マーヴィンがポケットの中の何かを強く握りしめ、浅い呼吸を繰り返していると、ガサリと茂みが不気味に揺れる。
ミーシャは思わず身を固くする。マーヴィンはなんとか、ミーシャの前に立ち、茂みをじっと睨みつけた。
ガサリ、ガサガサガサと茂みが動いたその瞬間——。
一匹の子ウサギが飛び出してきて、ミーシャの腕の中に飛び込んでくる。
「きゃっ」
「なんだ、ウサギか……」
「ふわふわだ~」
ミーシャは呑気に子ウサギを抱きしめる。
「あなたのお母さんはどこにいるの?」
しかし、子ウサギの様子はどこかおかしい。体が小刻みに震え、何かにおびえているような……。
次の瞬間、茂みが大きく揺れたかと思うと、そこから巨大な熊が突進してきた。
熊の目は赤く光り、鋭い爪が地面をえぐりながら迫ってくる。その姿は圧倒的な威圧感を放ち、ミーシャの全身が恐怖で凍りついた。
「ぎゃあああああああああああ!」
ミーシャの叫び声が森の中に響き渡る。マーヴィンは反射的に彼女を抱き上げ、まるで何か本能に突き動かされたかのように全力で走り出した。
彼の腕の中で、ミーシャは必死にウサギを守りながら、心臓が破裂しそうなほど速く鼓動しているのを感じた。
後ろから熊の唸り声と地響きが近づいてくる。マーヴィンは息を切らしながらも振り返らず、ただ前へ前へと走り続けた。
彼の脇腹からは再び血が滲み出していたが、そんなことを気にしている余裕はなかった。
ミーシャは必死にウサギを抱きしめ、熊がすぐ背後に迫っているのを感じ取っていた。
「マーヴィン、大丈夫?」
ミーシャはマーヴィンの顔を見上げるが、彼の険しい表情に、心配よりも恐怖が勝った。しかし、マーヴィンはなんとか口の端を持ち上げる。
「大丈夫だ。何も心配いらない」
嘘だ——。
ミーシャには直観的にわかる。
マーヴィンはミーシャを安心させるために、嘘をついている。
本当なら、ミーシャも子ウサギも置いて逃げることもできたはずだ。でも、それをしなかった。
それはマーヴィンの優しさだろう。
その時、マーヴィンの目の前が急に開けた。目に飛び込んできたのは、深い断崖絶壁だった。岩肌は無慈悲にそそり立ち、その下には暗くて深い谷が広がっていた。彼の胸がぎゅっと締め付けられる。
「っ――」
マーヴィンの口から思わず息が漏れる。
マーヴィンの背中に冷や汗がじわりと浮かび上がった。足がすくみ、逃げ場がない現実が、彼を圧倒しようとした。背後では、熊の息遣いがますます大きくなっている。振り返れば、その赤い瞳がじっと彼らを見据えていた。
子ウサギはサッとミーシャの手をすり抜けて、彼方へと逃げていく。
「マーヴィン……」
マーヴィンの腕の中のミーシャは心配そうにつぶやく。
「ミーシャ。落ち着いて聞いてくれ」
そう言うと、マーヴィンはミーシャをそっと地面に立たせた。そして、ポケットから何かを取り出し、ミーシャの手に握らせる。
「これは……?」
ミーシャが手を開くと、そこには白銀に輝く小さな指輪があった。青い宝石がチラチラと海のような輝きを放っている。
「俺の国の、秘宝だ。俺の仲間に渡してほしい」
「え……」
「この森を抜けた先、合流する手筈になっていたんだ」
つまりそれは、マーヴィンは渡せないことを意味していた。
「でも」
「それはアゼリア王国に必要なものなんだ」
マーヴィンは小さな短剣を握る。しかし、そんなものでは熊には勝てないだろう。それでも、マーヴィンの目には強い意志の光が宿っていた。
「頼む」
そう言い残すと、マーヴィンは熊に向かって一目散に走りだす。
「待って、行かないで!」
ミーシャが叫ぶも、マーヴィンは振り返らない。彼の短剣を握る手が小さく震えているのが遠目にもわかる。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
マーヴィンの叫び声に、熊もまた咆哮をあげた。彼の背中は力強く、しかしどこか儚さを帯びている。
ミーシャは手にした指輪を思わず強く握りしめる。
「誰か……マーヴィンを助けて」
そしてその願いに呼応するように、指輪はまばゆく、青く光り始めた。