「どうしたの? ぼーっとしてる場合じゃないよ。命は大切なんだから」
笑顔を浮かべながら熊の前へと踏み出すミーシャ。その後ろ姿を、マーヴィンは慌てて追いかけた。
ミーシャは、目の前に倒れた巨大な熊に怯むこともなく、その無惨な死体を静かに見つめていた。そんな彼女の冷静さに、マーヴィンは少し驚いていた。
その時、マーヴィンの目に飛び込んできたのは、ミーシャの手に握られた白銀の弓だった。
「それは……?」
思わず問いかけるマーヴィン。しかし、マーヴィンの言葉が響いた瞬間、まるでその役割を終えたかのように、白銀の弓はその形を失い、再び指輪へと姿を戻していく。
まばゆい光とともに弓が消え去り、ミーシャの左手の薬指には、静かに輝く指輪だけが残っていた。
「あ……」
ミーシャは少し戸惑いながらも、その指輪を見つめた。
マーヴィンはもっとよく指輪を見るために、とっさにミーシャの左腕を掴む。
「痛っ」
「ああ、すまない……」
マーヴィンは慌ててミーシャの腕から手を離す。
か弱い少女に対する力加減をマーヴィンはまだ理解しかねていた。
「この指輪……なんなの?」
「俺の国の秘宝……だったものだ」
マーヴィンは短剣で熊の首に刃を当てながら話し始めた。
しかし思ったよりも熊の皮は硬い。皮を破るために何度もギコギコと刃を動かす。
「昔、この国……エルビアータ王国は、かつてアゼリア王国だったんだ。まだ魔法が国を支配していた時代……」
ミーシャは静かにその言葉を聞き、目の前で繰り広げられる光景に集中していた。マーヴィンの短剣は皮を断ち切り、ようやく肉に達した。
「アゼリア王国は、エルフと人間が共に暮らす美しい国だった。魔法を使う者もいれば、使えない者もいたが、皆が調和の中で生きていたそうだ」
ミーシャは、マーヴィンの話に耳を傾けつつ、そっと指輪を見つめた。それはまだ静かに光を放ち続け、まるでその歴史を語る鍵のようだ。
「その指輪はその時代のものなんだ。なんでも、運命を変える力を持っているらしい」
「運命を変える力」
ミーシャはその言葉を聞いて、指輪から何かとてつもない力を感じるような気がしてきた。
「そんなすごいものだったんだ。ごめん、すぐに返す」
「いいんだ。そのまま持っててくれ」
マーヴィンの短剣がゴリゴリと音を立てる。どうやら、熊の首の骨に当たっているらしい。マーヴィンは叩きつけるように、何度も短剣を熊の首の骨に突き立てる。
「でも……」
ミーシャはもごもごと口ごもる。
「俺は運命を変えたいんだ」
その言葉と同時に、熊の首がごろりと地面に転がり、重々しい音を立てた。静寂が広がり、森の空気は一瞬、重く冷たく感じられた。
マーヴィンの決意が、辺りの空気に染み渡っていくようだ。
「運命を?」
「このままでは、アゼリア王国は滅ぶ——他でもない、エルビアータ王国の手によって」
マーヴィンは低くうめくように言葉を紡いだ。目の前の熊の屍が、まるでその滅びの運命を象徴しているかのように見えた。
ミーシャはマーヴィンの言葉の重さを感じ取り、思わず指輪に視線を落とす。その指輪が、運命を変える鍵となることを——先ほどの白銀の弓矢に姿を変えたことを思い出すと——疑う気にはなれなかった。
「マーヴィン様?」
その時、ガサリと音がして、森の中から数人の青年たちがわらわらと集まり始めた。ミーシャはとっさにマーヴィンの後ろに隠れる。
「大丈夫。彼らは、俺の仲間だ」