのないものにゃけど、だからこそ、人間の持ち物じゃないかと思ったにゃ」

「うん……」

 確かに、それは音花のスマートフォンだった。


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