「アル兄さん……私、人を殺しちゃったかも……」
アルは青ざめた顔で囁く。
アルはミーシャの視線の先を追った。
そこには血にまみれて倒れているマーヴィンの姿があった。
アルはその場に膝をつき、マーヴィンの傷口を確認するために顔を近づけた。むっとするような血のにおいが鼻を刺す。
「飛び出してきて、思わず鍬で……。く、クマだと思ったの」
ミーシャの声が震える。何か手伝おうと近寄ってくるミーシャを、アルは手で制した。
「違う。これは鍬の傷じゃない」
アルはそう言って、マーヴィンの右脇腹に手を伸ばし、服を引き裂く。ミーシャは露わになった深い傷に息をのむ。
「彼は俺が運ぶ。ミーシャは綺麗な水と、布を頼む」
ミーシャは一瞬動けずにいたが、アルの言葉にハッと我に返り、すぐに駆け出した。
バケツを取りに走り去るミーシャの後姿を見送り、アルはマーヴィンの体をゆっくりと背負った。ずしりとした重みと、背中に染み渡る嫌な湿り気——これは血だ。アルはその感覚に思わず血の気がひいていく。
どれだけの命が、この男の体からは抜け出してしまったのだろう。
「頼む、死んでくれるなよ」
アルはそう小さくつぶやいた。
ミーシャは気づいていないようだったが、この男はただの平民ではない——彼の服はあまりにも上等すぎる。きっと貴族かなにかだろう。
もしこの家で死なせてしまったら、アルとミーシャの穏やかな日々は間違いなく崩れ去る。
アルはその恐怖を抑え込みながら、マーヴィンを自室へと引きづっていく。なんとかマーヴィンの体をベッドに投げ込むように横たえる。
白いシーツにはマーヴィンから流れ出た血が、鮮やかに広がっていた。
マーヴィンはゆらめく意識の中で、ふたつの影を見ていた。
ひとつは金色の子狸の影。もうひとつは銀色のオオカミの影。
本来であれば、交わることのないはずの異なる種族。それなのに、ふたりは互いに寄り添い、穏やかに言葉を交わしていた。
奇妙だと感じながらも、マーヴィンの胸の奥に、淡い羨望の念が湧き上がる。
あんな風に、誰かと心を許し合える存在がいれば、どれほど楽だろう。あの輪の中に自分も加わることができれば、どんなに幸せだろう。
しかし、その思いはすぐに冷たい現実に打ち消される。自分が加われば、その穏やかな世界は壊れてしまう。
だから、マーヴィンはただ静かにふたりの影を見守ることしかできなかった。
だが、突然、金色の子狸がそっとマーヴィンの手を握りしめた。驚いている間に、銀色のオオカミもそっと傷口に触れてきた。
「がんばれ……がんばれ……」
子狸の口からは鈴の音のような、柔らかく優しい声が響く。
マーヴィンは、思わずその小さな手を握り返した。
マーヴィンは傷口のうずきに目を開ける。
とにかく喉が渇いて仕方なかった。乾いた唇をパクパクとさせると、そっと頭の後ろに手が差し込まれる。
ひんやりとした手はあの子狸と同じものだ。
口元に陶器の吸い飲みが当てられる。マーヴィンはそれを夢中で呑み込んだ。
飲み終えると、ゆっくりと頭が枕に下ろされる。
その手は、そっとマーヴィンの汗ばんだ額を撫でる。
「もう、大丈夫だから……」
ミーシャはマーヴィンの額を撫でながらつぶやく。彼の苦しみが、少しでも自分の手を通じて薄れていけばいいとミーシャは願っていた。
マーヴィンはそんなミーシャの優しい手つきに、安堵を覚える。そして今度は簡単に意識を手放した。
柔らかな日差し、ささやかな鳥のさえずりでマーヴィンはゆっくりと目を開ける。
体を起こそうとしたが、右の脇腹に鋭い痛みが走りやめた。
目だけでゆっくりとあたりを見渡すと、マーヴィンの右手を両手で強く握りこむミーシャがベッドにもたれて眠っていた。
「なんだ、この女……」
マーヴィンは思わず手を振り払おうとするが、ミーシャの力は意外に強い。無理に振りほどけば手が折れてしまいそうで、マーヴィンは振り払うことを諦めた。
そして自分の手を握りこむミーシャの顔をじっと覗き込む。
細い金髪のロングヘア、やわらかそうな白い頬、長く細いまつ毛。そのどれもが精巧な作りのようにも見えるが、美しいというよりも可愛らしいという印象の顔立ちだった。
そうそれはまるであの、子狸のようで……。
「ふわっ!」
マーヴィンがそんなことを考えていると、ミーシャはガバリと顔を上げる。
まっすぐに視線と視線が交わるや否や、ミーシャは強くマーヴィンを抱きしめる。
「おはよう!」
マーヴィンはその突然の抱擁に、
「いでーーーーーーーー!」
と、悲鳴をあげたのだった。