「わあ、なんかドキドキしたぁ」
ミーシャは、心の中で小さな高揚感を隠しきれなかった。
恋に恋する年頃の彼女だが、ここは人里離れた湖のほとり。おまけに自分はハーフエルフ。出会いなど期待できるはずもなく、日々は静かに過ぎていた。
そんな時に現れたのが、マーヴィンだった。
濡羽色の黒髪に、整った顔立ち、切れ長の赤い瞳、そして甘く低く響く声。
アル以外の男性を知らないミーシャにとって、マーヴィンの存在は強烈だった。
マーヴィンと会うたびに、胸の奥が不思議な感覚でざわつく。それが何なのか、ミーシャ自身もまだわからない。ただ、その感情に少し戸惑いながらも、どこか期待している自分がいることに気づいていた。
「ミーシャ」
アルの声が、冷や水を浴びせるように響く。彼女は驚いて振り返る。
「それは無邪気じゃない。迂闊って言うんだよ」
「何? 急に?」
アルがミーシャに詰め寄る。その強引さに思わず一歩後ずさるが、背中はすぐに壁にぶつかる。これ以上逃げ場はない。
「知らない男に、そんな風に心を開くことがだよ」
「そんな…きっとマーヴィンは悪い人じゃないよ」
「じゃあ、俺と比べてみたら?」
「え?」
アルは壁に片手をつき、彼女を逃がさない。アルの顔が急に近づき、低い声が耳元で囁かれる。今まで聞いたことのない、抑えた声。
「俺と比べて、マーヴィンは悪い人? それともいい人?」
ミーシャの全身に、ぞわりとした感覚が走る。だが、それは嫌悪とは少し違う。
目を逸らそうとする彼女の頬を、アルが優しく抑え込む。
「答えて」
その言葉は鋭く、逃れられない。ミーシャの声が震える。
「悪い人……」
そう答えると、アルは満足したように、いつものように彼女の頭をワシャワシャと撫でた。
「なあ、ミーシャ。俺はお前が心配なんだ。わかってくれるよな?」
ミーシャは不思議な胸の高鳴りを抑えようとするが、どうしても抑えられない。脳みそは甘くしびれたようで、まともな思考をしてくれない。
だから、ミーシャは間違えた。きっとそう。
ミーシャはアルの目を盗み、深夜にマーヴィンの部屋の前に立つ。
「マーヴィン、マーヴィン」
囁くような声で呼びかけると、ミーシャはマーヴィンの部屋のドアを開ける。
その瞬間、マーヴィンはミーシャの口を塞ぐ。
「なんだ小賢しいネズミめ」
ロウソクのない部屋で、ミーシャは後ろ手に拘束される。抗議の言葉を述べようにも、あいにく口は塞がれ声が出ない。
「ここの兄妹にもこれ以上、迷惑をかけられないんだ」
そうしてマーヴィンは身をよじるミーシャをベッドへと抑え込む。
その瞬間、月明かりがミーシャの柔らかい髪を金色に光らせた。
「あっ……ミーシャ!?」
その瞬間、マーヴィンは慌てたようにミーシャから手を離す。
ミーシャは体が自由になるや否や、マーヴィンにつかみかかる。
「これってどういうこと?」
マーヴィンは一瞬たじろぐが、すぐに何かを決意したようだった。
「迷惑をかけられた分、お前には手伝ってもらう」
にやりと笑うマーヴィンの瞳にはどこか暗い光が宿っていた。
「手伝うって?」
ミーシャは意味が分からず、ぽかんと口を開けて問いかける。
「エルフは色んな使い道があるからな!」
そう言うと、マーヴィンは片手でいとも簡単にミーシャのことを掴み上げる。
「アル兄さん……!」
ミーシャはとっさにアルに助けを求める悲鳴を上げる。しかしその悲鳴はマーヴィンの手に遮られる。
「黙ってついてくれば、悪いようにはしない」
その言葉にはどこか優しさがにじんでいるような気がして、ミーシャは一瞬気を許しそうになるが、マーヴィンがミーシャを窓から引きずり下ろそうとしたことでハッと我に返る。
ミーシャは窓枠を必死につかむが、マーヴィンの力には敵わない。ミーシャはズリズリと窓枠から引きはがされる。
ミーシャは最後の抵抗にマーヴィンの手に嚙みついた。
「いてっ!」
マーヴィンはミーシャのことを一瞬悲し気に見つめたが、すぐにもう一度口をふさぎなおした。
「俺だって本当はこんなこと、したくないんだ」
そんなマーヴィンのつぶやきは風にとけて、誰にも届くことはなかった。