目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
010 青い輝き

 マーヴィンがポケットの中の何かを強く握りしめ、浅い呼吸を繰り返していると、ガサリと茂みが不気味に揺れる。

 ミーシャは思わず身を固くする。マーヴィンはなんとか、ミーシャの前に立ち、茂みをじっと睨みつけた。


 ガサリ、ガサガサガサと茂みが動いたその瞬間——。


 一匹の子ウサギが飛び出してきて、ミーシャの腕の中に飛び込んでくる。


「きゃっ」

「なんだ、ウサギか……」

「ふわふわだ~」


 ミーシャは呑気に子ウサギを抱きしめる。


「あなたのお母さんはどこにいるの?」


 しかし、子ウサギの様子はどこかおかしい。体が小刻みに震え、何かにおびえているような……。

 次の瞬間、茂みが大きく揺れたかと思うと、そこから巨大な熊が突進してきた。

 熊の目は赤く光り、鋭い爪が地面をえぐりながら迫ってくる。その姿は圧倒的な威圧感を放ち、ミーシャの全身が恐怖で凍りついた。


「ぎゃあああああああああああ!」


 ミーシャの叫び声が森の中に響き渡る。マーヴィンは反射的に彼女を抱き上げ、まるで何か本能に突き動かされたかのように全力で走り出した。

 彼の腕の中で、ミーシャは必死にウサギを守りながら、心臓が破裂しそうなほど速く鼓動しているのを感じた。


 後ろから熊の唸り声と地響きが近づいてくる。マーヴィンは息を切らしながらも振り返らず、ただ前へ前へと走り続けた。

 彼の脇腹からは再び血が滲み出していたが、そんなことを気にしている余裕はなかった。

 ミーシャは必死にウサギを抱きしめ、熊がすぐ背後に迫っているのを感じ取っていた。


「マーヴィン、大丈夫?」


ミーシャはマーヴィンの顔を見上げるが、彼の険しい表情に、心配よりも恐怖が勝った。しかし、マーヴィンはなんとか口の端を持ち上げる。


「大丈夫だ。何も心配いらない」


 嘘だ——。

 ミーシャには直観的にわかる。

 マーヴィンはミーシャを安心させるために、嘘をついている。

 本当なら、ミーシャも子ウサギも置いて逃げることもできたはずだ。でも、それをしなかった。

 それはマーヴィンの優しさだろう。


 その時、マーヴィンの目の前が急に開けた。目に飛び込んできたのは、深い断崖絶壁だった。岩肌は無慈悲にそそり立ち、その下には暗くて深い谷が広がっていた。彼の胸がぎゅっと締め付けられる。


「っ――」


 マーヴィンの口から思わず息が漏れる。

 マーヴィンの背中に冷や汗がじわりと浮かび上がった。足がすくみ、逃げ場がない現実が、彼を圧倒しようとした。背後では、熊の息遣いがますます大きくなっている。振り返れば、その赤い瞳がじっと彼らを見据えていた。

 子ウサギはサッとミーシャの手をすり抜けて、彼方へと逃げていく。


「マーヴィン……」


 マーヴィンの腕の中のミーシャは心配そうにつぶやく。


「ミーシャ。落ち着いて聞いてくれ」


 そう言うと、マーヴィンはミーシャをそっと地面に立たせた。そして、ポケットから何かを取り出し、ミーシャの手に握らせる。


「これは……?」


 ミーシャが手を開くと、そこには白銀に輝く小さな指輪があった。青い宝石がチラチラと海のような輝きを放っている。


「俺の国の、秘宝だ。俺の仲間に渡してほしい」

「え……」

「この森を抜けた先、合流する手筈になっていたんだ」


 つまりそれは、マーヴィンは渡せないことを意味していた。


「でも」

「それはアゼリア王国に必要なものなんだ」


 マーヴィンは小さな短剣を握る。しかし、そんなものでは熊には勝てないだろう。それでも、マーヴィンの目には強い意志の光が宿っていた。


「頼む」


 そう言い残すと、マーヴィンは熊に向かって一目散に走りだす。


「待って、行かないで!」


 ミーシャが叫ぶも、マーヴィンは振り返らない。彼の短剣を握る手が小さく震えているのが遠目にもわかる。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 マーヴィンの叫び声に、熊もまた咆哮をあげた。彼の背中は力強く、しかしどこか儚さを帯びている。

 ミーシャは手にした指輪を思わず強く握りしめる。


「誰か……マーヴィンを助けて」


 そしてその願いに呼応するように、指輪はまばゆく、青く光り始めた。


コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?