「…………」
なごみは信じられない思いで立ち尽くしていた。今の声は、確かに渡のものだった。生徒会活動で高校にいた彼女は、そこで渡の死を知らされた。制服から判明した所属校に警察から連絡が入り、まだ残っていることを知っていた教師から呼び出しを受けたのだ。現場に駆け付けた時、叔父と叔母は泣き崩れていた。そして、渡は――
(有り得ない……。待って。こう考えれば……)
聞き慣れた声でも電話越しだと違う人の声に聞こえる、ということがある。ちゃんと渡の声として耳に届いたということは、別の人間が彼のふりをしているという可能性はないだろうか。だとしたら、やっぱり詐欺――
『もしもし? なごみ?』
否、そんなことはない。
わたしは、
「……ひっ」
恐怖に駆られて、なごみは自分のスマートフォンを投げ捨ててしまった。その先にはビニールシートの掛けられた銃創だらけの遺体がある。同居親族としてその顔を確認したのだから間違いない。あれは、渡だ。
「どうした? 大丈夫か?」
スーツを着た、細身で猫背の男性が近付いてくる。
「気分が悪いのなら、車の中で休むか? 高校生がいつまでも居ていい場所でもない」
自分達が立っているのは惨劇の現場だ。無惨な死体は一つだけではなく、周囲にはまだ血の匂いが漂っている。サイレンの音に上空を飛ぶヘリコプターの音、犠牲者の家族の悲痛な声や怪我人の呻き声、アナウンサーがカメラに向かって話す声等、今までテレビの中の出来事でしかなかった光景がなごみの五感を刺激している。
だが、なごみは今、それすらも瑣末なことに感じていた。彼女の心は、得体の知れないものへの恐怖に支配されている。
「わ、わ、渡君、が……」
「渡君が?」
天下は彼女が指差したスマートフォンを拾い、耳につける。通話はまだ切れていなかったらしく、「もしもし」と呼びかけて名乗った彼はやがて顰め面になる。怯えているなごみを――次に現状を伝えているアナウンサーを見て、彼は電話口に話しかけた。
「あーーーーーーー……ちょっと待っていてくれ」
天下は通話を保留にすると、なごみに向き直った。
「陽空さん、君はこの彼が渡君だと思うか?」
「分かりません。でも、多分……」
「そうか。君は、『死後に行く場所は異世界だった』という記事を知っているか?」
「え? あっ……!」
なごみは記事を読んだことはない。だが、話題としては知っていたし、何より、現場には本文が載っている雑誌が落ちていた。彼女は、相変わらずカメラの前で喋っているアナウンサーを見ながら、渡の傍にある雑誌を拾った。
「この内容は、彼の話と一致する。すっぱだかで転生したとかその辺りを聞いただけだが。それに……」
天下は横断歩道の先をぐるりと見回す。
ビニールシートの盛り上がりそれぞれに。
アスファルトを汚している大量の血に。
最後に、容疑者を収容して走り出そうとしている救急車を一瞥してから彼はなごみに目を戻した。
「あの容疑者のことも合わせると……どう思う?」
「……………………」
新説への驚きと同時に、なごみの中に否定しきれない思いが広がっていく。だが、答える前に天下は電話の保留を解除した。
「君が本当に渡辺君だとしても、俺にはそれを信じられる程に君を知らない。そこで、だ……ビデオチャットが出来るか試してみないか? スマホに君が映れば、俺は君を信用しよう」
「…………!」
画期的な提案だった。なごみは急いで天下の側に寄って画面を見詰める。予感のようなものがあったのかもしれない。恐怖は感じず、画面に化け物が映るとも考えなかった。渡に会える、という確信めいた、縋るような気持ちがある。幽霊だとかそんなことは脳裏から吹き飛んでいて、転生したのだという仮説を彼女は認めてしまっていた。
『あんた、大胆なことを考えるな。そんなことして呪われるかもとか思わないのか?』
呆れたような渡の声の背後で、『道具を介した精神感応能力ね』とか、『鬼にそんな能力ありましたか?』とか『鬼じゃなくても、道具からあんな音を鳴らす種族は見たことないぜ』とか、そんな声も聞こえる。緊張感の無いやり取りだ。台詞には漫画に出てきそうな単語が入っている。そのうち、画面が切り替わった。
『……出来たな』
少しばかりノイズの走った映像だったが、そこには渡が確かにいた。だが、違う。彼は――
「角があります。渡じゃありません」
§§§§§§§§
「なごみ……」
「えっ! 何よこれ、何が起きてるの!?」
「妙な服装の人間……ですね」
「どっかと繋がってんのか!? ありえねぇだろ!」
スマートフォンの画面を見る為に魔人達がゼロ距離接近してくる。暑苦しいが彼等に構っている場合ではない。「さすが魔王様っす!」と興奮しているアルスを含めた四人を空気としてなごみと向き合う。
画面の向こうの従姉妹は真顔だったが、渡はそれが意図的に人を驚かせようとしている時の顔だと知っていた。彼女はわざとそんな顔を作り、渡を渡と認めたことを伝えてくれたのだろう。
「角が生えてパワーアップしたんだよ。なごみ」
『お姉ちゃんとつけなさいと言ってるでしょう?』
「年上の従姉妹をお姉ちゃん呼び出来るのは小学生までだ」
『恥ずかしがらなくていいのに。それで……異世界に転生してうさ耳じゃなくて角が生えたのね? 後ろにいる皆さんはコスプレじゃないのね?』
今度のなごみの顔には冗談味が感じられなかった。口元に僅かに笑みが乗っているが、目が真剣だ。
「随分とすんなりと信じるんだな」
『渡が生きていると思えるなら、なんだって信じるわ』
漂う空気に危険なものが混ざっている気がしたが、そこに触れたら世界越しにでもろくな目に遭わなさそうなのでスルーする。
「ところで、俺はどうなったんだ? その……そっちに復帰出来る程度の……アレなのか?」
『それは……』
なごみは答えを躊躇い、目を反らした。
「あ、い……」
『ああ、ぎりぎりまだ見られるぞ。ちょうど運ぶところだったんだ』
復帰出来ない程度のアレらしいと察し、言わなくていいと伝えかけたところで画面がブレた。天下の声音からはラッキーだったな的なニュアンスが感じられ、何考えてんだと思ったところで死体が映る。血の染みた道路の上に横たわっていたのは、紛れもない自分だった。うつ伏せで、背中の至る所に穴が空いている。腕にも、下半身にも幾つかの弾痕があった。
「……思ってたより原型があるな」
また、思っていたより動揺もしなかった。抱いていたのは、自分だからというのは関係なく『人の死体』に対する純粋な嫌悪感だけだった。
『残念ながら中身には原型がないと思うが。戻ってきたところで一瞬でまた即死だろうな』
「…………」
少し面白そうに天下が言う。その内容に、渡の気分は著しく下がった。再び、音花の『体なんてぐちゃぐちゃよ!』という言葉を思い出す。
(そうだ、音花……!)
奇跡的に元の世界と繋がったのだ。ほぼ駄目だと確信していた自身の状態よりも訊く事があった。
「音花は居るか? 元気……じゃないだろうが、どうしてる?」
『え?』という、なごみの声がした。たった一音なのに、それは驚きと躊躇で揺れていた。
『音花、ちゃんは……』
画面の端に映ったなごみは、渡の死体のその先に視線を送っていた。スマートフォンのカメラはすぐにそちらにフォーカスする。ご丁寧にビニールシートが捲られた。天下の声が映像と被る。
『身を挺したのに残念だったな。君の体を貫いた弾丸が勢い余って彼女を襲った。君程の損傷はないが、充分に致命傷……やはり、即死だろう。だが……』
仰向けになり、目を閉じた音花の顔に苦痛は無かった。しかし、色も無かった。最近買ったというリップのピンクと、制服の赤だけが目立っている。
(音花が、死んだ……?)
『だが』の後の天下の言葉は耳に入らず、背後の四人もいつの間にか黙っていて、何も聞こえなくなった状態で渡はただ呆然としていた。