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007 夜の森を駆けて


「……ミーシャ?」


 アルは、胸の中に漠然とした不安が渦巻くのを感じて、はっと目を覚ました。

何かが起きている——そんな確信が脈打つようにアルを突き動かしていた。心臓は異常な速さで鼓動し、喉元まで跳ね上がるような感覚に襲われる。

暗闇に包まれた部屋は妙に静かでかえって不気味だ。まるで、何かが壊れる前の、嵐の前の静けさのように。

 小声で呪文を唱え、ろうそくに火を灯す。炎がパチパチと音を立て、影が揺れる。アルは耳をすませ、聞き慣れた微かな足音や、ミーシャの寝息を期待していたが——何も聞こえない。ギシギシと階段のきしむ音が、ただ妙に大きく耳に残る。

 不安が喉を締め付ける。ミーシャの部屋へ向かう足は自然と早まっていた。


「ミーシャ」


 ノックの音がやけに響く。だが、部屋からは何の反応も返ってこない。心の中に、冷たい鉛のような恐怖が沈んでいく。

 アルは冷静さを保とうとするが、指先が震えているのに気付いた。扉のノブを掴むと、慎重に、だが素早く扉を押し開けた。

 ——ベッドは乱れているが、そこにミーシャの姿はない。


「ミーシャ!!」


 その瞬間、アルの中で何かが切れた。彼の叫びは家中に響き渡った。すぐさま、マーヴィンの部屋へと向かい、扉を蹴破るようにして開ける。だが、そこにもマーヴィンの姿はない。月明かりがベッドの上に揺れているだけ。

 無言の中で、アルは窓へと目を向けた。開いたままの窓。冷たい風が入り込み、カーテンが幽霊のように揺れている。その下、地面には足跡がかすかに残っていた。

 アルは喉が詰まる思いだった。恐怖と怒りがない交ぜになり、彼の体を支配していた。


「待ってろ、ミーシャ!」


 その言葉は、誓いのように彼の口から飛び出した。二階の窓からためらいもなく飛び降り、荒々しい息を吐きながら、足跡を追って闇の中へと駆け出す。



「離して! 離してよ!」


 ミーシャの叫びが夜の森に響く。必死に暴れるが、マーヴィンの腕は硬く、ミーシャの体をしっかりと抱え込んでおり無意味だった。冷たい風が頬を切るように吹きつけ、ミーシャはただ無力感打ちひしがれていた。


「アル兄さん……助けて……」


 そう呟き、ミーシャは抵抗を諦め、涙をこぼす。

 その涙はマーヴィンの腕に流れ落ちる。

 しかし、マーヴィンはちらりとミーシャを見ただけで、一切足を止めない。その息は荒く、マーヴィンの全身から焦燥感が伝わってくる。


「どうしてなの、マーヴィン……」


 ミーシャは怒りのにじんだ声で問いかける。信じていたはずのマーヴィンが、今はまるで別人のように見える。彼女の心は引き裂かれるような思いでいっぱいだった。


「黙れ、舌を噛むぞ」


 冷たい声。マーヴィンの顔は険しく、瞳の奥に何か固い決意が浮かんでいた。

 その瞬間、マーヴィンが目の前の倒れた大木を見事に飛び越える。ミーシャの体が宙に浮く。重力が一瞬消えたかのように感じ、胸が縮み上がるような衝撃が襲った。


「きゃあっ!」


 ミーシャは思わず悲鳴を上げ、マーヴィンの体にしがみつく。すると、マーヴィンはミーシャの体を抱きなおす。


「大丈夫か?」

「う、うん……」


 優しい声にますますミーシャはマーヴィンのことが分からなくなる。

 この人は自分を何のために連れていくのだろう。こんな乱暴なことにも、理由があるのかもしれない。


「ど、どうして私を連れ行くんですか……?」


 ミーシャは震えながら、マーヴィンに問いかける。


「君はエルフなんだろ。頼む、俺に力を貸してくれ」


 その突然の言葉に、ミーシャは息を飲んだ。


「……えっ?」


 つまりこれは——彼女が自ら正体を明かしてしまったせいだ。

 「エルフ」という言葉が、頭の中でこだまする。愚かだった。アルの忠告を無視してしまった自分が、ここにいる。この状況は、自分で招いたのだと、ミーシャは思わず震えた。喉の奥に詰まった後悔が、彼女の胸を重く圧迫する。


「エルフだからって、何をしてほしいって言うんですか? 私は何もできません……」

「エルフは魔法が得意なはずだ」


 するとマーヴィンはミーシャを地面に下ろす。

 そしてミーシャの手を取り、口づけを落とす。


「頼む、我がアゼリア王国を救ってくれ」


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