目覚めた時、渡は薄茶色の世界にいた。固めた土で作られたレンガが積み重なった建物の中で、彼は自分が異世界に来たことをすぐに悟った。
毛利綾瀬の告白を信じる信じないではない。
そんなことに悩む必要など無かったのだ。
異世界に来れば明々白々。
渡はすっぱだかだった。
「……………………」
僥倖だったのは、周囲に誰も居なかったということだろうか。ここは狭い部屋だった。正しく表現するなら、牢だった。三方は壁で、一方だけ天井から床まである鉄の棒が等間隔で嵌っている。扉もいかにも重そうな鉄だった。転生早々捕まっている状況というのは愉快ではないが、人が居たら、何はともあれ逃げるしかないし状況分析どころではない。
「……………………」
頭の中は真っ白なまま、まず、彼は頭を触った。頭に何かふわふわとした長いものが生え――ていることはなかった。髪の毛があるだけだ。
「……良かった……」
バニーに転生は嫌だった。男がハイレグである必要はないということだったが、ウエイターっぽいスーツも気恥ずかしい。否、服装の問題ではない。
バニーが嫌なのだ。バニーは見るものであり成るものではない。
ほっと息を吐くと、緊張感が抜けていく。裸のせいか、家に居るような感覚になって胡坐をかく。念の為に言っておくが、彼は家では服を着ている。つまり気分の問題だ。傍らに置いてあるスマートフォンをいじってみる。幸いなことに、壊れてはいなかった。これならイベント中のソシャゲも出来る。……って、今はソシャゲどころではない。
「ん……?」
リラックスすると、額に重みがあることに気が付いた。首を動かさずに視線だけを上げると、何かがくっついているのがちらちらと見える。触ろうとしたら、鋭い物が掌に刺さった。
「いてっ!」
もう一度、今度は慎重に触る。
「……………………」
角だ。鹿の角とかではない。円錐形の角だ。鬼のような……鬼……
「よりによって鬼かよ。退治されちまうじゃねーか!!!」
「何だ!」
「何があった!?」
バタバタと複数の足音が聞こえてくる。
(どうりで牢に入ってるわけだ……!)
衝撃を受けつつ愕然としつつ更に納得していると、二人の警備員らしき謎の生き物が駆けつけてきた。少なくとも弐本にはいない彼等は、渡の知識に照らし合わせるとゴブリンにしか見えない。背が低く、肌は緑色で、猫背でありハゲである。筋肉は少なく、腹だけが膨れ、他は骨と皮だけに近かった。腰に布をつけただけの服装だ。
「ゴブリン……」
二人のゴブリンは、牢の前に立つと首を傾げて顔を見合わせた。
「おい、こいつ誰だ?」
「さあ……」
そのやり取りを前に、渡は怪訝な表情をせずにはいられなかった。局部がまる見えになっていることも忘れてしまう。
(どういうことだ? 俺は猥褻物陳列罪で逮捕されたんじゃないのか?)
忘れていても自分が裸である自覚はある。人間心理の矛盾というやつか。
(あ、猥褻物陳列罪なんて法律、こっちの世界にはないか。知らんけど)
一応、渡は訊いておくことにした。
「なあ、俺は公衆の面前で裸だったから捕まったんじゃないのか?」
「あぁん? 知るかよ、捕まえたの俺達じゃねえし」
ゴブリン(紫腰布)が言った。口調はチンピラだが若干引いている。変態男が、と思ってそうだ。
「そうか。ついでに確認すると、ここでは公衆の面前で裸なのは罪なのか?」
「罪じゃねえよ。ぶらさげたきゃぶらさげとけ」
罪じゃないらしい。だが、ゴブリン(青腰布)の目は明らかに「この変質者が」と言っていた。
「ちょ、おい、ちょっと待てお前等! 腰布一枚のお前等にそんな顔されたくねえ!」
「「うるせえ! 腰布一枚の差はでけえんだよ!」」
「……………………」
そう言われてしまったら二の句が継げない。
ゴブリン達は小声で何事かを話している。その間に、渡は異世界に来る前のことを思い出していた。
(俺……殺されたんだよな……)
銃撃音が聞こえたのは、万里駅へ向かう最後の横断歩道を渡り切った時だった。渡は、音花に「創作としては悪くない」と言おうとしていたところだった。
「……!?」
「な、何……!?」
顔を強張らせた渡の隣で、音花が不安そうな表情で視線をあちらこちらに投げている。渡は彼女の手を強く握った。少しでも安心させたいという気持ちもあったが、こういう場面では女子の手を握るのが正義だと極めて真剣に、シリアスな動機で行ったことだ。
疲れた顔をした帰宅中の人々が、疲れを吹き飛ばして悲鳴を上げながら走り出す。訳が分からないが、とにかく銃声のしない場所に行きたいという生存本能だろう。
結論から言うと、状況を把握する為の時間は無いに等しかった。
渡の目に映ったのは、人々が血まみれになって次々と倒れていく様子と、指から光の弾を撃ちまくる茶髪でスポーツ刈りの青年だった。青年は、すっぱだかだった。
「は……!?」
色々と理解が追いつかないが、とにかく、青年が撃つ光の弾の殺傷力は高かった。その彼が、機関銃を持つ中年男に集中砲火を浴びる。
すっぱだかの男は、倒れる前にこちらに光の弾を撃ってきた。音花はずっときょろきょろとしている。それなのに、光の弾には気付いていない。一体、何を見ているんだ。次のターゲットに定められたのか、中年男がこちらに機関銃を向けてくる。
(!!!!)
渡は反射的に音花に抱きついた。彼女の手を握った時とは違い、頭の中には「危ない」の文字しかなかった。
銃弾の雨によって、背中が爆発するように破壊されたのが解った。火の海の中にいるような熱さと、耐えるなど不可能な痛みが渡を襲う。
彼は、ほぼ即死だった。
(そうだ……そうだった……)
土レンガ牢の中ですっぱだかで。
渡は全てを思い出した。
(音花は、助かったのか?)
助かってくれていないと、今の、この情けない姿をした自分が報われない。そうだ、助かっている。音花は絶対に助かっている。間違いない。
うんうんと頷く。
それから、今更ながら渡は察した。
自分は捕まって牢に入ったのではない。死んで『転生』した場所がここだったのだと。
「なんて不運な……」
ある意味、綾瀬の方がマシと言えるのではないだろうか。
(そういえば……)
次に脳裏に浮かんだのは、横断歩道を歩いていた時の音花の台詞だった。
『毛利アナは死体が無事だったから戻れたんでしょ! トラックに轢かれたら体なんてぐちゃぐちゃよ!』
「……………………」
数え切れない程の銃弾を浴びた自分の体は無事だろうか。綾瀬のケースが本当なら、無事じゃないと知球に戻れないといういことになるが――
「ぐちゃぐちゃ……」
顔面蒼白になって呟くと、牢の外で話していたゴブリン二人が入ってきた。
「まあいい。誰が捕まえたかは知らねえが、何かやらかしたことは確かなんだろ」
ゴブリン(紫腰布)が言った。
「だったら、行く所は決まってるな」
ゴブリン(青腰布)が言って渡の背後に回った。何をする気かと思っていると、ゴブリン(青腰布)が渡の尻尾を握った。
「いててててててて!」
自分に尻尾があることに今更気が付いたがそれどころではない。
ゴブリン(青腰布)に引きずられ、渡はどこかに連れられて行く。
「おい! どこ連れてく気だ! おーい!」
だが、ゴブリン達はニヤリと笑っただけで何も答えてくれなかった。
連れていかれる過程で服を恵んでもらえる――なんてことはなく、渡はすっぱだかのまま、重厚な扉の前に連れていかれた。そこには、またゴブリン(青腰布)が居た。判りにくいから同じ色の腰布を巻くのは止めてもらいたいものだ。
「ん? 何だそいつは。予定にねえぞ?」
「緊急追加だ。ついでに放り込んどけ」
ゴブリン(青腰布)にゴブリン(青腰布)が言う。渡の脳内は混乱の最中で、区別がつかないとかツッコんでいる場合ではない。
ゴブリン(青腰布)の手によって扉が開かれていく。
鬼が出るか蛇が出るか。いや鬼は自分だ。だったら蛇か。
それとも。
(閻魔大王でも出るか……!?)
チョコレート色の艶々とした扉が、ゆっくりと開けられていく。
その先にあるのは――
「……!?」
歓声だった。